beloved mother
おかあさんがほしい。
全ての憎しみと全ての痛みを忘れてしまう。
ずっと逢いたかった愛しいマザー。
出来損ないの俺を、愛してくれるだろうか?
培養液のなかでの心地よい夢、やるべきことがやっとわかった。
最愛の人に逢いに行こう。
急速にめぐる血液。稼動する手足。視界は良好。
はやくはやくはやくしなくちゃ。
おかあさんが、マザーが、ほしい。
息が少しくるしい。
夢中で出てきちゃったからだ。
何となく振り返ってみる。
あんなに恐ろしかった無慈悲な研究所は、
ちっちゃな伽藍にしか見えなかった。
足が羽根が生えたみたいにかるい。
空が綺麗で、空気が綺麗で、なにもかもが生きていて。
世界が気が遠くなるくらい綺麗だ。
なんとなく手を振ってみる。
ばいばい。
さよなら。
鳴り響くサイレン。狂態。ケースの中の実験動物の胡乱な視線。
恐ろしいのは曲りなりにも「生みの親」である研究者達の死を誰ひとり、
一匹として悲しんでなどいないということ。
「ギントキ!505が逃げ出した!」
研究員が怒鳴ってる。いや、知っているけどさ、
こんな事が出来るの、俺じゃなきゃアイツだろ。
アイツのいたラボは研究員もろとも壊滅状態。
権威を振りかざしていたのが嘘みたいに。
逃げ遅れた人間の千切れた手がドアノブに寂しく引っかかって揺れている。
誰も取ってやらないのが哀れで外してやる。
でも結局誰のものでも灰になるだけ。
結局研究者には替えがきくし、お偉方の欲望の餌食になるのは何も弱いものばかりじゃない。
皆馬鹿で可哀想で多分運が悪いだけ。
海で溺れた奴らの群みたいだと思う。
真っ赤だけど。
前にも確か、こんな光景を見た。
あのときはひとりじゃなかったが、今は俺独り。
ここは哀れな建物だ。
愛と慈悲と悲しみの無い場所に慰めは無い。
―――そして残念ながら、ここが俺の世界だ。
研究所からの特別の長期外出許可が下りた。
いつもよりずっと緩く居場所の報告は週に一度。
捜索費用も破格。
俺がアイツを血眼になって探すと読まれているようで笑える。
事実その通りだから始末に負えない。
まぁ、男は馬鹿だから皆こんなもんだと思うけどな。
俺はアイツの為ならどこまでだって馬鹿になれる。
逃げたお姫様を探しにいこうか。
「万事屋?」
「そう。歌舞伎町には四天王って呼ばれる人が居るんだけど、そこの二階にいるらしいわ。人探しなら頼んでみたら?」
「万事屋ねぇ・・・、いや俺って世間知らずだからさ。杏奈サンに色々教えてもらわないと判んないんだよねぇ」
本日のオネエサンは杏奈さん、推定29歳プラスマイナス2歳。唇が色っぽい夜のお仕事の人だ。
「ギンちゃんってホントに何にも知らないのねぇ」
子供を可愛がるみたいな口調で杏奈サンが俺を撫でる。今日から暫く杏奈サンのお家でお泊り確定。
「はい。お小遣い。無駄使いしちゃダメよ」
万札の詰まったお財布にはカードもぎっしり。
言っちゃァなんだが十人並みよりやや上程度の顔だが、お水のオネエサンは羽振りが良いらしい。
ひらひら手を振ってお見送りをしてから外に出る。寝場所を確保しちまえば、後は朝まで自由。
流石に家主が帰るときに出迎えてあげるくらいのサービスは必要だ。
トシを探して移動してはや2週間。
お世話になったオネエサンは・・・カウントし忘れた。
トシのオリジナルが歌舞伎町にいることは間違いないから、おそらくトシもこの辺りでウロウロしているはずだ。見つけたら何か玩具でも買って、沢山遊びにつれていってやりたいから軍資金の確保は重要。しかしいい加減俺は焦ってもいる。
アイツに女を引っ掛ける気があるとは思えないが、昨今の女性は積極的だから逆ナンされてるかもしれないし、歌舞伎町なら男に引っ掛けられることも十分にありうるだろう。ナンにせよ早いところ見つけたほうがいい。あいつにこの街は毒だ。
