Everything red.




子羊のローストと赤ワイン。
滴る血を連想させるそれ。
食欲の無い土方は黙って見つめた。

「生贄の件だが」
なにを、と言うように土方が視線だけで男に問えば笑って片手を振られた。
誤った、とさして問題にせずに示して。
「そろそろ観念したらどうだ、色男」
土方は目の前の男をじっと見つめる。
視線を受けて、松平は低く告げる。
「お前・・・とてもそうは見えねェがもう40だろう?色男が過ぎるぜ」
給仕に来たウエイターがほんのわずかにだが、反応した。
動揺したと言ってもいいだろう。
松平は苦笑する。
そう、とてもそうは見えないがこの男はもう不惑を迎えている。
生贄というのはそう間違いでも無い。
供物になる価値のある身体。
注がれたワインの芳香よりも、香り立つ美貌の持ち主はただ無意味に睫を震わせた。

「良い話じゃないか」
見事な仕草で子羊を切りながら土方は淡々とこたえる。
「一回りも年下のお嬢様ですよ、俺なんかでなくても」
「お前さんじゃなきゃ嫌なんだと」
「・・・ご冗談を」
やや勝気そうだったが美しい妙齢の女。
土方と並んでも見劣りはしないだろう。
何より、うだつのあがらない男なら直ぐにでも飛びつきたい家柄。

だが土方はこと恋愛においては常に選ぶ側で、
既に自身の腕と才には揺ぎ無い自信を得ている。

個室、そして口の堅さには定評がある店だが、
ウェイターに届かない音量の声で松平が囁く。
「お前の遺伝子を残さねェなんて、罪だと思うがな」
土方は氷の美貌をそのまま松平に向け、しかし何も言わなかった。
松平は溜め息を吐く。
「組織に属す限り、ついて回るぞ」
「・・・・・・将軍様も未婚でいらっしゃいますが」
長い睫に色を滲ませて土方は淡々と喋る。
「はは、痛いとこ突くな、お前」
贅沢が凝縮された液体を飲み干すと松平はさらに声のトーンを落とす。
「醜聞は耳に入りやすい」
土方は口説かれ慣れすぎた女のように眉一つ動かさず退屈そうに息を吐いた。
「お前がカモフラでも女と一緒になれるような器用な男じゃねェのは知ってるが・・・」

松平は老練な笑みを浮かべた。
さらにその声がひそめられる。
「あの男とのこと、嗅ぎまわってる奴がいる」

初めて、土方の表情が動いた。
「オジサンはな、出来る限りお前を護ってやろうと思ってるが、いい加減歳だしな。
イザってときにお前を護れる確証がねェ」
本音を伝えれば土方は素直に笑む。
その、若いときには在りえなかったやわらかな笑みが、
松平の最近のひそかなお気に入り。

「沖田は相変わらずお前に夢中だな」
「・・・・・・」
「そう痛々しい顔しなさんな。お前のせいじゃねェよ」
松平は慈愛に満ちた表情をした。
「あれなりにお前さんの為にどうしたら良いか考えてんだよ」
給仕が近づいてきたためか、
松平の声が平常のトーンになる。
新しいワインを注ぐウェイターの手元を見ながら、
少し言葉を区切る。
「偽装でもなんでも、お前なら可能だろ」

松平が部屋の隅に控えたウェイターに目配せして退席させた後、
部屋にはわずかに沈黙が落ちる。

「扱いやすい女を適当に見繕え。で、嘘でも良いから結婚しましたって言っとけ」
「・・・・・・」

土方は黙ったまま、静かにその目を伏せた。
非難しているわけではない、が、それは確かな拒絶。

松平が溜息を吐いた。

「将ちゃんがお前に逢いたがってた」
謁見するに相応しい、といえる地位だが将軍にとって土方は特別な思い入れのある相手。
「…ええ、俺も、お逢いしたいです」
また、土方の空気がやわらいだ。
愛想、と呼ぶには艶やかすぎるそれも無意識。

例えば、
そう、新婚の部下が3ヶ月くらい漂わせている空気。
幸せの。
だがその後はどこも同じ。
惰性と倦怠と、安寧に飲み込まれ、自分と同じく男という性を恨む。

だが土方は。
常に、そう、ゆうに10年はその空気を漂わせたまま。
決まった相手がいるのだろう、
そしてその相手に惜しみなく愛されているのだろう、
そう思わせる充足感と、他者の所有物であるが故の背徳的な色香は甘く。
肌は匂い立つような色気を漂わせ、
しっとりと花の蜜が染み出してくるよう。

