花を贈らない




誓えというのなら誓うけれど、
言葉が足りないというのなら尽くすけれど、
そのどちらにもどれほどの意味があるのだろうか。

愛しているなどと言えるうちはまだ、正気なのだ。


いくら俺でも。
女にそれを悟らせるほど無粋でもない。
にっこりと笑って。
「おめでとうございます、今日誕生日でしたね」

覚えている。
手帳には聞き出したデータを書き付けてある。
それから、それを脳の浅い部分に転記する。
毎日、誰かしらの誕生日だ。

協力者には定期的に挨拶とご機嫌伺いをする。
同時に相手を監視しているのだけれど。

俺はいつも。
花ばかり贈る。

いつ、裏切られても良いように。

いつ、切り捨てても良いように。

後に何も残らないように、花を。

切り捨てた人間の憎悪も、俺を悪鬼の如く罵る口も、
花が枯れ落ちる頃には消えてなくなる。


最愛のひとには花を贈った事が無い。
枯れて朽ちていく花を贈る勇気が無い。

人の世も、この身も、世の中に流布する愛とやらも、有限でないことを知っていてなお、
厚顔にも花を贈るほどの勇気が俺にあるのなら。

花よりも美しい貴方に、この手を伸ばせるのに。







呪いの月



俺には暖め続けている呪いがある。


あの日俺は世界を呪った。

ふらりとわずかに揺れながら、土方さんは屯所の庭に立ちすくんでいて。
「風邪を引かれますよ」
振り返った土方さんは、俺の知る彼じゃなかった。
白いのを通り越しているような顔色に俺は背筋が凍り付くような戦慄を覚えた。
赤い唇が、切れて腫れあがって白い肌の上で可哀想なくらい綺麗で。
夜であることも忘れて、我を忘れて叫びだしそうな心を必死で押さえつけ、
俺は出来る限り静かに土方さんの傍に寄ろうとして。
土方さんに片手で制された。
その指先から細い手首まで、誰かの握った忌まわしい痕が痣のように残っているのに俺は頭の中が空っぽになる。
土方さんはゆっくりと庭から戻って、
ああ、恐ろしいことに裸足で庭に立っていたんだと俺は気付いたけど、どうしようもない。
この人が今、俺に近寄るな、と命令したから従う以外無い。
土方さんが俺の目の前で自室の障子を閉めた。
ああでも赦して下さい。
ご主人様の待て、は至上命題の狗にだって、愛しさで声を出す自由はあるでしょう?

「土方さん…!」
「…へいき、だ。から、さわぐな」
ちっとも平気じゃない。なんなんですかその声。
出来の悪い狗で良いから、そう言い訳して無理矢理障子を開けようとした俺に土方さんの声が、
ゆっくり伝わる。
「…あけないで、くれ」
俺は動けない。
馬鹿みたいに。
「たのむ…」
土方さんのそんな弱い声を聞いたのは初めてだった。
いつだってこの人は、凛として、強く真っ直ぐで。

いつだって。
そうやっているだけで。
中と外が別物だと、俺は知っているつもりで少しも判っていなかった、ただの馬鹿野郎。
泣きたいのはこの人で、俺には泣く権利なんか無い。
痛いくらい静かな空気の中で、俺はじっと息をする。

それから、土方さんの影に俺は障子越しにふれる。
遠い。
紙一枚隔てた距離が永遠の長さに似ている。
背を向けた土方さんに寄り添うように座った俺はただその背中を障子の薄い膜越しに見つめる。

「山崎」
「はいよ」
習慣で、俺は、出来る限りいつもどおり呼びかけに答えた。
土方さんがいつも、を取り戻してくれるように。

でも、無理だった。
俺もこの人も悲しくて死にそうで。
二人ともまだとても若くて、自分にも他人にも嘘がつけなくて。
だから、いつも、なんか遠くの話だった。

「やまざき」
「はい」
「痛い」
「はい」
「苦しい」
「はい」
「でも来るな」
「……はい」
「いま、俺を見るな」
そう言ってから、土方さんは長く沈黙した。

「やまざき…ごめんな」
「……っ」

ゆっくり俺の名前を呼んだ土方さんはそれから朝まで低く息をしていた。
痛みをこらえる呼吸だった。
俺は世界を呪っていた。
一睡も出来なかった。
僅かでも目を離せば、土方さんが消えてしまうんじゃないかと思って。
障子越しに、土方さんは、多分泣いていたんだと思う。

