運命の恋人
土方はいつも日常の色を連れてくる。
一緒に修学旅行に行く話は土方が学園の仕事を自宅に持ち帰ったからだ。
金時の最愛の恋人である、土方十四郎の勤めるミッション系の私立スクールは少々変わっている。
小学校から高校くらいまでの子供が通うその学園は設備が良く学費も高い。遠方からの学生に配慮して寮も併設されている。
学園の生徒は実に多様だ。
一般の学校に馴染めない子供や特殊なカリキュラムに惹かれた親に通わされる子供、海外留学を念頭にした育成を望む者、起業志望、モラトリアムの延長、およそ普通の学校組織というものの枠には当てはまらない。
昨今脚光を浴びている新しい形態のスクールのひとつ。
土方も公立高校では有りえない良い待遇と自由な校風でのびのびと講師(学園では教師という呼称はあまり使われない)を勤めている。
そんな学園にもいわゆる「修学旅行」はある。
希望者のみの参加で強制ではないが半数以上は参加する。
土方は大体そういった説明を金時にした。
土方はレトロな「修学旅行のしおり」を持ち帰って校正をしている。
なんでも放課後に女子生徒に追われて(土方は物凄く人気があるのだ)校正が出来なかったらしい。
「オマエは旅行どうだった?」
土方が冊子から顔を上げると金時を見つめた。
「俺、修学旅行なんか行ったことねェモン」
金時が軽く言うと土方はそうなのか、と返した。
必要以上に深刻な顔で何か言われる(店の女の子にはよくいる)のが苦手な金時は土方のこういうスタンスが好ましい。
別に何も同情を引きたくてしていることじゃないのだ。
金時の生い立ちやそれにまつわる諸々はただ単に事実であり過ぎ去った過去なのだ。
過去は過去であってそれ以上でもそれ以下でもない。
金時はそう思っている。
時折金時の断片を欲しがる女の子達に気紛れに投げ与えることがあってもそれは商売をスムーズに運ぶ為の潤滑油のような働きをしているに過ぎない。
人はそれがどれほど過酷であっても、
それが現実である限りは何らかの形で順応する生き物なのだ。
「できた?」
「大体な。読むか?」
手渡されて金時はぱらぱらと何気なくページを捲る。
「うわ、生意気。今時のガキって海外なんか行くわけ?」
親の金でイイ身分〜。茶化す金時に土方は少し笑った。
「国内組と海外組、選べるんだ」
「へぇ…」
飽きたのか放るように冊子を硝子テーブルに投げた金時に土方は向き直った。
「お前、どっちがイイ?」
「へ?」
「国内と海外」
「えーどっちでも別に…」
他愛の無い事を聴かれていると思ったのか金時は適当に返したが土方は真っ直ぐに金時を見つめて、その視線の強さに金時はどきりと固まる。
「修学旅行、するんだよ」
土方の言葉に、金時はちょっと面食らったような顔をした。
「大人がしちゃいけない理屈はねェだろ?まぁ国内の方が休み取りやすいか」
「…一緒に行ってくれるの」
「お前、嫌だってのか」
ぶんぶんと激しく首を振った金時に土方は満足げに息を吐いた。が、金時にはその態度がどこか安堵を含んでいるのが感じられて好ましかった。
横柄に見せながら土方は物凄く気を使う。
二月と八月は客があまり来ないので休みを取りやすい。
金時は土方と出かけるのが好きで旅行にも良く誘っていたから、とまりで出かけるのが負担になるタイプではないと考えたのだろう。
金時ははっきり言って土方にベタ惚れだったから繁忙期だろうとなんだろうと休みは取っただろうし、
土方と旅行なんて一も二も無く賛成だったが。
土方の節度や礼儀を忘れない態度は馴れ合いや凭れあいの渦の中で生きてきた(生きている)金時には新鮮で眩しい。
その他人行儀さが口惜しいと思うことも実は多いのだけれど。
土方は相手にどれだけ負担をかけないか、を考えているタイプなのだ。
愛している相手なら尚のこと。
独占欲の塊である自覚のある金時には、
土方がいつ自分を重いと感じないかという不安が常に頭の片隅にある。
言い出したことはまだないけれど。
「金時、着いたらやっぱ集合写真撮るもんだろ」
すみません、と声をかけるまでもなく、
カメラを持ってあたりを見渡せばすぐさま女が
「お撮りしましょうか」
と申し出るのは土方の特権だろうなと金時は思う。
仕事で女の子に尽くしている
(ように振舞っている)分、プライベートの金時は驚くほど女に素っ気無い。
勿論如際無く振舞って大抵のお願いは叶えてもらって生きてきたが、
土方のように特に女に媚びたりしない態度でもほいほい言う事を聞いてもらえるのは一種の才能なのではないかと金時は思う。
ホストに向いてる…とは絶対思いたくない。
酒があまり強くないし、などと言い訳を考えてみるが結局はしょうもない独占欲だ。
「綺麗だな。空気が澄んでる」
土方は眼を細めてそう言った。
俺は空気が澄んでるとか、そういうのはよく判らない。
土方は綺麗なものや小さなものがとても好きだ。
