こっちにおいで、おかしをあげよう
「……入梅か」
原田は新聞の見出しを目で追うと呟く。
「ええ。憂鬱ですね。雨ばかりで」
山崎退は窓の外を見た。
「そろそろ、朝貢貿易のシーズンだ……」
その言葉に、原田は沈黙する。
若い男が二人に茶を差し出しながら笑う。
「………また洒落た言い回しをなさいますね」
「…屯所中にお中元って名前の贈答品が届くってことに間違いは無いだろ」
「ハムとかビールとか水羊羹とかなら可愛いんですけどね」
「懐かしいですね。子どものころ、カルピスとか貰って嬉しかったです」
「ああ、俺もそうだな」
「あ、そういえば我々はそもそもそういう物を受け取って良いんですか?」
「民間業者じゃマズイが身内なら良いんだろ。
長官だって送ってくるし、奥様がだろうけどな」
「実際はグレーゾーンですよね。去年の様子だと」
「ま、食べちゃえば良いものは『お土産』くらいの感覚だし、証拠も残らないしね」
三者、手元の茶を飲み干し、深く溜息を吐いた。
「……で、問題は我らが女王様への貢物だ」
「倫理研修で『外部受託者との物品の授受は厳正に取り締まる』と言ってたが」
「あくまで外の業者、ってことですか。身内なら良いと」
山崎が湯飲みの縁を撫でた。
「ご明察。去年は公僕が金品の授受は…でかわしたからね。相手も知恵がついてきている」
「あの突然の研修はそんな意図が…」
若いが利発そうな男が静かに呟く。
「上司が可愛い部下をねぎらうのは可、ってことか」
「オッサンが超美人に贈り物してご機嫌取るのは良し、って読み替えるんでしょ」
「物品の検査は昨年同様に致しますか」
「ああ、もう手配してある」
「検査しきれない類のものだよな、問題は」
「さて……今年はどんなとんでもないものが来るのか」
山崎はゆっくりと立ち上がった。
「ゴ…局長は当てにならないから、俺達が気をつけないと」
「夏日ですね、今年は……山崎さん、そのお顔は早速お中元ですか。まだ早いのに」
「物が物だから。昨年同様、温泉付き別荘に組の皆を招待……だそうだ。年中行事にしたいのかな」
「わーすごーい(棒読み)と、無邪気に言うべきですかね。オマケの立場としては」
「局長は無邪気に喜ぶかもね……長々書いてあるけど、要約したら一言、
土方さんを絶対に連れてくるようにってさ」
「去年はたいへんでしたね」
「ああ、ほんとに。副長温泉でただでさえ綺麗なのにさらにつるつる美肌だし、
綺麗な浴衣着ていい匂いプンプンさせて歩き回るし」
「特注の浴衣にゴージャスな生足でしたね」
「おまけに胸元気前良く空いてたしね……」
「暑いって言って脱ごうとなさるし」
「………原田さんが止めたね、そういえば」
「……年々ガードが甘くなるのが副長ですしね…お飲みにならないのが救いです」
「酒なんか飲ましたらたいへんなことになるからね。あの人がワーカホリックでよかった」
「でもま、これはまだ良心的ですよね。だって我々が皆で御守りすれば良いわけですし」
「まぁね、副長はまず留守番組になろうとするし、去年も泊まらず帰ったしね」
「……次の日の落胆振りが凄まじかったですね」
「寝起きの土方さんに逢えると思ったら朝一でゴリラと遭遇だからね」
「悪気が無いのが局長の良いところですね」
土方が帰るなり山崎は目を見開いた。
「副長そのお召し物は?」
軽く薄く、爽やかで美しい羽織は確かに土方の華やかな美貌にあっているが。
「浴衣の上に羽織れとさ。クーラーが効きすぎて寒いとこあんだろ」
「節電のご時勢にですか?」
「呼ばれて遊びに行った場所が情報システム系の部屋でよ、
機器の保存用にクーラー効きまくりなんだよ」
寒いと思ってたらその場でくれた、
とあっさり言う土方に山崎は生温く微笑む。
「あぁ…それはまたスマートですね……
発注かけた屯所の制御室の豪華さから考えりゃ当然ですよね…」
屯所の機械設備の充実はひとえに、我らが麗しき副長様の『人徳』。
あの偏執的メカニックの巣に遊びに行った、というのがまた恐ろしい。
「山崎?なんだ夏バテか?」
組宛の平和な中元の送り主は原田達に任せ、土方宛のものを寄越した人物のリストを作成しながら、
秘するべき要注意人物のリストを上書きしていた山崎は此処のところ少し寝不足。
「いえ……副長、そちらの服だけじゃなく、いただきものは夏の間はローテーションで着てくださいね」
次々届けられる着物も浴衣も、ご親切に専門の業者付。
土方の身体に合わせて微調整をさせるためというが、厳かに断っている。
そうそう簡単に微細なサイズを教えてたまるか、というのが山崎の本音。
だが邪さの結晶だとしても、山崎退の矜持として、
真選組副長土方十四郎に既製品紛いの服など着せられない。
必然的に、信頼する呉服屋か、山崎自身が調整することになる。
