普段なら十四郎を絶対に近づかせたくない歓楽街で、
畜生。
十四郎とはぐれた。
よりにもよってこんなところで。
それもこれも。
「銀時、怖い顔じゃーどげんした」
この毛玉の所為だ。
「十四郎はどっち行った」
「あっちいっとおせ」
「アッチじゃわかんねぇんだよ毛玉」
「あはははは」
「殺すぞ」
襟元をいきなり掴みあげられて、しかも本気の力だ、と坂本は笑いを控えた顔。
「…辰馬、真面目に聞くが、さっき俺に声をかけた奴はお前の差し金で、
目的は十四郎と俺を引き離す為か」
かまをかけてみる。
ギリギリ締め上げているのに顔色が変わらないのは流石。
ばれたか、という顔で坂本は頭をかいた。
「よくまぁ、一瞬でそれだけ判断できる。流石は金色夜叉じゃ」
サングラス越しの目は笑っているが、金時には笑いでないことがわかる。
それだけ長い付き合いだ。
「言え、なんでだ」
「晋助がのぅ、気にしちゅう」
「高杉がなんだってんだ」
高杉も、お前の感情も知るか。
「今日、これから『仕事』に行くちゅうのはどうじゃ」
「クラブは休みだ、さっき行ってきたしな」
「…金時、そげん冗談おもしろくなか」
仕事といえば、ひとつしかない。裏の話だ。
「十四郎と出掛けてるの、わからなかったのか、ァア?」
「仕事やらんちゅうのはあかんぜよ、金時。おまんがおらんようになったら、アッチの仕事は滞る」
「俺が居なくてもなんとでもなるだろ。俺は今日あの子と一緒に新しいリネン買いに行く予定なんだけど。で、今日は一日中一緒に過ごすの」
いっそあんな腐った仕事なんかやめてしまえ。
「晋助ひとりじゃ荷が重い」
「知るか」
アイツが勝手に引き受けてんだ。俺が知ったことか。
あの偏執狂は死体を量産することがロードワークなんだよクソッタレ。
「あんま、オンナの尻ばかり追いかけてちゃー、よくないぜよ」
「テメェにだけは言われたくねぇ」
その口であの子をオンナ、なんて言うな。
テメェが馬鹿みたいに遊んでる女とは違うんだ。
「わしのは一過性じゃき」
「女に刺されて死にくされ毛玉」
「あっははは手厳しいのぅ」
「十四郎はどっちに行った?」
「教えるのはええが、仕事はどうなるんじゃ。
今教えてもまた改まらんよぅならわしゃ、こがんことばっかししちゅうことになるな。
綺麗じゃがあの子ぉは普通の子じゃろ?ちっくと間違ってしまえば、もう」

脅し、に近い優しげな台詞に金時は坂本の襟首を手放すと、立ち止まる。

「…なぁ辰馬」
「なんぞ」
「頼むから……俺から、十四郎を奪わないでくれないか」
女を弄ぶような仕事をしているくせに。
しおらしいこと、とふざけようかと思ったが、結局坂本の動きは止まる。
金時の手が震えているのだと気付いて。
この男が震えるのを初めて見たのだと頭の中の冷静な部分が告げる。
幼い口調で金時は言い募る。
「…やっと、見つけた人なんだ。俺のこと、全身で好きだって言ってくれるの。俺に帰る場所くれたの。
俺のこと何にも知らないのに、俺の全部を赦すって言うの。笑いたけりゃ笑え。
かわいくてかわいくて、ぐちゃぐちゃになる。だって俺の手は血みどろなのに、その手を触っても舐めてもあの子は綺麗なんだよ。
かわいくて頭おかしくなる。
親にも周りにもむちゃくちゃ愛されて生きてきて、俺に無いもの全部あって、優しくて素直で一途で、全部きらきらしてるんだ。
俺に無いもの持ってるのに、それ全部俺にくれようとしてるの。
俺が一生手に入らないって思ってたもの、全部あの子が俺に差し出そうとしてくれてる。
俺がやっと本気で愛せた人なんだよ……」
混乱して涙がぽろぽろ溢れてくる旧友の目を見てしまえば、何も言えなくなる。
「あの子が、俺の前から居なくなるって考えただけで、心臓が握りつぶされるみたいに痛ェんだよ…」
金時はそれだけ言うと、目元を拭うこともせずに言い募る。
何となく、指を伸ばして拭ってやりたかった。
拒まれるだろうが。
「…あの子が死んだら俺も死ぬ。あの子に何かした奴、地の果てまで追い詰めて、嬲り殺しにして、死体はぐちゃぐちゃにして犬に食わせてその犬も殺す。高杉でもお前でも誰でも殺す」
言い切ると金時はすっと気配を希薄にした。
殺気だと気付く前に坂本はシャツから覗いた胸に押し当てられた拳銃、その動きのあまりの素早さに瞬きをした。
「きんとき」
金時はもう何も言わない。
この落差がこの男の狂気の片鱗。
笑いながら、何度この手が人の命を踏みにじっただろうか。
両手を挙げて降参、の姿勢をとるがまだ疑いが残るのか銃口がぐりぐりと押し当てられて痛みすら伴いだす。
「わしが悪かったぜよ」
紅く、熱を持ち出した胸の皮膚に怒りが篭もっているようで苦笑するが金時はもう何も言わない。
「おまんの恋人なら、こっから右、行き止まりのほうに行ったからじき戻ってくるきぃ」
来るまでなんて待てない、とでも言うように金時は踵を返した。

