がさりと、茂みが揺れた。
「この妻子を取り戻す術がもうこの世のどこにも無い」
土方はぽつりとそう言う。
獣は口を利けないからだ。
おおぉんと獣は鳴いた。
それから。
びゅおおおうと風のように稲妻のように。
獣が鬼の首に喰らいつくのをただ黙ったまま土方はみていた。
食いちぎった鬼の首を地面に吐き捨てると、獣は喉をぐるぐると苦しげに憎憎しげに鳴らして、
それから土方を見上げた。
滴り落ちる血の色が赤いことに、土方は自分が今まで感じてきたことの答えが間違いではなかったこと
を知る。
鬼も人も獣も。等しく哀しく、近しい。
鬼が首だけでカタカタ歯を鳴らす。
土方はそれを見て、それから獣を見る。
恨みと憎しみと女と子どもで頭が一杯で、獣はまた鳴く。
死者の書をもってしても、おそらく無理だろうなぁ。
男というのはどうして篭もって病むのか。
あの日自分を呼んだ男もそうだった。
豪奢で寂しい土地で隠棲紛いの生活をするほどに人が嫌いなら、何故この手をとるのかと聞いてみたかった。
土方は何だか寂しいことのように思いながらふたりが血に染まっているのを眺めた。
転がった鬼の首がじいっと土方を見上げてくるので、土方はそれを黙って見返す。
獣が、おおおぉんおおおぉんと啼きながら、土方に向かってゆらゆらと揺れながら近づく。
逃げる素振りを見せない土方に山崎が慌てて散弾銃を構えたが、獣はそれには見向きもしないで、
土方の足元に跪く。
土方がゆっくりと地に膝をつき、獣に視線を合わせてやる。
獣は縋りつくように土方の胸に顔を埋めると。
何度も何度も、押し殺した鳴き声をあげた。
やはり、静かに土方はその背を撫でてやる。
山崎は苛立ったように銃口を地面に向け、一度撃つ。
夜の闇を切り裂く音に、獣はびくりと顔を上げた。
硝煙の匂いが漂う。
「もうじき人が来る、あんた、そのひとは俺達の大事な大事なひとなんだ…」
それ以上は、そう言外に告げて追い立てて、獣は未練を残したような素振りながらも森の奥へ入っていく。
土方さんの服が鬼の血で汚れた、と山崎はきりきりと歯噛みした。
「死なないんだろう?」
土方は地面の首に声をかけた。
「…ああ、そういう生き物だからな」
首だけで、死なない。
死ねない、の間違いじゃないのかと山崎は思った。
「どうしてこどもまで殺したんだ」
土方が問うた。
ずっと。
それだけが心に残っていたから。
「……親が居ないのに生かしておいたって可哀想だ」
その瞬間。
土方は初めて、美しい眉を顰めた。
「……それは、こども自身が決めることだ」
きっぱりとそう言うと、冷たく透き通った声で告げた。
「片親だって、十分じゃないか。あの男だって、こどもがいればやっていけただろう」
親がいなくとも身を寄せ合うようにして、楽しくやってる連中を知っているから。
いつだって幸せそうに笑う、あの野郎と、野郎のガキどもが。
苦しくとも、生きていることを諦めない。
俺なんかには眩しく、なのに優しくて、恩もある愛しい連中。
「あの男が欲しかった、ただ、それだけなんだな」
土方はそう言うとまた、目を閉じた。
断罪するような傲慢な声音ではなく、ただ事実を追った声が、かえって心に刺さるようだった。
「あの男から、妻も、子も、姿かたちすら取り上げて」
鬼が首だけで震える。
ごぽりと血を吐き出した。
牙がカタカタ鳴り、笑っているのだと知れた。
「おまえはあの男を手に入れたかったんだな、うまくいったのかはおまえにしかわからないんだろうが」
土方はそれだけ言うと息を吐く。
おかしくて仕方ないとでも言うように鬼はケタケタ音を立てだす。
恋は人を可笑しくするのは知っているが。
「だが痴情の縺れで、無垢なこどもを殺しちゃいけねェよ」
ぽつりとそう零す。
醜い世界は大人だけで食いつぶしてしまわなければ。
土方はこどものために、笑う鬼にそれだけは言ってやった。
権利は無くとも、こどものためにこれだけは言っておかなければいけない、そんな気がしていたから。
土方は溜息を吐く。
ふわりと。
先刻抱き合っていたせいで服からは微かに銀時の匂いがした。
肌があたたかくて、優しい声で会いたかったと言われて。
俺も。と返すので精一杯だった。
いつだって心底惚れている。
強い男だ。
見上げるたびに眩しく、悔しいくらいに愛しい。
だから、会えばいつだってうれしく。
何気ない素振りでも、姿を目で追ってしまう。
愛していると言われたときは言い表せない感情の渦に震えた。
思い上がるな、と絶えず声がしているのに耳を塞いでしまいたいくらいだ。
だがいつも、しあわせな時間は続かない。
電話一本で呼び出されて、無理難題のかわりに望まれることは情愛の真似事。
叫びだしてしまえたら良かったのだろうか。
責務も立場も投げ出せない、思い上がるなとどこかで何かが喚く。
きをつけてね、そう言った銀時の目は、自惚れでなければ寂しそうで。
針でも差し込まれたかのように小さく痛む胸を誤魔化して窓の外ばかり見ていた。
愛玩動物のように、他者にただ馬鹿な意味合いで可愛いといわれてその度に馬鹿のように心が死ぬ。
ときどき、本当に時々だがすべて投げ出してしまいたくなる。
律することが出来なくなったら価値もない身だというのに。
そういう哀しみは、どうすれば殺せるのだろうか。
鬼はわからないことを繰り返したが、恋をして可笑しくならないのならそれはきっと恋ではないのだろう。
人を裁く権利があるのならそれはもはや人でない。
結局、何をしてやれるわけでもない。
そういう哀しみも、いつになれば殺せるのだろうか。
土方が目を伏せると。
鬼が笑うのをやめて、動かなくなった。
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