最近組織に物凄い美人の「お客様」が来た。
「痛いとさぁ、生きてるって感じしねェー?」
馬鹿馬鹿しい組織の若集の話にも俺はへらりとしながら加わっていた。
「なぁ、山崎ぃ」
俺の方が年上なんだけど、この馬鹿は平気でタメ口。ま、いいけどね。
頷こうか迷っていたら。
音もなくドアが開く。
「…そうだな」
部屋に入ってきた姿に俺たちは緊張して一瞬強張る。
土方さんは少し笑ったみたいだった。
イエス、といったみたいだった。
土方さんが笑うことはあまりないので俺たちは見惚れた。
貴方みたいなマトモで頭の良さそうな人が何でウチで仕事してるんですか、とかボスの愛人ていうのは本当ですか、とか聴きたいことが沢山あるけれど土方さんのもつ空気はそういうことを一切赦さない。
不用意に触れば切り裂かれそうだといつも思う。
やたら美人な土方さんは女にもモテる。
ウチのシマの店のホステスは土方さんが来ていると知るや、ものすごい勢いでつめかけ、俺たちはオマケで歓待を受ける。哀しいような、嬉しいような。
店で一番の売れっ子が隣を陣取るのが常。
俺には一生かかっても触らせてくれないような綺麗な身体を惜しげもなく土方さんに押し付けている。
でも土方さんは女の子に優しく声をかけて、店の様子を聴いたり、仕事の様子、無理をしてないかとか、辛くないかとか、可笑しな客が居ないか、を聴いて現状確認をしたあとは女の子の好きなように話させ、売れっ子が気を悪くしない程度に、あんまり売れてない子にもきちんと声をかけていく。
お陰でみんな土方さんにめろめろだ。
あんな綺麗な子に囲まれても(俺には絶対無理だが、)絶対女の子に自分から触ったり、やらしいマネをしたりはしない。
(まぁそんなことする土方さんってのも想像しにくいが)
店長やマネージャーだけじゃなく、女の子に直接仕事について聞くのは大事だ。
見えない部分というのは絶対にある。
土方さんはときどき女の子の手の内側を痛ましそうに、本当に一瞬だけど、そっと見ているのには何か意味があるんだろうか。
ウチのシマでは稼ぎ頭なもっと下品な店に行くときもあるけれど、猥談も平気みたいで普通に過ごしている。
エロパブなんかの接待も、ショータイムを外して来訪しているからか、土方さんは一度もしていない。
土方さんなら女の子、喜んで乗っかると思うのに。
や、男として憧れるくらいスマートだけどさ。
この人、女の人のこと、かわいそうにって思ってるんだろうな、ってのが俺の勝手な予想。
「熱帯魚の群みたいだ」
そう形容した。
ドレープが尾ひれ。
なかなかにロマンティック。
でもこの綺麗な人が悲しんでるのは、傲慢じゃなくて敬虔、な感じがすると俺は思うのだ。
「…なにやってるんですか」
部下を四つん這いにさせ、その背中の上に優雅に座る土方さん。
「ん〜」
手元の書類から目を離さないまま、声だけは優しげ。
あ、たしかブランド広告にあったよな、こういうエロティックな構図。
「座る場所が無いなーっていったら、どうぞ、ってさ」
無造作に長い足を組み替えた。
あ、椅子がびくって反応した。おいおい、感じてんじゃないだろうな。
「…コメントに困ります。似合いすぎてて」
この人じゃなかったら部下への虐待に見えるだろうなー。
でも椅子が喜んでるから明らかにセーフか。
ていうか俺もやりたいかも、って気にさせられてる俺どうよ。
人生の一大事じゃないか?
こんな性癖があったなんて自分にびっくり。
ノーマル派なんだけど。
や、この人限定か。しっかしまぁ。
「人間椅子、思い出しましたよ、奥様」
「乱歩か。意外と読書家なんだな。ま、俺にポゼッションプレイの趣味は無いからな」
ひらりと立ち上がった土方さんは椅子の役を務めていた男の髪を撫でた。
「ご苦労さん」
この人、なんでコアなSM用語にも詳しいんだろ?
