眠れる天使のためのパヴァーヌ
こひじちゃん(ななさい)も大分屯所での生活に慣れ、
小さなお出かけやデートを楽しむようになった。
過保護な爺やと婆やの監視は相変わらずだが、
彼らとて四六時中傍にいるわけにはいかない。
何よりブレーンである土方の不在は組織にとっても重大な問題であり、
斬りこみ隊長や腕利きの監察が任務中は当番制で面倒を見る、
というか遊んでもらう毎日だ。
こひじちゃんが、というか、こひじちゃんに。
今日は大らかな近藤が面倒を見る番だった。
局長が一緒なら、と皆根拠も無く安心しているのが近藤の近藤たる所以。
そう、彼は大らかで、危機感が薄い。
そして何やら、良くないことを引き寄せやすいのだ。
偶然というのは実に恐ろしく。
「おねえちゃん、危ない!」
え、
と思った瞬間また子は回転をした。
間一髪、の所でかわした拳。
だが来島また子相手に、ただのチンピラに次があるわけも無い。
そのまま肘で一撃。
顔には覚えがある。
執拗に誘ってくるのをぴしゃりと跳ね除けたせいか、
後をつけ実力行使に出ようとした馬鹿な男。
獲物を使うまでも無い。
おまけ、とぞんざいに男に蹴りを入れ、肋骨の数本を折っておく。
露出の所為か軽い女に見られて声をかけられることは多い。
「その辺の男がアタシに声かけるなんていい度胸っス」
自分の胸の中には、この世で一番美しい男がいるのだ。
ああ、良い度胸と言えば先ほどの声、子どもだろう、お礼を、
そう思いまた子は声のしたほうを見て。
天使?
と思った。
いやマジで。
「可愛いっス!!!むちゃくちゃ可愛いっス!!!!!」
ことりと小首を傾げたそのあまりの愛らしさにまた子は歓声を上げる。
こんな可愛い子が自分を案じて声を上げたのか、と思えば胸がきゅんとして。
こんな可愛い子が一人でふらふら歩いていたら危ない、
と思ったが警察に連れて行くのは流石にマズイ。
「・・・・・・困ったな・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・で、なんで此処に連れてくるんですか」
呆れ果てた声を出して武市が馬鹿、と目で言う。
「うるさいっス武市先輩!だってこんな可愛い子その辺に置いておけないでしょ!!」
「・・・・・・・・・また子殿、これは俗に言う『誘拐』ではござらぬか・・・」
お行儀良く座っているこひじの髪を撫で、
冷ましたお茶を飲ませてやりながら万斉が淡々と言う。
「こんな可愛らしい幼子、目立つことこのうえない・・・今頃大騒ぎしているでござろう」
「はぁ?保護っすよ保護!!あ、武市変態!じゃなかった先輩!!
この子に指一本でも触れたら頭ふっ飛ばしますよ!!!」
牛乳を拭いた雑巾を見るような目でまた子に見つめられ武市が憤慨する。
「あのですねェ、この子可愛いけど男の子でしょ?それに私はロリコンじゃありませんフェミニストです。
ただの子ども好きの。大体男の子・・・」
なぁに、というようにくりくりとした大きな目に見上げられて一瞬武市は言葉に詰まる。
艶々の髪に紅いサクランボのような唇、
大きくうるうるしたおめめに華奢そのものの手足は真っ白でぷくぷくのやわらかそうな質感。
睫が長いのがやけに色っぽく、ああ、大層な美人になるだろうと思わせ・・・・・・。
「・・・・・・ただの子ども好きなんで、ちょ、ちょっと抱っこして・・・」
「駄目ッす!!!!!!」
「いや、変なことは考えてないから。ほら、6歳くらいまでなら男の子も女の子みたいなもんだとか言わないから、ほら」
「変質者そのものじゃないっすか!!!!近寄らないでください!!!!」
しっし、と犬を追うようにしながらまた子は万斉の腕から奪ったこひじを抱っこする。
「ねーおじさん怖いっすよねー、お菓子食べるっすか?」
ふわりと空気が変わった。
「・・・晋助」
万斉の声にまた子がぎくりと固まる。
昨夜から続く援助者からの『接待』で酒と女にまみれていた高杉は日も高くなるまで惰眠を貪っていた。
「あ、晋助様!!この子はその・・・迷子というか・・・」
