いつもより余分に、俺を見て歓声をあげる女に笑いかける。
その能天気な顔に苛立ちさえする癖に、
顔だけで笑えるんだから俺は本当に外道。
意識の半分以上が店の奥に大事に寝かせてきた子にあるけれど、
俺は無理やり平静を装う。
歌舞伎町で人の目があるとき、俺はナンバーワンホストの坂田金時でなければならないのだから。




俺のために店に来てくれた十四郎が倒れた。
正確には、軽い貧血と微熱。
ひ弱じゃない子だけど、人混みにやられたんだろうか。

くしゃりと金時は苛立たしげに髪をかきあげた後、舌打ちする。


黒塗りの装甲車のようなデカイ車が停まる。
遠巻きに眺めながらざわめく通行人。
まるで王と平民。
「メルセデスの上級クラスだ」
高杉が面白くもなさそうに言う。
俺は車のことはあんまり分からないが高いということだけは判った。
高杉はこれで結構育ちがいいから何の感慨も無いんだろう。
俺はバリバリの庶民だから「へーすげーな」と馬鹿みたいな反応。
「お前の客の一番上のにゃ、あれ買って寄越せるのだっているだろ」
高杉はまた面白くもなさそうに言う。
いやいやいや。
女の子にああいうステイタスの象徴みたいなものまで買ってもらうっていうのは正直微妙。
大体欲しくない。
あんなじゃ何処行っても目立ってロクなことねェよ。



降り立ったのはちょっとシブい色男。
がっしりとした体つきに黒い髪を一総の乱れも無く整えてある。
歳は四十代、でも顔が良い所為か若く見える。
写真で一度見た。
十四郎のお兄さん、だ。
光沢のあるスーツを隙無く上品に着こなしている。
仕事の出来そうな男って、不思議とスーツが似合うよね。
大人の男の色気、みたいなものが漂ってくるタイプ。
ウチの店でもこの男ならイケるんじゃないか。
何も二十歳かそこらのガキばかりが売れっ子ホストになるわけじゃない。


「失礼します」
背後に長身の男を二人従えた十四郎のお兄さんに、黒服ですら少し怯える。
美形だからか、笑顔なのが余計に怖い。
人を使うことに慣れきっているような威圧感。
言葉は丁寧なのに、漂う気配は明らかに支配する側の人間のものだ。


十四郎を寝かせてあるゲストルームの一つに通すと、
「十四郎、だいじょうぶか」
お兄さんは信じられないくらい優しい声で告げ、起き上がった十四郎に自分の上着をかけてやる。
「…電話に出ないから心配したよ。今日はウチに来なさい。主治医の先生を呼んである」
「きんとき、と…かえる」
まだあまりろれつの回らない声で俺の名を呼ぶ十四郎の傍にそっと寄ると、
十四郎が俺に向かって熱に浮かされた目で、帰ろう、と言う。
恋人になって知った、甘さを秘めた十四郎の声。
それだけで、抱きしめて連れ帰ってしまいたくなった俺は必死でその手をおしとどめた。
倒れた時に何人もに見られている。
何より十四郎の身内が来ている。
あくまで俺達は気の合う友人でルームメイト、でなければ。
男が俺を見る。
何の感慨も無い視線。いや、無表情の奥に何かを隠した。
「ああ、一緒に暮らしてる方だね。でもこの方はこれからお仕事だろう?」
幼い子に言い聞かせるような穏やかな声に、十四郎が頷く。
「まってる、ここで」
「ご迷惑になる。さ、今日のところは私と帰りなさい。お前はお医者様に診て貰ったほうがいい。ね」
優しいが有無を言わせぬ迫力があった。十四郎はしばらく動かなかったが、「めいわく…」
とぽつりと零すと瞬きをした。
「はい」
十四郎はこくりと頷くと、男の手を支えに起き上がり、自力でゆっくりと部屋の外へ歩き出した。

それから十四郎はドアを開けてすぐ、待ち構えていた店の人間に頭を下げた。
「ご迷惑をおかけして、申し訳ありませんでした」
育ちの良い生き物が場違いな空間にいるので周囲はおどおどしながらも一応、慌てて否定する。

「先に車に乗っていなさい」
男は十四郎の肩をそっと押す。
運転手が十四郎を支えて歩いていくのを見送りながら男が神楽に名刺を差し出す。
一瞬でこの場の誰が「ボス」なのか見抜ける観察眼は大したもの。
「このたびは、うちの弟がご迷惑をおかけしました。後日あらためてお詫びを」
「構わないネ。土方、金ちゃんの大事な人。なら家族みたいなもの。自分の身内に親切にする当然」
「ありがとうございます。お嬢さん」
にっこりと男は笑う。
確かに神楽は若すぎるが、チャイニーズマフィアの女ボスをお嬢さんなどと言える人間を久しぶりに見た。知らないって怖いよね。

「金時さん、でしたね」
「どーも」
男は笑みを崩さずに続ける。
「一度ゆっくりお食事でもと思っていましたが、このようなカタチでお会いしてしまいました。
次は是非一席用意させてください。あの子と三人で」
「はい、お兄さん。十四郎をよろしく」
男は一瞬驚いたような表情をしたが、すぐにまた品のいい表情を浮かべる。
「では、また」