仕事の都合でづれこんだ二人きりの「修学旅行」は結局9月になってしまった。
木々が色を変え始めている。
土方とゆっくりと歩いていく道すがら、気の早い葉が僅かに落下し始めて道を染めているのが目に入る。
土方はキラキラ光る眼でそれを見つめている。
俺にはそれらを美しいと思える情緒が培われていない。
俺の頭にあるのは、例えばこんな色じゃ擬態には向かないとか、そういうことだけだ。
土方が綺麗で、遠くて、幸せそうで。
俺はそれを、それだけを美しいと思える。
それだけは美しいと思えるんだ。
「変な土産!何コレ!!日本の夜明けって何だよ!夜明けなんか毎日くるって」
「いや、お前、これ最高だろ。店に飾れ」
「えー!とーしろ、ウチの高級感溢れる店内をなんだと思ってんの」
土産物屋の店内でゲラゲラ笑うと土方は破願する。
物凄く可愛い。
結局悪趣味なタペストリーは(嫌がらせ目的で)ヅラに買って帰ることにした。
この間ステファンとかいう趣味の悪いヌイグルミを押し付けた意趣返しだ。
「日本の夜明け」
と言う寒いタイトルのタペストリーを嬉々として受け取ったヅラに更なる距離を感じたのは旅行後のこと。
(ステファンは純然たる好意らしいと気付くのはその直後だ。だからと言ってありがたいとは少しも思えなかったが…)
「オーナーとかマネージャーとかにもちゃんと買って帰れよ。店の人間用にお菓子とか、そうだな、傷みにくくて量が多いヤツがいいな」
土方は真面目にそういうと品物を物色しだした。
土方と神楽、新八は意外と仲が良い。
二人の為に何か買って帰るつもりなんだろうな。
ふと、目に留まった小さなキーホルダーを見ていると土方が言った。
「生徒によるとな、カップルで揃いのモン買うのがセオリーなんだと。俺のときもそうだったなー。変わんねーな、ガキのすることはさ」
「あら、モテるトシ君は女の子とお揃いのモン買ったんだー」
土方の高校時代とか、超可愛かったんだろうなと考える。
惜しいことをした。
神様(信じていないけど)は俺とトシをもっと早く逢わせなかったんだチクショー。
あ、神様信じてないのがいけなかったのか?
それともナニか、俺にトシをやらないつもりだったのか。
なら俺の悪運が勝ったんだな。
休憩の為に入ったカフェで、甘いパフェを食べる俺の向かいで土方はブラックコーヒー。
やたら絵になる感じ。
「さっきの話だが、揃いのモンを二つ買って、一つ好きな奴に渡してつけて貰うのが楽しいんだとさ」
土方はそういうとキラキラした石がついたストラップを目の前で軽く揺らす。
「ホラ、そういうこったから持ってろ」
「…いつ買ったの?」
「お前が居ないときにこっそり」
さっきの話、少しだけむくれた俺に気付いていたのか、トシは何食わぬ顔で俺の前に揃いのストラップを差し出す。
「……大事にするね」
嬉しくて気の利いたことが言えない俺はただ馬鹿みたいに大事にそれをしまい込んだ。
土産物屋の小さくて可愛い、子どもの持ち物のようなチープなストラップが何より大切なものになった瞬間だった。
本当に、俺は高校生で、恋人になれたトシと一緒に旅行に行ったみたいだ。
店のナンバーワンが3日も連続で休みやがったせいでナンバー2の高杉晋助はここ数日オーバーワーク気味だ。
もともとあまり客に媚びないタチの高杉は辟易したが、小うるさい桂に説教され、マネージャーに泣きつかれ、いやいやながら仕事をした。
そんな高杉にきらきらとリフレッシュしきった顔で金時が言い放った。
修学旅行にね、行ったの。
腑抜けたツラを晒した金時が目障りに笑うモンだから朝から下降線を辿っていた高杉の機嫌はさらに底辺へと落下した。
構わない金時は歌でも歌いそうにご機嫌だ。
「はい、お土産」
視界の隅で気色の悪いタペストリーを押し付けられたヅラに眉をひそめていたら、金時は俺にも何やら怪しげな箱を差し出してきた。
「…毒入りか」
「お前、ウチの可愛い可愛いハニーが渡せっていうから仕方なく持ってきてやったんだぞ。ありがたく頂戴しろ」
「ハニー?お前ついに女に引っかかったのか。ナンバーワンホストも落ちたな」
馬鹿にしたように鼻で笑ってやると忌々しい金髪頭はさらに忌々しい弛んだ笑みでなれなれしく俺に触れた。
「晋ちゃん、人はね、一生に一度の恋に堕ちてしまったらもうあとは貫くのみなのよ」
うふふ、と気味の悪い笑いをした金時を押しやる。
と、相変わらず耳障りに笑っている黒い毛玉が店に入ってくるのが見えて高杉の機嫌はさらにさらに落ちた。
「アッハハハハハ!!!ギントキじゃなかー!久しぶりじゃの〜」
「金時だ。潰すぞ毛玉」
「おおう、晋助がおるっちゅうのも珍しいのぅ、ヅラはおらんのか、再開を祝して乾杯じゃ!!酒持って来ぉ」
「今からさんざん仕事で飲むんだっつの!!」
相変わらず人の話を一ミクロンも聞く気がない毛玉に高杉はひくりと米神を引くつかせるが、
怪しげなタペストリー片手に日本の夜明けは近い!