愛されているのだろう、とあらためて松平は思う。
深く深く。
おそらく溺れていることに気付かず死んでいくように。

護られ、慈しまれながらも凛として。
閉じた世界は円環で、美しく完結したまま香り立つ。
他者に。
この稀有な幸せを壊す権利は果たしてあるのだろうか。











玄関で土方を出迎えた銀時はその身体をそっと抱き寄せる。
「…ただいま」
素直に腕の中におさまると土方は告げる。
「おかえり」
銀時はそういいながら軽く口付けた。
目を伏せた土方が色っぽかったせいか、
つい、少しだけくちづけが深まる。
「ん……」
逆らわず土方はやんわりとそれに応えた。
「土方、舌あったかいね」
「飲んできたからな…」
静かにそう言うと土方が銀時の髪を撫でる。
ちゅ、と音を立ててから銀時は素直に引き下がり、
着替えを手伝ってやる。

「な、銀時」
「ん?」
「してェな」
土方がぼんやりと告げた。
「そう、じゃあするか。風呂は後で良い?」
優しく声を出し、銀時は微笑む。
「ん……」
シャツの裾から銀時のあたたかな手が滑りこむ。
腰から背中へ、柔らかく撫で上げながら視線を絡ませ、
優しく額同士を合わせる。
「スーツが…」
少し頬を染めた土方に銀時がくすりと笑う。
「クリーニング出すからさ……」
「ん…」
柔らかく互いの身体を啄ばみながら深まっていく官能に土方は甘く息を吐いた。


互いの身体を愛しあった後、
ゆっくりとシーツを引き寄せて寄り添う。
「何か飲む?」
ナイト・キャップにはホットワインを。
高級な食事と供されたワインでは酔えなかったのだろう。
そう所望された後、よく眠れると教わった、と静かに土方が囁く。
「誰に」
嫉妬で、少し棘があったのだろう。
くすりと土方が笑った。
「お登勢さんに」
銀時があ、というように黙る。
「この前偶然逢って、少し酒に付き合ってもらったんだ。相変わらず息災で何より」
「そう、か」
恥ずかしくなって銀時は少し口ごもった。

土方が浮気をするとは思っていない。
が、相手になりうる人間は、結局昔も今も変わらず存在する。
本人は俺をいくつだと思ってる、
と言うが相変わらず無意味に人目を引く。
昔より格段に愛想良く笑うようになった土方は
無意識の、指先の動き一つにすら、言いようの無い艶が宿るようになった。

必死で生き抜いてきた日々の焦燥、
あるいは若さゆえの意地のようなものが消えていくたびに、
居るだけで、内側からやわらかく発光しているように輝く。
地位も名誉も、大人の男としての完璧な振る舞いも含めて。
素敵、と数多の女が囁くのは仕方が無い。
床に散らばった、
まるで土方のためにあるようなストイックなスーツをぼんやりと眺め、
片手で器用にその髪を撫でながら、
銀時は笑った。

「もういっかい、したい」
綺麗な声で土方に静かに零されて銀時は愛しさで胸が詰まる。
「うん、でも、ちょっと疲れてるでしょ」
多分、脳が欲しいと思っていても身体は疲れているだろう。
もうそろそろ、お互いに性的な無理が利く歳でもない。
現に抱き合って眠るだけの夜が続いていた。
土方は久しぶりに抱き合う銀時の熱に浮かされて、
少し混乱しているのだ。
かわいい、
と素直に思って微笑む。
不惑を迎える男に可愛いも何もあったものではないが、
可愛いと思うのは事実なのだから仕方ない。
どれだけ良い男になっても、
どれだけ浮名を流しても、
結局銀時にとって土方は可愛いのだ。
すがりつく腕に。
何か、あったんだろうなと思う。
想像はつく。
でもそんなこと今更。
10年、一緒に生きてきたんだ。
ぎゅっと抱きしめて口付けると、
段々と土方の身体が鎮まっていく。

愛情を注げば、混乱は収まる。
「…愛してる」
耳元でそっとささやいた。








ふっと、銀時は目を覚ました。
「6時…」
隣で深く眠っている土方はまだまだ寝かせておいてやりたい。
瞼が閉じられると、意志の強い鋭い目が隠れるせいか、
土方はいつもどこか幼い。
しばらくじっと見つめると、
腕の中の土方を起こさないように慎重に起き上がる。
わずかに身じろいだ土方に優しく笑うと頬にくちづけた。

さて。
少し酔いの残った土方のために朝はミキサーでジュースを作ってやろう。
土方は飲んだ翌日は食欲が無いのだ。

揃いで買った黒いギャルソンエプロンを身に付け、
軽く口の中で歌う。
キッチンにあるラジオから流れてくる曲は、朝に相応しい優しいバラード。

ご機嫌な銀時が寝室に良い香りを届けて、
土方が優しく起こされるまで、

あと少し。







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