俺は過去に天使を手にかけた。
その天使はいたいけな少年の姿をしていて、俺の性癖をじっとみつめて、
一言も俺を否定しなかった。
天使が欲しかった。
羽根が欲しかった。
唇が欲しくて、髪が欲しかった。
「愛している」
生まれて初めて心から囁いた。
天使は人間とは違う言葉を喋るのか、俺の言葉が理解出来ないようだった。
天使は何度も俺と遊んだ。
可愛い子だった。
あれは何だったか。
きっかけはつまらないことだきっと。
些細なことだった。
何がそんなにも俺の中の化け物に訴えかけたのかは今を持って判らないが、
俺はそのとき確かに壊れた。
気が付いたら天使は床に倒れていて、血だらけで、
ああ。
そうだ。
天使はもう心に俺の一番憎む相手を住まわせていると笑顔で言ったんだった。
それは俺にとっては裏切りだった。
勝手な話だ。
あの子には何の罪も無い。
いつか高杉があの子を抱くのだとしても、それは二人の問題であって俺の世界ではない。
嘘だ。
嫌だと言うかわりにあの子を壊そうとしたんじゃないのか。
あれから、12年経つ。
神楽も大人の女になって、俺は店のオーナーに収まった。
血飛沫が飛んだ。目の前で真っ赤に染まったフロア。
血は、赤いものだがこの場においては黒いものでもある。
それは俺のフザけた視界がモノトーンだからというわけじゃなくて、五人もの人間の流す血は、それだけ
の量だということだ。
野次馬のひきつった悲鳴も罵声も喧騒も遠い。サイレンが鳴り響く。泣き叫ぶみたいに。
目の前の修羅のような男だけが、ただ鮮やかだった。色が、洪水のように目の前に押し寄せてくるのに
悲鳴を上げたくなった。
ただこの男だけ、目の前の血濡れの鬼のような、なのにそれが残酷なまでに似合った美しい男だけが、
腐りかけた俺の視界に色を押し付けてくるのだ。目が合って、体中が歓喜と興奮でぞくぞくした。
視界を蹂躙する圧倒的な黒と赤。
空気までも、彼の存在に悲鳴を上げているようだった。
「土方さん」
地味な男がそっと彼にブランケットを被せている。
血の匂いが充満している。
「あ………」
見間違えるわけが無い。
繰り返し、夢に。
立ち上がったその人はゆっくりと俺を見下ろす。
その綺麗な唇が笑みのカタチを作った、ということだけを頭が理解する。
「……ひじかた、君」
名を呼んだ瞬間に膨れ上がった彼の部下の殺気を受け流し、金時はただ正面を見た。
金時が土方を見たように、土方も金時を視認した。
瞳孔が収縮し、黒々とした眼が気狂いのそれに近づいた。
部下達が案じている。が、女王は美しい笑みを見せた。
それから、護衛としてきていた河上を振り返って、女王は笑う。
さあさあ、切り落とした首にキスをしてやろう。
そのまま坂田金時に一足飛びに近づいた後、
恐ろしい乱雑さで引き倒す。
荒っぽい所業に、場が緊張と動揺に支配されたが金時は呆けたように見上げて抵抗の一切をしない。
行動に先を読んでしまって身構えた河上に、女王は悪辣な笑いを浮かべる。
断罪だ。
何かが河上の頭に囁く。
「お前はとっくにコイツを見つけていただろう河上!!」
怒鳴り声に空気が震えた。
ぎらぎらと美しい殺気で笑い、残酷な真実を告げる。
「晋助に伝えなかったのはお前があの男を愛してるからだ」
河上は観念するには未だ早かったが、諦めを滲ませて口を開く。
「……拙者達の中に愛は無いでござる」
馬鹿な答えだ。
案の定、女王、土方は嘲るように笑った。
「じゃあ、晋助に連絡しろ。坂田金時の首をくれってな」
「………」
「無理だよなァ、晋助はどうせ心の中じゃこいつを殺したくなかったんだろう?!あはははは」
ガッと首筋を掴まれて坂田金時は驚愕に目を見開いた。
無様だと河上は思う。
舌打ちしたい気分だ。
構わずに手荒な手が地面に金色の髪を叩きつけた。
「上手に踊ったんだいいだろう?なぁ?ああん?」
首を寄越せ。
「あんなに長い間踊ったんだ!!!」
叫ぶ声は慟哭のそれに似ていた。
晋助の狂気に長く長く付き合いながら狂わないでいた心が悲鳴を上げて血が噴出す。
土方に触るものは選定され、管理され、高杉晋助の支配下に置かれた。
土方の自由意志は晋助の情愛の前に霧散した。
愛している、そう、それが免罪符だった。
愛しているから、いちばんに愛しているから、お前を愛した人間は殺してしまわなければいけないだなんて、そんな理屈。
ああ可笑しくって。
だって、なぁ?
