マズイ、と土方が思ったのは傷を負ってからだった。
まさかこのタイミングで人が飛び出してくるとは思わなかった。
庇った相手は昏倒していたが命に別状は無いようだ。
安堵するも、敵はギラギラと殺気をみなぎらせて土方を見つめてくる。
握り締めた刀を振るおうとしたが。

鮮やか過ぎる着物の柄が唐突に乱舞し、敵は血に染まった。
叫び声と目の前に現れた手配中のテロリストに目を見開いた土方は。
次の瞬間にはその男に抱き寄せられた。
どこかで低く地鳴りがして、爆破のショックで耳が痛んだが、それどころではない。
耳が聞こえていれば。
「あのときは、助かった」
そう囁いた高杉の声も聞こえていたのだが、暴れることに手一杯で余裕など無い。
高杉は細身の身体からは考えられない力強さで土方を抱いたまま、
空から降りてきたわけのわからない乗り物に土方ごと飛び乗った。



自分が暴れていなければおそらく、そっと。
ベッドか何かに下ろされたが高杉が覆いかぶさったままであることに混乱して。
「は、離せ!!」
精一杯暴れようとしたが、
傷による失血が酷く朦朧とする土方は思う動きの半分もできていなかった。
白いシーツが血で染まっていく。
「頼む、じっとしててくれ」
高杉が何を言っているのかわからない、混乱した土方は余計に暴れようとして、
必死の形相で自分を抱きしめた相手に押さえ込まれる。
そのまま、人斬り河上万斉、と認識した相手の予想外の行動にも土方は混乱した。
白い清潔な布で、多分、止血されていく。
理解を超えた事態にさらに混乱して土方は声をあげた。

白衣を着た人間が入ってきて、手に注射器を持っているのがわかり、
死に物狂いで暴れようとしたが。

「じっと、してくれ。お前を助けたいだけだ」
高杉晋助が悲壮ともいえる声を出し、
それから。
懐から何かを取り出した。
土方は眼を見開いて、高杉の手を、手の中の鈴を見た。
記憶が逆流していく。
「どうして、お前が………」
それきり言葉にならない、とでもいうかのように、土方は黙った。
医者らしき男が肩に注射針を沈めている。
それすら気にならなかった。
「生きて、たのか………」


消え入るような声でそれだけ言うと、土方の意識はゆっくりと沈み込んでいった。





諦めきれるものならば良かった。
だが、諦めるにはあの記憶は高杉の中で大事過ぎる出来事で、一種の救いだった。
本質は何一つ変わってはいないのだ。
あの男の中には、あのときの少女がそのまま住んでいる。
高杉にとってはつまらない組織であっても、あの男には大事な組織。
鬱陶しい。
だが、あの男にとっては。

後をつけさせ、調べさせ、何かあれば動こうとしていた矢先の出来事。
本当は拉致する機会をうかがっていたのだが。
羽虫のようなテログループの所為で土方が負傷した。
あの程度、土方なら容易い、と思っていたが躍り出てきた人間を庇うことまでは想定していない。
高みの見物と洒落込むつもりがとんだ事態だ。

目の前で、あの日の思い出が傷つけられ、失われてしまうかもしれないと思ったとき。
感じたのは間違いなく恐怖だった。

庇われた人間までがどうやら仕込みだったらしい。
関わった人間はすべて殺したが、苛立ちは収まらない。

自分は思ったより動揺していたのか、と高杉は少し驚く。
簡単に死ぬようなやわな男じゃない、と思っていても気持ちの上では別だった。
眠る土方を見つめて、歳月のなかで薄れた記憶をゆっくりと補った。
そっと撫でた頬は温かく、生きたものの柔らかさがあった。
女ではないにせよ、美しい男には、確かになったなと少し笑った。
…ちっと大きいけどな。