頭いい人だけど、マニアックな感じはしないのに。
まさかほんとに女王様やってたとか。
いやいやいや、ないないない。
この人の色気は清純なんだよね。
なんか。
こんなにエロいのに、なんか、蚊帳の外っていうか、透明な硝子の中にいるみたいな。
うまくいえないな。
「そうそう、ボスがきてましたよ」
「早く言え。ったく」
眼光の奥に底冷えのする光をたたえたボスが、この人の前ではちょっとだけやわらかくなる。
そのせいか、この人は組織の中でも特別な存在になりつつある。
ボスの愛人じゃないかという噂がまことしやかに囁かれているけれど俺の予想はノー。
もしも愛人ならこんなに「偉く」なれない筈だ。
このひと、ソッチの方面で隙が無い。
ボスは狡猾で容赦ない男だ。
たかが愛人にここまでの権限は持たせないだろう。
ビジネスとsexの区別が付かない男はクズだと常々言ってるし。
このひとはビジネスの側の駒、
それも多分クイーンとかルーク。
チェスボードの上を優雅に統べる。
このときの予測は半分ハズレだった。
この人はチェスのプレイヤーで、組織の大事な「お客様」だったからだ。
しかもチェスボードごしに対峙しているのはボスじゃない。
練習用のコンピュータ。
電子音と優雅で虚無的なお遊びができるのは
いずれはお帰りになるお姫様だったからだ。
仕事の一貫として、土方さんの護衛も兼ねて、
豪奢なホテルの一室で、俺は取引相手と裏切り者を見つめていた。
「オラ!とっとと吐けや、手間かけさせんじゃねェよ、チンピラが」
がっと男の顎を蹴り上げた。歯が折れたような音と呻き。
「死にてェのか?あぁ?!」
そのまま男の指が折られる。
「ガァァアアアアア!!」
「オラッ!!うるッせェんだよ!!!あぁ?!」
また、逆の指が折られる。
俺は正直こういうのが好きじゃない。
なめられるのが嫌で目を逸らさないようにするので必死だった。
ふと、気付く。
豪奢な椅子に座って優雅に足を組んで。
眉一つ動かさないで土方さんはその様子を見ていた。
サイドチェストに置かれた白く優美な指先がリズムをとっている。
それが、男の骨が折られるタイミングと一致していることに不幸にも俺は気付く。
悲鳴と罵声の間を縫うように。
どのくらいの力でやれば折れるのかわかりきっている、といった動き。
トン、トトン、トン。
まるでピアノの鍵盤を手慰みに叩いているみたいな、いや、そもそもピアノとかしか叩いたことが無いような優美な指先。
あの指が死のリズムを刻んでいる。
俺はこのもの凄く綺麗な人が、悪魔か何かなんじゃないかと思って怖くて仕方なかった。
散々にした後、
「処理を頼みたいんですよ」
にっこりと笑いながら男は言った。
俺は馬鹿にされてるとわかっていたけど、やっぱ、これ以上はキツイ。
男はもうぐちゃぐちゃになってて、正直直視すんのも苦しいくらい。
押し黙った俺たちを馬鹿にするみてェに男が鼻で笑う刹那。
土方さんがすっと立ち上がった。
一瞬緊張した背後の空気に構わず、
男の傍までよると、見下ろして土方さんは言う。
「……痛いか?」
男はヒューヒューと喉を鳴らす。
「もう、話せねェんだな」
土方さんはまた少し笑う。
「生きてるのってなァ、痛いもんだよな」
土方さんはそういうと色っぽい笑いを口元に浮かべたまま、
「死にたい?」
無邪気に聴いた。
まるで「眠たい?」と聴いてるみたいな優しい声だった。
土方さんはしばらく男をじっと見つめた。
男はヒューヒューと喉を鳴らしながら、顔を少しあげた。
「…ん」
男はもう口がきけないのに、何らかの意思を土方さんに伝えられたようで、
土方さんは微笑んで(いるように見えた)頷く。
「じゃあ、頑張らねェとな」
土方さんはそう言うと、男に何か囁いて商売敵に向き直る。
「まだ、死にたくねェそうだ」
土方さんはそう言いながら指を動かす。