身体がいくつあっても足りない。
「ん?ああ、もらった服な。わーってるよ、気ィ悪くするってんだろ?」
脱がせたいから着るものを贈る、という古い言い回しをこの人は果たして知っているだろうか、
知っていても自分とは無関係と一生思ってるんだろう、と山崎はひっそり思う。
「……ハァ」
煙草を吸いながら相変わらず駄々漏れの色香を湛えた視線が山崎を捉える。
「おい、飯ちゃんと食ってるのか?」
「え、ええ……」
ずぃっと身を乗り出されて困ってしまう。
「ご自分こそ、夏の間は食欲が落ちるでしょ。ちゃんと食べてくださいね」
ふうっと煙を吹きかけられて。
「テメ、俺を誰だと思ってんだよ」
「………」
女王様だと思っています、などとは勿論言えない。
「今日は奢ってやる、飯喰いに行くぞ」
「はい」
えへへ、と笑って山崎は立ち上がった。
業者任せにしないのは。
たとえ他人の服でも、針を入れなおしたのは己という自負の為かもしれない。
こんなの自己満足の極みだけど。
と、思考もそこそこに、山崎は尻尾を振りながら生まれついての女王様の後を追った。
「おい、あれ今日で何人目だよ……」
「副長たいへんだよな、この時期」
「?お中元なら組の皆で分けますよね。副長、ご自分は全然召し上がらないですし」
「……あれは『組用』、こっちは『土方さん用』なんだろ」
「個人宛ってことですか?」
「ああ、お前編入組だもんな。ありゃここの夏前の儀式だ」
「なかなか爽やかだね土方君。夏を迎えるのに実に涼しげで良い」
非番だったが当然のように仕事をしていた土方は、ちょうど浴衣を着ていて、
上官の来訪に礼儀を損なわぬよう薄青の羽織を羽織って出迎えた。
本来なら野暮ったい印象になる浴衣と羽織のあわせも、
羽織が一目でわかるほどに高価で薄く爽やかな色合いであるせいか、かえって美しい。
中羽織は浴衣に合う防寒着でもある。
「ありがとうございます。実は頂き物でして」
邪気無く笑った土方に相手は一瞬黙ったが、口の端に笑みを浮かべなおす。
「…送り主はよく君のサイズを知っているね」
「山崎が直したので」
ふっと笑った土方に男はなんとも言えない表情。
「ああ……彼か」
牙を巧妙に隠し持った番犬を脳裏に浮かべて、男はくっと口の端を上げる。
「…ところで土方君。いつだったか、イルカが見たいって言っていただろう?」
「はい?」
蘇我入鹿、から連想され「暗殺」と土方の脳裏に物騒なもの浮かんだが、
山崎にも常々言われているのでとりあえずよくわからない場合は笑っておく。
酔ったときのことは記憶に無い。
「良い機会だから一緒に不路離打へ飛ぼう、あそこは常夏だが江戸より涼しい。
しかも海が綺麗でね…」
「せっかくですが……申し訳ございません、屯所を開けるわけにはいきませんので……」
男はふっと優しげに笑った。
「というと思ってね。プランBがあるんだ」
「はぁ?」
とっておきの手品を披露する紳士は、同時ににやりと心中笑う。
乳母を出し抜いて姫を攫う快感はこんなものだろうか。
「マヨネーズを作りに行かないか」
「はい!!!」
「「「副長!!駄目ですって!!!」」」
隊士達の悲鳴を背に、土方はやはりキラキラ邪気無く微笑んだ。
カツカツと磨きぬかれた床に靴音が反響する。
「松平、話がある」
「茶でも出してくれるってか」
「ああ、勿論……例の件で積もる話もあるしね」
「……ああ、あれか」
一瞬緊張が二人の間を走りぬけ、背後に控えていた秘書は悟られない程度に息を飲む。
道を開けた部下達の横を二人の『偉い』男がなにやら囁きあいながら通り過ぎていく光景。
7月期はときに組織改正が行われる。
人事権を掌握するものは組織のキングメイカー。
警察庁長官松平片栗粉の来訪は周囲に並々ならぬ緊張と邪推を齎した。
「どうやらかの女王様は……黄色い物が常食というのは正しい情報のようだね」
「………誰んこった」
「はは、松平、わかってるくせに」
暗号じみた会話に耳をそばだてていた周囲はさらに緊張する。
金銭の介在を意味した隠語だろうか。
ゆっくりと二人の男が室内に入る。
厳かに従った秘書にひらりと手を振って外に出すと。
「ねね、聞いて!!土方君に高級マヨネーズあげたらさー、超喜んでんだけど、可愛すぎ!」
「オジサン家のガキに餌付けすんなよ…中元ならハム贈れ、ハム」
「あーマヨネーズになりたい、とか思っちゃうね。あんな喜んでもらえると。
ってかさ、あの子ギャップ凄いよね。目ェキラキラなんだもん!!お礼に飲みに行ってくれるって!!」
「じゃ、大人しくかけてる現場見ろ。飯が食えなくなるぞ。
ショックで寝込め。つーかお前、家のガキに酒飲ますなって、ありゃ酔うとたいへんなんだからよ」
「いやいやいや。酔うとすごいのなんか知ってるって!!噂のお色気、自分ばっか愉しんでんだろ?