本気で怒らせてしまった。
大事なのは金時も晋助もヅラも等分。
みな、愛おしい仲間。
その関係に異物が入り込むことに怯えているのは高杉ではなく、自分なのかもしれない。
異物。
一人の人間に入れ込む真似は恐ろしくて好きではない。
誰のものでもなかったはずの金色の髪を見送りながら、坂本は溜息を吐いた。
金時のオンナ、を酷く意識していたのは高杉だ。
ならば近いうちに動き出すと踏んだ。
自分がこうすれば金時は少しは警戒するだろう。
そうでなくとも、金時は敵が多い。
日のあたる場所で大切に育てられてきたと思しきあの恋人のためにも、もう少し気を張らなくてはならないのだと。
三下ならいざ知らず、
晋助と金時では下手をすればどちらかが、あるいは両者が再起不能までやりあいかねない。
それだけは避けたかった。
何より、恋人に何かあったときの金時が心配だった。
本当に晋助の言うように、本気で惚れているのだとしたら金時は壊れてしまうのではないかと。
そして、金時はその通りの狂態を見せて去った。
自分に対して、あそこまで本気で殺気を漲らせたのがショックというよりは新鮮だった。
やはり自分は救い難い。
あの冷たい男の琴線に触れたのが女ですらなかったなどと俄かには信じがたかったが。
見てしまえばもう認めるしかない。
あれは最早狂気であって恋ですらない。
金時は昔からそうだ。
ある種、晋助よりも危険なところがある。
飽きればあっさり捨てる高杉と違い、金時には飽きるという概念が無いように見えた。
相手が人であれモノであれ、死んでも壊れても一緒にいるのだという、狂気の執着。
それが金時を愛おしいと思う理由の一つでもあったが、ときに恐ろしくもあった。
捨ててしまえばいいのに。そう何度も思ってきた。
遠くへ行くことで何もかもを置き去りに出来る自分と違い、金時は地面で星を拾い、星と共に崩れ落ちる。
愛おしいのだ。
だが、自分は金時の贄になる気は無い。
晋助の玩具になる気も無い。
桂に付き従い総てを見守ることも無い。
だから自分は結局、三人の誰からも、蚊帳の外だ。
選べないからだ。
等分に、愛しいから。

醜い言い訳。

結局、自分が一番可愛いのだ。
宇宙を見て、地面の醜さから目を逸らす。
だから陸奥に、また、怒られてしまう。
陸奥。
出来すぎた女。
彼女を愛せたらどんなにか幸せだろう。
おりょう、の呆れた、だが優しい顔も浮かぶ。
自分は馬鹿なのだ。
男も女も運命も、選べない。
ただひとつを狂おしいほど愛せば自分もともに死ぬ。
他者に明け渡せるだけの心を持たない。
愛を愛だといえるだけのものが無い。
見た事が無いものは触れられない。
それだけ考えて、なんだか少し泣きたかった。

金時も晋助も自分も。

見た事が無いものに一生惑い、

いつかくたばるのだろう。


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