育ちの良い王と生粋のお姫様を乗せた車は夜の街を滑るように消えた。




「……土方です……金時さん、先日はご迷惑をおかけしました。
十四郎ですが、体調は安定しています、ですが念のためあの子は暫く家で過ごさせます。何かありましたらこの番号に」
電話に吹き込まれたメッセージは簡潔で、やっぱり有無を言わせぬ迫力があった。
この番号に、ということは会いに来ていいとは言っていないのだ。
あのときの男の無表情を思い出す。
頭の良さそうな大人の男だったから、どの程度かはわからないが、感づかれている気がした。
そもそも昨日の来訪、携帯のGPSで追ったのだろうが、どんだけ過保護なのか。
あまり歓迎されていないのは判った。
まぁ、可愛い可愛い末っ子が見るからに軽薄そうなホストと暮らしているなんていい気はしないだろう。
よく反対されなかったもんだ。
それだけ甘やかされてるのかもしれないが。


俺は丁度デカイ仕事を控えていたから、
正直十四郎が安全な場所に居てくれるほうがいい。
そう頭ではわかっていても感情の方は別だ。
しばらく十四郎に会えない。
それだけでこんなにも心が塞ぐ。
俺なんかにも心というものがあったのかと驚くのはこういうとき。
いつも十四郎がらみだ。
十四郎が居ないと、この広い部屋は作り物みたいに見える。
無機質で、味気ない。

あの熱に浮かされた顔で俺の名前を呼んで、帰ろう、と言って。
何度も頭の中をその場面がまわる。
「……ッ、ハァ……」
最低だと思いながら、十四郎の匂いの残るシーツに顔を埋めて、ひとりで自慰をした。
性器から虚しい液体をどろりと吐き出した後、どうしようもなく寂しくなる。
虚脱感。
気分がのっているときは、俺の性器をあの綺麗な手で扱いてくれる。
口でしてもらったことは無い。
大事さが先立ってそこまでさせられない。
俺は十四郎の全身を舐めて可愛がりたいくらいだけど、十四郎は口でされるのが苦手のようだ。
女にもほとんどさせたことが無いのだといっていた。
いたってオーソドックスなセックス。でも十分に満たされて、おなか一杯になる。
ノーマルだった十四郎にとっては俺とのセックスだって相当に覚悟がいっただろうことは想像に難くない。
はじめてのときは相当泣かせた。
可愛くて可愛くて、頭が変になるんじゃないかってくらい気持ちよかったし、
胸が一杯になったけど、同じくらい震える身体が痛々しくて可哀想だった。
あのプライドの高い十四郎を、あんな風にさせて。
もしバレたらオニイサンに殺されるんじゃねぇかな、俺。
はは、と乾いた笑いが漏れる。
息を吸い込むと十四郎の匂いがして、俺は何とか眠れるようだった。







年上の妻との間には子どもが居ない。
おそらく一生望めないだろうと医者は残酷な現実を告げた。
だが十四郎がいる。
我が子も同然に慈しんできたあの子が。
父親と神が私に残してくれた天使か何かだと思って、大事に大事に育ててきた。
利発で愛らしい弟で、成長するほどに聡明で美しい人間になった。
出来ればこの家で一緒に暮らして、あの子に相応しい女性が挨拶に来て、
あの子によく似た可愛い子が、そう思うだけで慰められた。

なのに、まだ幼いと感じさせる姿のままあの子は異国の地で一人で暮らしてしまった。
そしてやっとこの国へ舞い戻ってきてくれたのに。
いま、私以外の男を選んであの子は一緒に暮らしている。

「あなた」
妻が苦笑している。
「怖いお顔をしてらしたわ」
「すまないね…そんなにおかしな顔だったかい」

「…あの子のことね」
「困ったな。すっかりお見通しかい」
「あの子が選んだ方だもの、大丈夫よ」
にっこりと笑う妻に少し安堵を貰う。

「あなたがご心配なさるのもわかりますけれど。しっかりしてますから」
「あの子は意外とうっかりしているから、心配なんだよ」
「あら、それは」
「……私たち兄弟が甘やかした所為だね」
「外野から言わせて頂ければ、そうなりますわ」
「さて、あの子の様子はどうだい」
「さっき起きられて、今着替えてらっしゃいますわ」
「そうか、なら見に行こう」
「まだお着替え中ですよ」
「構わないだろう」
「…駄目です。あなた」
「……わかった」
降参、だ。
最愛の女性に怒られては引き下がるしかない。

「明日はあの子を食事に連れて行こうと思ってるんだが、君は予定が空いているかい」
妻はふふ、と笑う。
美しい顔のなか、こういう愛想は美徳だ。
トシにはなかなか身につかないがそれもまた良い。
「ええ。でも病み上がりで平気かしら?」
「もうとっくに元気になっていたよ。ただの貧血だそうだ。むしろ栄養を摂らせないと」
「あら、では一度帰らせてあげたほうがよろしいんじゃありませんか。ルームメイトさんに逢いたがってましたよ」
妻がくすくすとまた笑う。
お見通し、といった体。
「たまには私が独占したってバチはあたらないと思うんだが」
「ふふ。そうですね。最近はほとんど家に来てくださらなかったし」
「あの子のスーツはクリーニングに出してあったかい」
「ええ。明日の朝には届きますわ。でも和装の方が慣れていません?」
「それもそうだね。じゃあ懐石にしよう。君も和服にしてくれるかい」
「ええ。十四郎さんの服とあったものにしますわ」
「いちおう予約をしておかないとな」


「あなた」
「なんだい」
「だめですよ、ちゃんと帰らせてあげないと」
「……君はいつも何でもお見通しなんだね」
「あの子からくれぐれもあなたをよろしくと頼まれていますから」
「でも少しくらい良いだろう。手元に置いておきたいのを我慢しているんだ」
「もうこどもじゃないんですから」
「私には永遠にこどものようなものだ」
「……仕方の無い方」
妻は優しく笑った。



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