此処がトシの愛するオリジナルが住む街だとしても。
携帯のナビで万事屋に向かっていたが、向こうから俺を見つけた。
あっさりし過ぎ。
物事は案外こんなもんか。
こいつ等に運が無いのか。俺に無いのか。
エセチャイナ娘にメガネ餓鬼(コイツ童貞だな)で、残念ながら俺の本体サマ。
3人揃って貧乏家族風味。
「銀さん、兄弟とか居たんですか?」
「あぁ?しらねぇよ。ってか他人だ他人。俺家族いねぇもん」
「よく似てるアル」
「ドッペルゲンガーとかですか」
「どっぺる?」
「ドッペルゲンガー、二重を歩くものって意味らしいよ。何でも世界のどこかにいる自分とそっくりの人間で、見ると死んじゃうらしいんだ」
「銀ちゃん死ぬアルか?!ヤバイヨ!コイツ埋めて無かったことにするアルヨ」
「そっか!銀さん、目つぶって、目!早く!!!」
だらしねぇ天然パーマに死んだ魚のような目。甚だ不本意ながら、マジでコレが俺のオリジナルらしい。似てない餓鬼二人(コイツこんなんで妻帯者か?)っていうか、
「………本人を目の前にしてよくまぁそれだけ言えるなテメェら」
「あ。しゃべった」
「しゃべったアル」
「幽霊じゃないみたいですよ。ドッペルゲンガーは口きかないみたいですし」
「…ドッペルゲンガーじゃねぇよ」
「俺のクローンだろ?」
「知ってんじゃねぇかよ!前フリ長ェよボケ!!!」
・・・・・・・・・こいつら殺してェ。
坂田銀時の人とナリは大方判った。
あのガキどもは従業員、殆ど無職。
家賃滞納常習、店子としては最低の部類。性格は極めて自堕落。
いい歳して甘いもんばっか喰ってる、糖尿寸前。
一応足を踏み入れた甘ったるい匂いのしやがる事務所の中で、
うんざりする現実を突きつけられたのが1時間前。
トシの居場所を探す依頼は脳内で却下した。
あんなヤロウにまともに人が探せるとは思えねェ。却下だ。却下。
トシは自分のオリジナルを探しているのだろうが、そう簡単に見つかるだろうか。
大体俺に見つけられないんだ、とてもじゃないが天下の武装警察真選組の副長様の動向が
万事屋ごときにわかるとは思えない。
依頼すら馬鹿馬鹿しい。
つまらんタイムロスだ…
まったく、俺のクローンが大したことない野郎でげんなりしたが、とりあえずトシを探しにいかなけりゃ。
アイツはマザーに逢いたがってる。
ママが恋しいなんてガキそのものだが、俺よりずっと年下だし、まぁ仕方ない。
拒まれなけりゃ良いんだが。
アイツ、ショックで何するか知れねェし。
何よりアイツの「マザー」、『オリジナルの土方』
が俺のオリジナル(認めるのも不快だ)みてぇにロクでもねぇ野郎じゃなけりゃ良いんだが。
まぁ、あのマダオより酷いヤツはそういないだろう。
俺ってつくづく可哀想。
……トシと二人で楽しくやってきたつもりだったのに。
俺はいつだってアイツの為なら心を砕ける準備があるのに。
愛しているのも大切なのも俺の方だけだったのかもな。
愛ってなぁホント難しいもんだよな。
可愛がるだけじゃだめなのか?
女抱くみたいに気持ちよくて簡単なら良かったのに。
ただ一人の大事な人間をどうして俺は繋ぎとめておけないんだろう。
遭ったことも無いオリジナルの
『土方十四郎』がそんなに良いのかよ。
俺なら俺のオリジナルなんか胸糞悪くて顔も見たくない。
どうせ俺達はオリジナルの紛い物。
幸せになる権利なんかありゃしねェ。
トシ、二人きりで遠くに行きたいとか思ってるんだぜ。
誰も来ないし誰にもお前を傷つけさせない。
俺が必ず護ってやるし、ずっと愛してる。
お前が俺を愛していないとしても。
あぁ、俺のオヒメサマはどこだ?