戸によりかかった彼らのボスは何も言わずただ瞬きをし。
また子を一瞥しただけで気だるげに髪をかきあげた後、音も無く入室した。
「・・・茶」
呟けば万斉が静かに茶碗を差し出す。
酔い覚ましのぬるいそれを飲み干すと高杉は色香を乗せたまま息を吐く。
「あ・・・・・・その・・・・・・」
また子はその色気にあてられたように身動きが出来ない。
だがこひじは静かにじっと座って高杉を見ている。
その小さなおもてには僅かの恐れも無い。
ふうん、と高杉が婀娜っぽく首をかしげた。
這うように、つい、とにじり寄られ、その淫靡な動きに、
あ、え、あ・・・とまた子がうろたえるが。
「おまえは」
ゆっくりと高杉の長く節くれだった指がこひじの顎を掴み、
その小さな、酷く整った顔を上げさせる。
覗きこむ目の奥で高杉の残酷な気性が見え隠れし。
「ただの幼児じゃねェな」
――――修羅の目をしている
頬に滑らせた手をこひじは避けなかった。
滑らかな肌触り、
子どもの肌特有の質感に高杉はまた、ふうん、と首をかしげる。
「名前は」
「こひじ、ななさい」
素直に名乗ったこひじは、しかし本名を言わなかった。
高杉はふっと笑うと息を吐く。
両の手を腋下に入れ、抱き上げた小さな身体をゆっくりと高杉は押し倒した。
ゆるく、後頭部にはきちんと座布団があったために衝撃は無いようだったが、
周囲は息を呑む。
ぱちぱち、こひじの長い睫が瞬く。
横顔を眺めながら肘をついて、
散らばる髪をそっと高杉の指が掬い取った。
ちゅ、と髪の一房に口付け、高杉は少し笑う。
「なぁ、お姫様」
その刹那。
伸び上がったこひじが美しい白い喉をさらし、
ちゅ、と真横の高杉にくちづけた。
「きゃああああああああああああ!!!!!!!」
煩い!!と武市が顔を顰めたがまた子はもう何がなんだかわからず叫んだ。
「っ、ふ、くくく!」
何が面白いのか高杉は笑い、
こひじの身体を自身の身体の上に乗せ。
ころんと横になる。
こひじはぽふ、と素直に高杉に甘えた。
「なぁ、昼寝に付き合え・・・いいだろ」
「あい」
小さく返事をしたこひじの額に口付けると高杉は目を閉じる。
腹の上に乗せて重くないのか、と言おうかとも思ったが、
とりあえずブランケットを二人にかけ、万斉は溜息。
すやすやと音がしそうな眠りの邪魔をするほど野暮でもない。
幼児は実は眠かったとみえ、可愛い頬をばら色にしてすぐおねむになった。
高杉の手がそっと、
何度もその背をとん、とん、と一定のリズムでたたいてやっている。
万斉はそれを奇怪なもののように思いながら、横で感激だかなんだかで涎を垂らしそうになっているまた子に呆れた。
「隣で眠れば良いではござらんか」
「は?え、いや、その・・・!!」
しどろもどろになったまた子に武市は呆れた。
「いつもの猪女はどこへいったんですか」
「煩いッス!!良いんです!!こうして眺めてるだけで・・・ハァ・・・・・・夢の空間ッス・・・・・・」
万斉はその直後、掌の物体に視線を落とす。
ブランケットをかける一瞬の間に幼児から失敬した物。
こひじに与えられた携帯電話の着信履歴が
近藤近藤近藤近藤近藤近藤近藤松平ぱぱ近藤松平ぱぱ・・・
と続いていくのを黙って見ていた。
バイクに跨り万斉は外を走る。
「拙者の記憶違いで無ければ」
レンズの奥の目を細め。
「近藤というのは真選組の局長で、松平というのは警察庁長官・・・」
ギギギュギャ、とホイールが音を立て、一瞬の後、
殺しきれていない殺気という名の火花を知覚し、バイクを止めひらりとその身をかわす。
音も無く狙われて焦ることは無いがそれでも、
流石に走行中、受身を取るのが精一杯。
無体にも爆発することもなくバイクは停止した。
「黄泉から舞い戻ったでござるか」
頭上、建物の死角に声を出すが返事は無い。
黒ずくめの小柄な男は淡々と次の手を整えている。
「山崎、でござったか」
「お宅の拾い子はウチのお姫様なんでお返し願えますか」
「・・・尾行たでござるか」