愛してなんか、いないくせに。
「頼めばそりゃ、赦してくれるかもしれないな。自惚れてるんじゃねェ。勘違いするなよ河上」
「………怖くないのでござるか」
晋助が、もし。
「俺が怖がってるんじゃねェ。わかってるんだろ?見苦しい口上はやめろよ。
仮に、晋助が俺を選ばない、この男を選ぶってんならそれはそれで面白い」
本当に愉快そうに言う。
「河上、お前が怖がってるのは」
にんまりと薄いが整った唇が弧を描く。
「傷つくのは晋助だからだ。大事に大事に可愛がってたガキと殺したいくらい憎んでるのに殺せない昔の馴染みを天秤にかけたあげく、ガキじゃなくて憎悪を選んじまうような甘ちゃんだって知りたくねェんだろうさ」
傷つかない。
とっくに知っていたからだ、つくづく駄目な大人たち。
笑いが止まらない。
裸で踊ったのだから、首を頂戴って。
愛してるから、俺の我が侭を赦してくれと晋助は言った。
そして俺から総てを、晋助が与えるもの以外のすべてを剥奪した。
なぁ、わかってるか晋助。
お前は嘘を吐いている。
だって、おまえ、俺だけを愛してなんかいないだろ。
だったら、免罪符は価値を持たないだろ。
おまえはおまえの亡霊だけが好きなんだろう?
知ってて、付き合った河上は、やっぱり頭が良くて俺のことなんか死んでもいいと思ってるんだろ?
「そこまで知っているのでは、主を………殺すほかない」
淡々と河上は告げた。坂田金時の眼が、一瞬でまるで土方を庇うように鋭く尖った事に内心もう一度舌打ちをしたが土方には伝わっていない。
ははは、所詮、俺達は本物の家族じゃない。
なのに何躊躇ってる?甘いな、河上。
そういうところ、実は可愛いとおもってるんだぜ。
「バカだな河上!」
上げられた手のひらで嘘のように鮮やかに。
一瞬で狼達が銃口と刀を向ける。
扉の奥、二階、背後、頭上、死角。
統制された動きに流石の河上万斉も身動きしない。
「俺の飼い犬たちを舐めるなよ!テメェが俺にしつけ方を仕込んだんだろう、地獄で後悔しろや!!!」
「………土方殿」
「命乞いか」
「殺せんだろう、主に拙者は」
ぽつりと、河上万斉は呟き、痛ましい表情で、だらりと両手を下げた。
まともに、顔を見てしまったからだ。
涙で濡れた土方十四郎の顔を。
「ごめん。ごめんね土方君……」
坂田金時が、ゆっくりと、囁く。
縋るように、土方の震える足に、触れた。
「あぁ、ムカツク。お前らみんな殺してェッ……!」
泣きながら狂ったように口走る土方の顔を見上げた金時はその足をもう一度恭しく触った。
「ごめん、一生愛するから、償うから。赦してくれなくていいから、お願い、一緒にいさせて…」
「ッ、うるせぇ……嘘つきどもめ…」
強くなるしかなかった。
なのに縋るしかなかった。
世界は痛みで出来ている。
だから、いつも辛かった。
金時も晋助も俺を愛してるという。
とっくに愛を使い果たしてるくせに。
俺にくれる愛なんか、本当はどこにも入ってないくせに。
やだやだやだやだ。
どうせ、こどもで、世界はいつも俺のためには無かった。
小さくていいんだ。
俺だけのための世界が欲しかったのに、それを得ることを赦してくれなかった。
出来かかった小さな世界は晋助が根こそぎ潰させた。
河上は機械みたいに晋助の言いなりだった。考えることができるくせに。
金時はあの日、俺をぐちゃぐちゃにしたくせに愛してると言った。
嬉しかった。
だから何をされても腹が立たなかった。
なのに俺の前から消えた。
何度も謝って、後悔してるみたいに。
酷い大人たちを慰める為に買われた玩具だったんだろう俺は。
なんだ、俺の人生はそんなことのために在ったのか。
あああ、馬鹿馬鹿しくて涙が出る。
これは馬鹿馬鹿しくて笑えるから泣いてるだけだ。
誓って、ああ神なんていないんだろうが誓って。
ふたりを。
愛してるからじゃ、ねェんだ。
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