天使が降った日のことを覚えている。

縁あって寄付を続けている修道院の子どもたちの様子を見に行った日。
子どもたちは怯えず、屈託なく笑っている。
自分の行為が無駄ではないとわかるのは悪いもんじゃねェ。

万斉が挨拶を続けている間中、好きに歩き回る。
教会の中ってのは、どこも似たつくりだ。
女のガキが何人も見つめてくる。
足元まで来たガキは小首を傾げた仕草の後、此方を上目に見る。
何となく笑いかけてやると頬を紅くし、きゃあきゃあと甲高い声で何か言いながら走り去り、
何人もで固まってこちらを見る。
こんなにちっこくても色目を使うのか、と新鮮な驚き。

平和で何より。

男のガキは皆、恐れをなしたように遠巻き。
これはいつものこと。
自分のツラが女にウケるこたァよく知っているが、子どもや男には怯えられるのも経験済み。
とすればさっきのガキどもは一端の女なんだろう。
結構なことだ。
女のガキは「女」って生き物になっちまってからのほうが強く生きられる。
強い女はそれだけで、価値があると俺は思っている。

早く抜け出せ。
男のひとりやふたり誑かしてオトせ。
そう、遊ぶように思う。
女は皆強かでしなやかであってほしい。
でなければ俺の仕事は成り立たない。
男は馬鹿で弱いくらいが丁度いい。


中庭で高杉晋助は足を止めた。
目を惹いたのは白い服の子ども。
何人も、眠るように寄り添う中心で、本を読みながら時折、自分以外のガキの様子を見つめる。
息が穏やかであることを確認するような優しい眼差し。

悪くない光景だ、という以外に
まだ何の感慨も浮かばない高杉にとってはこの後こそが本当の意味での初めての出会いなのかもしれない。

いつ行っても逢えなかったのは、こうやって誰かの為に寄り添っていたからなのだと高杉はあとで知った。

「院長の話では、」
「万斉、挨拶は終わったか」
「あの少年は随分引く手数多のようでござったよ」
「……真ん中のこどもか」
人の話を聞いていない万斉にも腹は立たない。話す内容のほうが重要だからだ。
「綺麗な子どもでござろう?院長は心配していたでござる」
「ああ、」
「純然たる好意と邪な思いの差はどこにあるのでござるかな」
「引き取り手が見つからねェよりはマシ、ってことでもねェんだな」
「さよう、それに他の子どもの安定剤のような存在だそうでござる、ああして」
つい、と視線を向ける。
起きた子どもが抱きついている。
何かしきりに喚いているが、徐々に落ち着きを取り戻したようで、また眠る。
親に何か訴える雛のような光景。
「可愛らしいこどもたちでござるな」
高杉は関心の薄い声でそれにこたえると、踵を返した。


















一ヶ月後、二階の窓からシーツを巻きつけて目前に落下してきた物体。
それが十四郎だった。
両端を掴んだまま、俺を抱きしめるようにシーツを閉じる。
まるで天使の羽根が広げられるように、すっぽりと俺を包んだ。
嘘のような光景にあっけにとられた、
直後、

凄まじい熱波。
地鳴りのように建物の一部が崩れていく音が鼓膜を焼く。
「な、」
何処かで爆弾、おそらく液体の、が爆ぜやがったと認識したが俺は何故か足を固定されたように動けないでいた。
白い視界の向こうで何かが。
だが熱波を背に、シーツを引き被った子どもは俺を見つめてはにかむ。
場違いな笑顔。
「けが、ない」
尋ねられている言葉に、ああ、ひとまず頷いてやると子どもは安心したように。
背を焼く熱にぐらりと倒れこんだ。

羽根のように軽い子供の身体を抱きかかえて高杉は恐ろしい速さで走った。



病棟の廊下を静かに歩いてきた河上は静まり返った部屋の中に黙って入室する。
「晋助、テロの犯人がわかったでござる」
呼ばれても高杉晋助は子どもの横で身動き一つしない。
ベッドサイドで美しい彫刻のように高杉は視線をおとしている。
いぶかしげに万斉は問う。
「…その子も、助かったのでござったな。院長がもうじき来ると…」
高杉が身動きしないまま、唇を動かした。