「GPSで追いました」
「なるほど」
電源が入っていればすぐ判る。
ならばアジトは。
万斉の顔色が変わったのを山崎は理解する。
「ええ、俺は囮です」
だが虚勢をはっているのはお互い様だろう、
と踏んで。
「殺されかけた傷は癒えたでござるか?拙者相手に時間稼ぎとは豪胆な」
嘲りにも山崎は薄く笑うだけ。
ひゅんと素早く風を切る音。
黒く目の端に映るのは暗器の一種、
厄介だなと万斉は内心で舌打ち。
掠ることさえ出来ない、毒を仕込むのは定石。
だがあの幼児が『副長の土方』ならば。
こちらにカードがある。
余裕の構えを見せた万斉に感情を読ませない山崎の次撃が飛ぶ。
三味線が駄目になっている、と感覚で理解。
なるほど、初撃の狙いは己ではなく此方か。
獲物を抜く前に封じられたのは誤算。
接近が不利なのを熟知しているのか、
男は万斉の射程範囲に入ってこない。
「・・・・・・溝鼠のようでござるな。酷くこずるく薄汚い手口でござる」
勿論山崎は安い挑発に乗るような男ではない。
「見苦しい・・・・・・」
ぎりぎりと互いに睨みあう。
万斉は美しい太刀筋、あるいは純粋な闘気、そういうものに美を感じる。
白夜叉がそうであったように。
伊東がそうであったように。
そして、どちらの男をも『覚醒』させた土方の残虐なまでに美しい旋律が好きだった。
だから。
「・・・・・・つまらん」
こんな勝負は実に。
「・・・・・・・・・生憎」
山崎は乾いた声を出した。
「俺はね、どんな薄汚いことだって出来るんですよ」
だってそれがあの人のためなのだから。
「いいんですよ。あの人は、十分すぎるくらい綺麗ですから」
どれだけ血を浴びても。
あの人はいつもどこまでも美しいままだ。
そういう大事なことはさ。
俺だけが知ってりゃ、良い。
「いくらでも汚れられる」
山崎は薄く笑って。
ひらりと姿を消した。
「・・・ああ、なるほど」
万斉は苦笑。
どうあっても己は此処から動けないようだ。
気配が近い。
・・・取り囲まれた。
午睡のまどろみの後、ゆっくりと高杉が目を開ける。
「そろそろ、家に帰るか」
「ん・・・・・・」
もぞもぞ動いた可愛い塊に高杉は頬を寄せた。
「出てくる」
意外なほど繊細な手つきで髪の乱れを直してやり、抱き上げて歩き出す。
「あ、その・・・・・・」
また子は言葉を探したが、その背に拒絶されていることを理解し見送る。
高杉なりの温情で、そんなものがあるのかは不明だが、
自分のしたことは悪ふざけが過ぎると今更ながら思い知る。
「・・・・・・・・・」
深く息を吐いたまた子は目を閉じた。
「・・・なぁ、お姫さん、おまえどっから来た」
小さな顔は小首を傾げただけでこたえない。
意図的に隠蔽しているのだとすれば酷く聡明。
同時に、
隠蔽しているという事実が秘密の一端を暴露しているも同然だとしても。
そう、流石にこの稚さに高杉を欺けるほどの練達は無い。
「はは、悪い男に気をつけろって教えられてるか?」
何度かじゃれるようにくちづけをし、高杉は笑った。
万斉の気配が僅かにしたことを思えば、
この幼児は、やはり。
と、ひゅん、と音がしたと同時だろうか。
「・・・へェ」
ガキの割に良い腕してるじゃねェか。
切れた頬に高杉はにやっと笑った。
神速、と呼んで差し支えない。
この界隈に立ち入れる者は限られている。
入り口には網を張り巡らせてある。
乗り込んでこれるとしても単身が限界。
ひらりと高杉は路地に入る。
追い詰められたわけではなく、むしろ並の使い手ならばこの狭い場所を厭う。
ゆっくりと見つめれば、視線の先、無言で、
確か、そう真選組の斬りこみ隊長、
名前も忘れたガキが刀を構える。
その目の奥の蒼白い焔に高杉の神経は僅かだが高揚する。
強い相手は嫌いではない。
だが我を忘れているガキなど取るに足らない。
片手で殺せる。
手の中の子どもに人質の意識は無い。
己にも無い。
幼児を盾に取るのは屑のやり口。
さぁどうしてやろうかと思うが。
きゅ、と高杉の着物を掴んだ小さな手に、
どうした?