目を覚ましたときには土方はすべて思い出していた。
「あのときの男はテメェだったのか……」
痛むのだろう、傷に巻かれた包帯をさすりながら、静かにそう言った。
敵の本拠地で暴れても仕方がないと腹をくくったのか、
以前の暴れようが嘘のように、冷静な声だった。
水を持ってきた河上に一瞬視線をやった後、ベッドサイドに座った高杉をじっと見つめて。
「何で俺を助けた」
静かにそういうと、土方は溜息をつく。
助けられた、と認めたくは無かったのだろうが、
綺麗に手当てされ、何よりあの現場から土方を抱きかかえて逃げ去ったのは高杉だ。
自らの身を危険に晒してまで。
動かしがたい事実からは目を背けられないタイプなのだろう。
高杉はふっと笑むと。
「嫁さんにしようって決めてたんだ。あんときからよ」
言うだけ言って土方の髪を撫でた。
一瞬、土方はぽかんとした。
それは随分と可愛らしい顔だった。
万斉は、間延びした顔もするのだなと感慨深く思ったが、高杉は可愛い、と素直に思った。
思考が読めていれば土方は憤死したかもしれない。
「アホか。テメェみてェな男が寒いこと言うな」
心底嫌そうにそう言い放つと、土方は少し距離をとろうとして、失敗して高杉に抱き寄せられた。
肩口に押さえつけられて固まる土方の耳元で静かに。
「…本気だぜ?お嬢様」
女を口説くときと同じくらい艶を含んだ声で高杉は囁く。
「……それはよせ」
お嬢様、に眉を寄せた土方には残念ながら通じない手管だったが。
きゅっと出来る限り優しく、逃がさないように抱きしめたまま、
「俺を助けたのは何でだ」
今度は高杉が問う番だった。
「………知るか」
背けた顔からは戸惑いが伝わってくる。
助けなければ良かったとでも言うかと覚悟していたが、土方の言葉は生きていたのか、
という安堵にすら思えるものだった。
あの視線は死にかけた犬や猫を案じる視線だったのだから無理もない。
身体が柔らかく温かいのが、不安な胸の内に染みこむ。
ああ、無事だったのだと。
頬を指で触れば、少し熱い。熱が出てきたか、と思ったが医者の話では熱は下っているはず。
とすれば、ああ、恥ずかしいのかと思い至って。
あんまり愛しいので子どもにするように膝の上に乗せようとしたが、流石に抵抗が酷かった。
ばか、やめろ、と殆ど泣きそうな声で言っている。
動けないのを良いことに、高杉は全身をくまなく触ってやった。
セクシャルな触り方をしたつもりだったが、ばっかやろ、くすぐってェ、と荒く身を捩られて噴出した。
ムードも何もあったもんじゃないが、この男が、実は随分と可愛げのある男だと高杉は気付いていた。







傷が治ってからが大変だった。

「……土方さん、物凄い非常識な贈り物が届いてるんですがお心当たりは」
山崎はそう言うと頭を抱えた。
赤い渦が目の前に広がっている。
「………………………」
非番を返上して勤務していた土方は、言葉も無い。
「バラもこんなに沢山あると流石にキツイですね」
「………」
咽返る芳香に隊士達が集まってひそひそと話し出すが土方は相変わらず無言だった。
真っ赤なバラの花束が、次々と運び込まれてくる。
1、2、3、4、5………途中で数えるのをやめた隊士達に構わず。
「………差出人は」
やっと土方が声を出した。
「それが、業者も聞いてないんだそうです。配送先を聞いただけで、差出人までは知らないって」
「…………ウチへの荷物は全部チェックするだろう」
「ええ、爆発物の類、危険物、その他ウイルスチェックは済んでます」
当然のようにそう言うと、山崎は溜息をつく。
「花屋に当たってみましたが、貴方の婚約者だと言う方からの依頼だそうですよ」
隊士達が悲鳴を上げているのに構わず、土方は眩暈がする、と言うと自室の戸を閉めてしまった。

アマテラスが岩戸にお隠れになった。
と馬鹿なことを思って山崎はバラの渦を見やった。
踊るのは全裸のアメノウズメじゃなくてゴリラだからなァ……。
ショックで岩戸を叩き壊すかもしれない。


その日から夜空を彩るのは、決まって紅い。
「花火………」
毎夜あげられる花火に、奉行所や屯所には問い合わせが殺到した。
確かに美しいものだが、無許可での火気の取り扱いは厳禁の区域での酔狂な犯行。
バラの一件から隊内ではあらゆる憶測が乱れ飛んだ。
「綺麗ですね」
「……そうだな」
投げやり気味に返事が返ってくる。
土方も最近はなにやら思うところがあるらしく、空を見ては溜息をついている。
隊士達は大騒ぎしている。
曰く、副長が富豪の後添いとして見初められた、天人の有力者に求愛されている、このままでは嫁に行く日も近い……貧困な想像力にしては上出来だが、揃いも揃って土方を何だと思っているのか。
違和感が無いのが恐ろしいが。
どぉぉおんと花火の音と光に照らされた土方の美貌を眺めながら、勘の良い山崎は切実な想いを感じとった。
ああ多分、この人のこの顔を間近で見たい人がいるんだろうな、と。