それこそギャップ萌えデショ。あの超美人がマヨラーとか逆に美味しくない?」
「知るか」
「何着てこうかなー。土方君のお洋服も買ってあげたいなー」
「言っとくがアイツに不埒なマネしたら簀巻きだぞ。中年のオッサンが」
「中年のオッサンて言うとさー、なんかやらしい感じじゃない?初老の紳士って言ってよ」
「知るか!つーかオメェ、他の連中に漏らしてねェだろうな」
「えーそりゃ協定結んでるもん、有益な情報は交換してるよ、お姫様はマヨネーズがお好きって」
「………最近オジサンのまわりが酸っぱいのはオメェの所為か」
「高級マヨネーズは酸っぱくありません。安物と一緒にしちゃやーよ」
「………」
土方のスケジュール管理中、山崎は呻く。
「……ああああ予定がどんどんおかしくなっていく」
がりがりと頭を掻き毟り常の不敵さからは似合わない仕草。
「今までは、やれクルージングだ。温泉付き別荘で一夜だ、カジノで豪遊だ……」
心配して茶を運んできた隊士が眉を顰めた。
「お中元の範疇を超えてますね……殆どただの遊びかデートのお誘いじゃないですか」
「逆に良いんだよ、だって副長は絶対仕事に穴を空けたりしないから、
江戸以外でそう何度も長期外泊なんかありえない」
「………今回はまた随分と多忙ですよね、せっかくのお休みが」
「どいつもこいつもマヨマヨマヨ……誰だ…副長のマヨ好きをリークしたのは」
「というよりご自分で知らしめてらっしゃるのでは。
あの方が常にマヨネーズを持ち歩いてるのは最早機密でも何でもないですし……」
「……そうだね。マヨ型ライター持ってるなんて普通無いよね…」
「………すみません、山崎さん過ぎたことを」
「あのライターもそういやプレゼントだし」
「そうなんですか」
「うん……毎年くれるんだって。無くなっても良いように」
「なんか……凄いですね色々」
「うん………もう慣れてきたよ」
長官に(というよりおそらくその娘に)もらった甘いお菓子を抱えて、
美貌の上司が気安く戸を開ける。
「おう、ザキ、今日は泊まるからな」
「…お戻りは」
「明日の昼、万事……いや、近場にいるから何かあったらかけてこい」
「はい……いってらっしゃいませ」
バレバレの行き先にいちいち言いよどむ可愛さと初心な所は多分一生そのまま。
珍しい菓子を子ども達に食べさせてやりたかったのか、
万事屋の主が強奪するのかは知らないが。
愛に溢れたことで。
しかし無邪気に他の男からもらった服を着て行くのだから恐ろしい。
嫉妬に駆られた主に破り捨てられないか不安でもある。
そのまま縺れ込む先が寝所以外だったら非常に困る。
痣や痕跡を隠すのは至難の業だ。
サドの気をビンビンに惹きまくる星の元に生まれているのだから仕方ないのか。
「旦那、嫉妬深いだろうしな……」
山崎退、一進一退、歴戦無敗はほど遠く。
今日も女王様は美しく、最高潮に無邪気なのが救い。
健やかにお育ち…
…お過ごしくださいませ。
これ以上エロく育たれたら此方の身が持たない。
と、思ってみる。
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