とかなんとか言っているヅラを見てもう何もかもが嫌になった。
よっぽどゴミ箱に捨ててやろうかと思ったが、
何だかんだで律儀な高杉は包みこそびりびりと破いたものの金時に押し付けられた箱を開けた。
美しい紅葉の絵葉書と、銀色の煙管が入っている。
シンプルで無駄な装飾の無いそれに何気なく指先を滑らせると、思ったより手に馴染む感触。
明らかに金時が選んだとは思えない品。
「…金時の恋人、ねェ……」
そういえばもう、暫く故郷に帰っていない。
紅葉も見てはいない。
もうすぐ見られる季節だ…
けばけばしい歌舞伎町のネオンに照らされて、毎夜浴びるように酒を飲む。
所詮仮初の日常。
人を殺すまでの繋ぎ。
それを後悔していたわけではないが。
血みどろの日常を潜り抜けてきた自分達には平穏など遠い国の出来事のようなものだと思って生きてきた。
金時も桂も坂本も。人に言えるほどご大層な人生を送っていない。
誰の手も等しく血で濡れそぼっている。
オーナーの神楽とて、隠しきれない血臭を漂わせた恐ろしい小娘だ。
この店も、自分達のように後ろ暗い世界で生きている人間の巣。
蜘蛛が網を張るように獲物を嬲り、痛めつける為の捕食の道具。
そこを住処とする自分達には、争いこそが日常。
その日常を金時は塗り替えようと躍起になっている。
高杉には直ぐにわかった。
聞けば、金時は最近裏の仕事を選ぶようになったらしい。
ヅラや自分と組んでする仕事を断る回数も眼に見えて増えた。
神楽は良い傾向だと思っているらしいが、高杉は何故だか苛立った。
真っ直ぐ帰宅する浮かれた後姿を高杉は見るとも無しに眺める。
「…牙を失くしたか、金時よォ……」
血みどろの渦中で誰よりも冷静で残忍な男であったくせに。
今更、普通の人間になれるだなんて、まさか思っちゃいめェな?
近頃妙に浮かれ、気の緩んだツラを晒していた目障りな昔なじみ。
お前の牙を抜くのが運命のオンナとやらであるのなら。
酷く興味が湧いた。
土方は真っ直ぐ俺を射抜くと唇を合わせてきた。
そのまま軽く下唇を噛まれて身震いする。
目を開けたままでするキスも好きだ。
土方の眼が段々潤んでいくのを見ているとたまらない気分。
瞼に薄っすら静脈が透けて見える。
皮膚が薄くて透き通って酷く綺麗だ。
吐息だけで会話する。
そういうときがまた楽しくて好き。
土方は香りの良い風呂に長いことつかっている。
バスルームから零れだした匂いが鼻腔を擽る。
女の子みたいって言ったら怒るよな。
でも疲れた俺の為にカモミールにラベンダー、レモンバーム。
いくつもあるアロマオイルやバスバブル。
それらすべて土方の愛情なので。
小さくて可愛らしいそれらが俺は大好きだ。
女子生徒や同僚の女教師がご親切に贈ってくれた品々も混じっている。
複雑だったのは最初だけ。
全身で俺を好きだと訴えてくれる土方のおかげで俺のビョウキもマシになった。
土方と出逢ったばかりの頃の俺ならきっと全部捨てた。
他の女の臭いがするものなんて見るのも嫌だ。
…いや、俺ってやっぱ嘘つきだ。
信じることができるのは土方が俺を愛してくれているからで、俺が譲歩しているわけじゃない。
むしろ俺のビョウキは酷くなっている。
時々自分で怖くなるくらいに。
俺の心臓やら感情やらの蓋を開けたらきっと真っ黒な何かがつまっているんだろうなぁ。
土方に隠し通さなければいけない過去ごと真っ黒。
モノにさえ妬かなければいけなかった時期が通り過ぎたからといって少しも安心できない。
俺はどうしようもない男だから土方、俺の手も足も目も耳も口も体も何もかも離さないでいてくれよ。
おねがいだからさ。