巡回中に拉致された土方の機嫌は最悪だったが、高杉晋助の機嫌は上々だった。
「なぁ、そろそろ返事を聞かせろよ」
土方が眉間の皺を限界まで深くしたが、高杉は構うことなく勝手に喋る。
「ちっと早ェが身を固めるのもいいじゃねェか」
「冗談だろ?」
「…お前は組と結婚してるようなもんだったな…あれか、お前を嫁にもらうにはあの図体のでかいゴリラもどきに許可を取る必要があるのか。タマとってこいってんならやるぜ」
「近藤さんのことか、それ。ふざけんな………組と結婚…流行ってんのかそういう罵倒。
前に別の奴にも言われたぜ」
「それはそれは、ソイツ殺しに行って来るから名前教えろ。俺の嫁さんにコナかけた腐れ野郎なんぞミンチにしてやる」
「……勘弁してくれ」
ふざけた口調を少し改めて、高杉がゆっくり息を吐く。
「何が気に入らない?」
優しげな声に、数瞬土方の動きが止まる。
「俺のうちはデカイし、一生贅沢させてやれるぜ。俺はこう見えて甲斐性ある男だしな」
「そのうちテメェの家は豚箱になる、覚悟しろや。甲斐性どころか坊ちゃん臭がぷんぷんすんだが」
「三食昼寝付き、夜の方は週5でいいぜ…仕方ねェだろ、金持ちに生まれちまったんだから。
お前だってお嬢だったじゃねェか」
「三食労働付きの豚箱に放り込んでやるから楽しみにしてろ……お嬢って言うな。週5回……」
絶句した土方を見て高杉は淫猥に笑った。
「なんだ不足か。なんなら毎日可愛がってやるぜ」
「……お前の相手をしてた女は皆腎虚で死んでないか?」
にっこりと(土方にとっては邪悪な)笑みを見せた高杉に、土方は本能的に距離を取る。
掴もうとして、振り切って、掴もうとする、の不毛な繰り返し。

平行線の話し合いに割って入ったのは河上万斉。
他愛無いやりとりを続ける晋助というのも不気味だ、と思いつつ。
「晋助はこう見えて一途に主のことを想っておったでござるよ」
お嬢様が美青年になったところでまったくメゲない辺りは常人の理解を超えている。
どうみても常識人の土方には理解不能の男だろう。
戸惑いと押し隠した不安を漂わせて所在無げな土方に流石の河上も同情する。
敵の本拠地に謎の理屈で拉致されるだけでも相当なストレスだろう。
だが高杉にそういった機微を推し量る機能は付いていない。
せめて取り成せば土方の眉間の皺が深くなった。
この男は沸点が低いらしい。
相変わらず帝王然とした高杉があっさりと言う。
「そうか、小姑が多すぎるのが嫌か。安心しろ、なんならたたき出してやる」
…頭が痛い男だ。
「……仲間になんてこと言ってんだテメェは」
土方が立場も忘れて顔をしかめる。
「ッは、可愛いなァ………仲間か」
「仲間じゃねェのかよ」
くっと喉の奥で笑っただけで高杉は答えなかった。

しばらく沈黙すると。
手持ち無沙汰な長い指先が土方の髪を優しく撫でた。
驚いて頭を振って振り払えば、一層高杉は笑みを深める。
戯れに捕えた指先、爪にぞくりとくるような口付けを贈ると、高杉は囁く。
「なぁ、俺と一緒になれよ」
酷く傲慢な言い草だが、この男には相応しいのかもしれない。

あの日ただ動物のように生に執着していた男。
ぼんやりと、ああ、きれいだ、と思ったことは秘密にしておきたい。
弱かった体には眩しく、暴力的なほどに生々しい命の匂いに惹かれた。
今、目の前の生き物は、まだああやって生々しく生きていたいと思っているのだろうか。
わからない。
歳月は人を変える。
行く川の流れは、と教えられた教養を諳んじながら。

麻痺した思考で土方はそれだけ思い、取り返せない指先を震わせた。




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2010.09.28.