あの、死のリズムを刻むときに似た優美な閃き。
男はヒュー、と喉を鳴らした。
「……喉を潰したら話せねェだろうが」
土方さんが辛うじて呟いた言葉を俺は拾う。
確かに、これじゃ複雑な尋問は無理だ。
情報を聞き出すのが目的じゃなくて、甚振るのが目的だったんじゃないのかと疑いたくなる。
俺たちに見せ付けるために。
死体処理はウチの仕事じゃない。
これだからあいつらの組は嫌いなんだ。
「命の取引、しような」
歌いだしそうな声で土方さんはそう告げて、男の傍まで寄る。
(アイツ、裏切って俺につく気、あるか)
土方さんが何を言ったかは分からないけれど、
男が喉を鳴らした。
「ん、わかった」
男がヨタヨタ起き上がるのを土方さんはじっと待つ。
「頑張れ」
土方さんがそう告げた次の瞬間、
男はぐちゃぐちゃに潰された手を振り上げて、商売敵に向かってこぶしを振り下ろした。
「がァアアアアああアアアア!」
もう、手がどうなっているのか本人にすらわかっていないんだろう、激痛に呻きながら男は一撃を繰り出した。
「おやおや……」
商売敵が軽くかわすと、男は呻きながら床に倒れ、そのまま痙攣し、吐く。
「……何のマネですかね」
土方さんは笑う。
「まだ死にたくないなら、アンタを殺すしかねェんだから、正しい行動だろ」
あっけにとられた商売敵の前で土方さんはまた笑う。
「なぁ」
倒れている男に告げると、また男がぴくりと動く。
ゾンビが無理やり生き返るみてェで俺は怖かった。
もうやめてくれと何かが繰り返す。
「流石にボスの愛人は度胸が違う」
含み笑いと一緒にそう言われた土方さんは少し不思議そうに首を傾げた。
「俺はアイツの持ち物じゃねぇよ」
「おや、有名な話ですよ」
男は好色な視線で土方さんを眺める。
土方さんは少しも動じずに男を見つめた。
酷く綺麗な視線だった。
「さて」
土方さんはそう言うと、ゆっくりと唇を笑みのカタチにした。
一瞬場違いに見惚れた俺の目の前で。
土方さんが、素早く動く。
瞬きする間も無いくらいの速さで、高価なスーツの上着を跳ね除け見たことも無い銃を晒した、次の瞬間には商売敵とその部下を横なぎに撃っていた。
一瞬で三人、床に倒れた。
「1、2、3」
土方さんが歌うように言う。
パニックになった相手側の人間が此方を撃つ前に土方さんは頭上のシャンデリアを撃ち抜き、
火花を散らしながら電気がショートし、暗闇の中、凄まじい落下音を響かせたそれが相手側の何人かの上に落ちた。
「4,5,6……7」
その衝撃の中を、正確無比な銃撃が残った人間を捉えた、ようだった。
「8,9,ラスト」
きっちり10人、土方さんが数えながら撃っていたのに気付いたのは後の話。
6連プラス、装填済み1弾、で7発、7人。シャンデリアで3人。
お見事としか言いようの無い技。
シャンデリアの落下が完全に収まったときには、俺たちの側以外に生きている人間は居なかった。
慌てた仲間がルームライトのスイッチを入れた。
なんとか視界が確保できる程度の明るさの中、絨毯を夥しい量の血が染めていく。
敵さんの何人かはトリガーに指をかけたまま硬直していた。
あと少しで撃たれるところだったわけだから、何て危ない。
「ナチュラル・ボーン・キラーズ、かな」
構わない土方さんは笑いながら銃を降ろす。その映画、俺も見ました。
男の傍に近寄った土方さんは微笑む。
シャンデリアの破片がキラキラと光って場違いに綺麗な中を踏みしめた高価な靴が痛そうな音を立てる。
返り血を思い切り浴びた男は怯えたように何か喉で叫んでいる。破片をいくつか浴びて、殆ど錯乱しているようだ。
土方さんが極自然に手の中の熱い銃身を男の頬に押し当てた。
じゅっという音がする錯覚。
いや、したのかもしれない。
サディスティック。
男が、今までとは種類の違う熱さと痛みにだろう、正気に返る。