と顔を寄せてやると。
「・・・ん」
ちゅ、と唇にもう一度キスをされて高杉も、沖田も目を見張る。
小さなやわらかい唇の接触。
するりとその一瞬の隙をついて腕から抜け出たこひじは。
刹那、高杉の懐の短刀を抜き取り。
流れるようにその鋭い切っ先を翳す。
「・・・・・・・・・」
高杉の中で何かがうごめく。
油断していた、というより、
己を殺そうとする子どもがいることが意識の外だった。
音も無く着地した幼児の目は澄んでいながらも殺気があり。
足元のその、酷く美しい生き物に視線を落とす。
「ひ、・・・・・・」
土方さん、と言いかけて沖田は口を紡ぐ。
美しい顔を少しも揺るがさず、
土方は切っ先を微動だにせず構え、高杉の視線を真っ直ぐ受け止めた。
ああ、いいな。
高杉の中で、獣がわらった。
「く、っ・・・・・・は、はははははは」
狂ったように笑った高杉は酷く嬉しげにこひじを眺めた。
「・・・最高だな、おまえ」
本当に。
何もかもが俺の好みに誂えたようで。
やたら色っぽいのは生まれつきか、美人さん。
沖田が稀に見る美しい顔を歪め、
射殺さんばかりに高杉を逼迫するが、高杉は土方だけをその視界に入れ。
ゆっくりと、視線を合わせるように高杉は屈む。
切っ先を向けられても怯みはしない。
膝に手をやり、歌舞伎物の一幕のように芝居がかった仕草。
「なぁ、いますぐ俺のもんになれ」
高杉は婀娜な笑みを浮かべたまま手を首筋に当て、殺気を消す。
稀有な美貌は此方も同じだが、毒華のように淫靡。
「一生大事に可愛がってやる」
こひじは紅い唇の端を僅かに上げ、幼児らしからぬ媚態を見せた。
いや、本人は無意識なのだろう、
媚態に見えるのは造作がどうしようもなく美しいからだ。
その笑みは見覚えがある。
美しい姿形に無自覚なその目と、
強く不敵な笑みが好きだ、そう高杉は思う。
「ばいばい」
無邪気に、人殺しの道具をその、虫一匹殺さぬような白い手におさめたまま。
高杉にくるりと背を向け、
沖田の驚愕を他所にこひじはてまてま歩いてくる。
走らない。
別に、逃げることはないから。
追ってこないと知っている。
「かえろ」
微笑まれ、沖田はその痩躯を抱き上げた。
遠くサイレンが鳴り響く。
遅ェんだよ、と沖田が心中で悪態を吐いたのを見計らったように、
高杉はまた少し笑ったようだった。
「なぁ、ボウヤ」
沖田は足を止めた。
自分に向けられているのだと判る、投げ捨てるような声音。
「そのお姫様をおまえのものにするにゃ、
ちっとばかし時間が足りねェ、そう思うんだろ」
沖田は何故足を止めてしまったのか、
わかっていながら、
それでも眉を顰める。
己の感情を上手く制御できない。
いつだって土方のことで、どうにかできたことなど無い。
「百年経っても無理だと思うぜ」
嘲る声は卑猥。
ぶっ殺してやりたい、
と沖田の中で何かが叫ぶ。
瞬間的に沸き立つ殺意が臨界を過ぎ。
嗚呼、畜生殺してやる、黙れ、黙れ、
「ソレは、そういう生き物だ。俺には判る」
黙れって、言ってるだろ。
テメェに何がわかるってんだ。
いつだって土方さんは、そうだ、俺を壊す魔性の生き物。
テロリストの言葉なんか、黙れ、黙れ。
土方さん、が、いつも。
高杉は淫靡な眼差しを沖田と、小さなその『生き物』に注ぎ。
「・・・美人の副長さんに、ヨロシク」
にやっと笑ったその総て見透かすような顔。
今にも笑い出しそうなその顔。
「・・・・・・・・・黙れ」
くたばれ、
今度こそ背を向け、吐き捨てた。
腕の中の土方の甘い香りに混ざるのは
高杉のものだろう咽返る様に淫猥な匂い。
沖田は唇を噛む。
酒精と戯れた後のような移り香が何故か神経をざわつかせ。
「帰ったら、お仕置きしやすぜ」
しばらく部屋から出してやらねェ。
ぎゅうっと抱きしめた身体に囁くと土方は。
「・・・・・・・・・やさしくしてね」
とろんとした声でそれだけ言って、
どくんと高鳴った沖田の胸にその愛らしい頬を寄せた。
四六時中悪い夢の中で、淫夢を見ているような吐き気。
いつだって、どこでだって、どんなになったって、アンタは土方十四郎で。
ああ、だから、アンタは、俺を壊す魔性の生き物。
「・・・やさしく、しますから」
だから、せめて今だけはどこにもいかないで。
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