その日から、俺の知る限り一度だって土方さんは泣いたことがない。
この人に涙を赦さない夜は白々と明けて、朝が何も知らぬ顔でまた来て。
俺は嘘が巧くなったし、土方さんは綺麗な顔で他人を拒絶できるようになった。
それでも。

俺はまだ世界を呪っている。




だってあなたは泣かない。






初恋が死んだ日


「燃えてんなァ」
「燃えてますねぇ」
ぱちんと生乾きの木がはじける音がした。
山崎の顔が炎に照らされて夜の闇に不気味に光っている。
辛気臭い炎だ。
大体なにしてんだコイツ。
煙の出所が何となく気になってふらりと縁側に出たら。
庭先で燃え盛る火をみつめたまま、さっきからちっとも身動きしていないのだ山崎は。
「ゴミでも燃やしてんのかィ?」
問いかけにも、火はひたすらに燃えている。
山崎は返事をしない。
ぱちぱちとまた、木が悲鳴を上げた。
「初恋を、燃やしちまおうかと思いまして」
「は?」
思わず聞き返した沖田に山崎はもう一度囁くように言う。
「…初恋を、燃やそうと思ったんですよ。なんにも残さずに」
山崎はそういって燃え盛る火を見つめに戻った。
それ以上口は開かない。
沖田は火を見つめながらしばらく黙っていたが、
「俺はごめんだね」
そう言うと沖田にはめずらしく静かにその場を立ち去った。

「…あなたは、そうでしょうね」

残された山崎は特に気にした様子もなく、ひたすら火を見つめているだけだった。

 




銀さんに頼まれた忘れ物を届けに屯所に行った日。
庭先で火を見ている山崎さんを見かけた。
「何をしているんですか?」
「うん、屯所の裏に古い木があってね、それを燃やしてるんだ」
説明になっていないきもしたけれど、僕は黙って山崎さんの隣に立つ。
「…近藤さん、昨日も姉上に殴られてましたね」
「ああ、顔中青あざだらけで帰ってきたからね。でも多分今日も懲りずに行くんじゃないかな」
「…そうですか」
「君も大変だね」
「いえ、もう慣れましたから」
それきり黙って二人で火を見つめた。


「…を燃やそうと思って」
「え?」
聞き返すと山崎さんはもう一度繰り返した。
「初恋を、燃やそうと思って見てるんだ」
「はつこい、ですか」
「そう、はつこい」
ときどき山崎さんは難しいことを言う。多分この人は見かけよりずっと有能なんじゃないかと思う。
あの土方さんが信頼しているくらいだから。
…そういえば、僕のはつこいはいつだっただろう。
お通ちゃんが大好きで、今も昔もそれが初恋といえるのかもしれないけれど。
いや、違う。

僕の初恋の人は姉上だ。
強くて綺麗で厳しくて優しくて。
いつだって僕を護ってくれた。
父上亡き後、姉上だけが僕の家族だった。
大切な大切な家族。
「新八君の初恋の人は、やっぱりお妙さんかな?」
山崎さんが突然話しかけてきた。
「…はい、恥ずかしながら」
僕がそう言うと山崎さんはちょっと笑った。
「無理もないよ。お妙さんは強い女性だし、とても美人だ。それにずっと二人きりで生きてきたんだろう?」
「はい」
姉上が褒められるのは嬉しい。
なんだか照れくさくなって、僕は尋ねる。
「山崎さんの初恋の相手ってどんな女性ですか?」
山崎さんは一瞬眩しいものでも見るように僕を見ると。
「…内緒」
そう言った。


庭に面した縁側を土方さんが隊士の人達に囲まれて歩いていくのが見える。
土方さんは歩きながら、いくつも話しかけられ、忙しそうに書類に眼を通しながら的確に指示を飛ばしている。
多分庭の隅にいる僕らのことなんか視界に入ってないだろう。
副長、副長。
そう何度も皆が呼んでいて、それには多分に畏怖と崇敬が入っていると思う。
街を歩くあの人の姿は、いつだって完璧に綺麗でカッコイイ。
そういえば、土方さんへの呼びかけに対して「副長」以外を使えるのは、近藤さんのほかには、
沖田さんと山崎さんだけじゃないだろうか。
「メガネ、ゆっくりしていけよ」
ふいに土方さんが書類から顔を上げて僕を見た。
「あ、はい!」
土方さんは僕が返事をするとちょっと笑って、それから相変わらず凛とした表情で隊士たちに指示を再開した。
山崎さんがその姿をじっと目で追っているのを僕は見た。
見たことも無いくらい切ない眼で。

「山崎さんは誰との初恋を燃やそうとしてるんですか?」

聞かなくっても、
わかってしまったけれど。



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