ハッと顔をあげる。
気を逸らしていたせいで、叫び声と怒声に気がつかなかった。
不覚だ。
人だかりによく知る・・・血の匂い。自然と頭が痛くなる。
厄介ごとと低俗な暴力は大嫌いだ。
天人がわんさかいるにも関わらず攘夷志士なんてのがごろごろ居るのがこの国。
進化と退化とが共存し不可思議な形で調和をしている国。
爆音と機械音に紛れて古風な剣戟はこの国そのもの。
剣戟?
「……斬り合いか」
人混みの中心、そこだけ、空気が違う。吸い寄せられるように足が動く。
早く、早く、何かが俺を急かす。
音が已む錯覚。
人が、まるで躍るように人を斬り遊んでいる。
闘う事が楽しくて仕方ない、そんな綺麗で無邪気な笑み。
風に舞い上がる艶やかな黒髪。
漆黒の衣服。
量産された死体の山に整然と佇む、まるで一枚の絵のような人間。
近づく度、心臓が跳ね上がる。刀から滴る血液が地面を汚していく。
足が止まらない。透き通るような白い肌の中には眩暈がするほど紅い血液がある。
感知したら引き返せない。
俺の良すぎる目は、何もかも観てしまう。
伏せられた瞼、透ける微細な血管にさえ、ぞくりとする。
その眼がゆっくり開かれ。
俺の視線は凍りついたように動かない。
そんな容赦ない眼で俺を見るなよ、美人さん。
体中の血液が沸騰しそうに熱い。皮膚の奥から何かが食い破って俺を浸していくような。
侵食。無慈悲で圧倒的な引力。
身体の底が震える。
凄ェ。
―――――――こいつが、トシの『オリジナル』か。
震える足を叱咤し歩みを進める。恐れをなしたようにギャラリーは遠巻きに惨状を伺っている。
そのまま消えちまえ。
動かねぇ死体や血だまりなんぞ怖くないが、目の前の苛烈な生き物はヤバイ。じわじわクル。
癪なんで内心の動揺を隠して精々不敵に見えるように笑ってやった。
「へぇ、アンタも美人だね。まぁアイツのママだもんね」
ぴくりと、肩が反応する。
トシとは正反対の真っ白い肌に、よく映える紅い返り血の匂いに酔ってしまいそうだ。
ほうっと、艶っぽい唇が息を吐いた。
あれだけの立ち回りで殆ど息が乱れていないのに驚嘆。
「・・・・・・お前が、万事屋の」
「まぁ認めたくねぇけどな」
第一声は俺以外の男のこと。つれないなぁ。
でも俺のオリジナルと面識があったことが驚き。
いや、あの無職がしょっ引かれただけかもしれないが。
「トシを・・・俺のクローンを、迎えに?」
落ち着き払った、俺を映す眼は澄んでいる。
人の血の色が少しも映らないのが不思議な。
確かにアイツによく似た目をしてる。
俺の好きな無垢な目だ。
「・・・話早いね。頭良い美人は好きだぜ。そんで名前はトシで通じる。あいつは自分でそう名乗ったんだろ」
「ああ。クローンて言い方は俺も嫌だ。で、」
「ん?」
しゅっ、と不可視の速さで白刀が首元に添えられる。
「テメェが味方だという証拠は?」
気を抜いていた、いや正確には見惚れていたのだが、それを差し引いても、隙が無い動きは流麗で無駄が無い。
が、先程の戦闘を思い起こすに、戦い方は型にはまったものではなく実戦向きの実用的なもの。
映えるのはこの姿の所為だ。
酷く目を惹きやがる。
「オイオイ、美人なのに随分過激だなぁ」
でもこっちも殺意には馴れっこなんだよ、美人さん。
「アイツどうも敵が多いみたいでな。狙われてるんだ。悪いが確証が欲しい」
研究所が痺れを切らして手を回したか。内心歯噛みする。
どうやらこの美人は慈悲深い御方のようで何より。
「お前が万事屋のクローンなら、そんなに悪ィヤツだとは思っていないが、一応な」
美人はちょっと笑った。
トシの名前を出されて動揺したのがばれたのかもしれない。
俺って情けねェ。
「・・・トシに電話さしてくれ。アイツは俺を良く知ってる」
やっと捕まえた。