「…俺を庇いやがった」
一端の男のように。
この小せェナリで。
この俺を。


「それは」
高杉の声は慈しむように甘く、切ない声色をしていた。
流石の河上も押し黙る。
告げられた内容にか、高杉の態度にか。

高杉がそうっと撫でた子どもは、河上の内心など知る由も無く穏やかな寝息を立てているのが救いだ。
背中の傷の為仰向けにではなく、横に寝かされていたせいで、こちらを向いている表情が良く分った。
少し苦しげな、痛ましくも愛らしい顔。
「万斉、この子ども、俺が引き取る」
先ほどと違い、いつもの尊大で強固な声。
「俺が、コイツをこの先護ってやる」
常に高杉の口から放たれた言葉は決定事項。
ならば自分は従うのみだと万斉は結論付けた。

「院長には」
「俺から話す。だが、すぐじゃねェ。コイツが望めば、だ」
「……晋助に否やが言える人間など」
また、高杉は穏やかな声を出した。
「こいつなら、言えるさ」
そう言いながらまた、子どもの髪を撫でた。
「……どうしてそう思うのでござるか」
「こいつには失くしたくないものなんぞひとつもねェからだ」


何故かそう思ったのだ。












爆破の一件の後、オトシマエをつけ終わり、
壊れた建物の修繕費や子どもの治療費にあてさせるべく、孤児院への寄付を増やした。
適当な口実をつけ、仕事の合間を縫って無理矢理、逢いにきた。
「いつも本を読んでるんだな」
土方と名乗った少年は頷く。
「他に持っていけるものがないから」
「どこか行くのか」
「うん、いつかは此処を出て行かなければいけないし」
穏やかにただ事実だけを捉えた眼差し。
「色々考えているんだけど」
子どもの背は元通り、に近い形で治っている。
腕のいい整形外科医にあたらせ、背の傷を徹底的に消した。
固辞することも喜ぶことも特にしないで子どもは淡々と治療を受けた。
自身の容姿にあまり関心がないのは子ども故ではなく性質の問題だろうか。
「学校、とか興味あるか」
「学校?今は行ってない。教会で勉強は教えてくれるけれど、神学が多くて。贅沢はいえないけど、物足りない」
その日のうちに人をやって、差し入れさせた本に目を輝かせたと人づてに聞いた。
土方の為に図書館の蔵書を充実させてやると、院長名義とは別に、土方から礼の手紙が来た。
綺麗な字の、頭の良い文章だった。
望むなら学費も出してやるつもりだった。
外出許可を取り付けて、護衛を引き連れてブックストアで籠にありったけの本を買ってやった。
カフェで甘い飲み物を飲ませると、やっと子どもらしく笑った。
「大人?よく来るよ。私立の学校に行かせてくれるとか、お菓子を買ってくれるとか、みんな同じこと言うね」
撫でても、警戒しなくなった。
相変わらず、歳のわりに出来すぎた子どもだと思うが。
高杉の視線に少し、子どもははにかんだ。
「ねぇ、俺は学校いってないし世間知らずだけど、世の中に悪い人が多いことくらいならわかるよ」
なんてあっさりと言う。

なぜ俺を庇ったのか、はまだ聞いていない。

「一緒に寝ててさ、ときどき夜中に起きる子、昔酷い目にあったんだって」
酷い目、という瞬間、伏せられた目は事実を何処まで捉えているのか、
捉えすぎているのだろうかと不安にさせる。
言葉を選んで、ゆっくりと。
「大人は汚い、なんて言わないけど、」

そのときの僅か9つのこどもの目を、俺は驚きよりも畏れを持って見つめた。

「世界はたぶん、痛みでできてる」


そうだ。
俺の世界は、少なくともオマエの認識で正解だ。

「…なぁ、おまえ」
なに?
見上げてくる眼差しに過去を見る。
ぞくぞくと背筋を這い上がるのは久しく忘れていた高揚感。
ああ、出逢ったのならば、すべて意味があるはずだ。
待つ、などと言えたのは先刻までの話。
オマエの意思を聞いてやれないかもしれないが赦して欲しい。
断っても連れて行く。

「……俺のものになるか」

こどもは俺を見上げて、
「うん」
そう言うと、
何かを決意したようで。

「どこへでも連れてってくれ」
俺の手に、小さな手をそっと添えた。







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