振り乱した髪からキラキラと破片が落下した。
「さて、痛いことの続きも、新しい痛い事も、もう嫌か?」
男が必死に頷く。
「ん」
土方さんが微笑む。
俺たちに向き直ると言った。
「聴きたいことある奴、聴いとけ」
男は口を割った。
といってもイエスかノーか応えるだけの単純な質疑だったけど。
だけどそれで十分だった。
土方さんが備え付けの冷蔵庫から氷を出す。
それから部下にいくつか指示を出す。
その間も土方さんは優雅な動きで男の折れた指を固定し、口を濯がせ、止血を施し、アイシングをした。
鮮やかな手つきだった。
この人が手ずからこういうことをするのに俺は驚いたけれど、
俺たちを振り返って、やはり怪我をしていた部下にも、同じように消毒してガーゼを張ってやった。
(皆酷く恐縮していた)
男は結局その後病院送りになった。
それから土方さんの口ぞえで、男はウチで働いている。
口がきけるようになってから、本格的に秘密を吐いたこと、
もうウチ以外には戻れないだろうことで、ボスも良しとしたようだった。
男の手は結局いびつなままだったが、一応の機能は果たすようだった。
熱心なリハビリで機能はどんどん回復しているようだ。
男は崇拝しているみたいに土方さんに付き従うようになった。
リハビリも土方さんの役に立とうとしてのことのようだった。
地獄の中で、自分を助けてくれた、という思いがあるようで、殆ど神様みたいに尽くしている。
俺は少し違うんじゃないかと思うんだけど、本人がそう思っているならそれでいい。
それから暫く月日が経って。
「お姫様を迎えにいらしたようだ」
珍しく事務所に現れたウチのボスが皮肉な表情でそう言うと、重々しい溜息を吐いた。
「山崎、お前、お見送りしろ」
ボスはそれだけ言うと立ち上がった。
詳しい説明はしてくれないようだ。
俺の視線に気付いたのかボスは肩をすくめた。
「高杉晋助から、連絡があってな。もうそろそろお姫様を修道院から出したいんだろう。
この間の一件が知れれば、下手をすればウチの組に被害が及ぶ」
高杉晋助といえば裏でも指折りの危険人物だ。
その高杉が可愛がってるんじゃ、とても俺らがどうこう出来る人じゃない。
この間の一件、で特に土方さんは負傷していないけれど、危険に晒すなという命令でも出ていたんだろうか。
「土方さん」
部屋の前でノックをすると短く返事があって、そのまま土方さんが出てきた。
黒いスーツに特注の白地にマンダリンオレンジのストライプシャツがよく合う。
デート前のような華やかな色合い。
「行くぞ」
俺はただ黙って着いて行く。
白銀のクーペが横付けされて、お姫様を待っている。
土方さんは迎えの高級車から降りてきた長身のサングラスをかけた男を見て、
はじめて子どもみたいに笑った。
それからその男に近づくと思い切り抱きついた。
土方さんを軽々と抱き上げたその男には見覚えがある。
高杉の右腕、河上万斉だ。
全身が鋼のように鍛え上げられている。
いよいよ例の噂が本当だと知って場が緊張する。
けど土方さんは特に何も言わず車に乗り込んでしまった。
さよなら、も無く。
あの人が告げ口なんてするわけないと何となく思っていた俺は
ウチの連中に何か起こるとは思ってなかったけど、
もう土方さんには会えないのだろうと思うと寂しかった。
毎日あんな美人が見られるなんてこの先の俺の人生じゃありえないだろうから。
それから一週間後。
正式なスカウトがきて俺は組織のインフォーマーをやめた。
もともと俺は構成員じゃない。
土方さんの誘いを断るという選択肢は俺の中に存在しなかった。
「山崎、俺のものになる気があるか」
傲慢で力強い誘いに魂まで震えた。
土方さんがやってきて、俺の世界は極彩色だ。
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