目隠しの鬼



その夜、
寝付けない土方の前に現れた闇はゆっくりと伸縮しながらその身体を包み込んだ。

土方がゆっくりと起き上がると、寝付いたときの蒲団は消えていて、
目を凝らしても暗闇だけが広がっている。
「………こちら……」
ふと、声が聞こえた気がして声のするほうを見たが何も無い。
闇が深いのか、と思ってそれから目元に正絹に似た感触がして、
ああ、目隠しをされているのだとやっと土方は思い至った。
何のために、と問おうとして。
声がして土方は瞬きをした。
睫が絹に触れて些細な音を立てた。

「鬼さんこちら…手の鳴るほうへ……」

囁くような声が聴こえて土方は耳を澄ませる。

「鬼さんこちら……」

声が繰り返し繰り返し。

そういえば、昔遊んだことのある。

声を頼りにふらりふらりと歩き出せば、声は近づいたり遠ざかったりしながらもささやき続ける。

「鬼さんこちら……手の鳴るほうへ……」

手の鳴るほうへ、とささやきながらも手のひらを打ち鳴らす音はしない。

声を頼りに歩き続けても、伸ばした指の先に触れるものは何も無い。

ひらりひらりと指をひらめかせながら土方はひらひらと蝶のようにふらついた。

「鬼さんこちら……」

囁く声は少しずつ違っている。一体どれだけの生き物がいるのか。
ゆっくりゆっくり歩きながら土方は耳を澄ませて声を追った。

「鬼さんこちら……」

声は段々遠ざかった。



それから少し経って、土方は眼を覚ました。
暗闇も目隠しも無く、見慣れた屯所の蒲団の中まで朝の光が差し込んでいるだけだった。




夜毎、土方は目隠しの遊びをした。


夜目を閉じれば。
同じように暗闇の中で声がした。
滑らかな絹の感触が瞼にあった。
土方は何故か目隠しを外してしまおうとは思わなかった。
呼ぶ声の調子が幼い気がして、遊びならば付き合ってやるのも悪くないと思ったのかもしれない。

「鬼さんこちら……手の鳴るほうへ……」

やはり手を打ち鳴らす音はしなかった。

夜毎の囁きは密やかに、しめやかな儀式のように繰り返される。

(嗚呼、どうにもわからねェ)

土方自身、己が呟いたのかはわからなかったが。

声に呼応するように、ひゅうっと何かが走り抜けて土方の夜着の裾をひらりと捲った。
白い足が闇に浮かび上がる。

「っあ………」
足先に、何かがくちづけたのが土方にはわかった。
押し当てられた感触は愛撫というにはささやかだったが何がしかの意図を感じさせるもの。

首を傾げた土方は気付く。
何故か、口付けられた足が羽根でも生やしたかのように軽く。
あっという間に声の先に追いついた。

「鬼さん……」

声の主が言い終わる前に、土方が捕えたのはひやりと冷たくまるで枯れた木の枝のような腕。

「ァ、あ………」

何か喉の奥を潰すような悲鳴がしたが土方は構わずに片手はそれを捕えたまま、
静かにはらりと目隠しを外した。

「………ゥ、ぁ」
掠れた声を出した手の主を見て、
土方は唇を少し笑ませて、
「鬼、交代な」
相手のひとつしかない眼にそっと目隠しをした。

くるりと見渡せば、首の無い焼けたような黒い胴体、口しかない顔、ぐにゃりと歪んだ何か、
犬のように四つんばいの桃色の生き物、身体が二つに折れ曲がったまま宙を見上げたもの、
そういうもので一杯だった。
手の鳴るほうへとささやきながら、打ち鳴らす手を持っていないものばかりだったのかと土方は合点がいった。
目隠しをした生き物は枯れ枝のようなものが胴に刺さっているだけの姿でよたよたとその場を踏みしめた。
周りの生き物は皆、怯えたように震える。それから己の姿を隠そうとでもするかのように奇妙な動きをした。

「鬼さんこちら、手の鳴るほうへ」

土方がそう囁いて、目隠しされた生き物はおそるおそる近づいてくる。

「鬼さんこちら…手の鳴るほうへ」

それから、土方がそっと手のひらを打ち鳴らすと、生き物はまたおそるおそる近づいてくる。

ひどく遅い歩みだが、周りの生き物達がじいっとその様を見つめている。

土方はゆっくり手をまた打ち鳴らして生き物を誘う。

「鬼さんこちら……」

とん、と背が何かに触れた。

行き止まりだと土方が思うと、生き物は縫いとめられたようにそこから動かなかった。

幼子が立ちすくんでいるのだと土方は思った。

暫く黙ったまま相手を見つめていた土方はふっと悪戯っぽく笑って相手の腕をとった。

相手が喉の奥で何か言おうとする前に。





ざあっと風が吹いて闇が消えた。

そのまま瞬きすれば、角の生えた銀色の髪の男が立っている。
土方をひたりと見据えた男は少し、辺りを見回して眉を寄せた。
土方が見上げると男はふっと険しさを無くす。
「久しいな……」
そのまま声ごと微笑むとそっと土方の目を手のひらで覆った。

それから優しく手を外されて、目を開けるとそこは荒れ果てた廃屋だった。
剥き出しの足の先からしんしんと冷たい夜の感触が広がっている。
驚いたことに土方の身体には無数の可笑しな痕があった。
「夜な夜な、貴公を煩わせていたようだな……いつもならば、闇で大人しくしているのだが」
男はそう言うと土方の手を引いた。
土方はそのまま男の腕の中に捉えられている。
「あそこに居たのは貴公に逢うのは憚られるような姿形のものばかりでな……だからこそ、あんな遊びを思いついたのやもしれぬ…」
男はそう言いながら、独り言のように零す。
「貴公が、あの遊びに黙って付き合ってやったのが嬉しかったのだろうな。もう少しで……」

そう言いながら男が土方の可笑しな痕をそっと撫でた。
ゆっくりと消えていく刻印に不思議な感慨を覚えながら土方はただされるがまま。
腕から肩口、頬、唇を辿った指がそのまま顎を捉えた。
上向けられて土方は睫を揺らす。
男は吐息で笑ったようだった。
「もう少し、抗うということを知ったほうがいい…私が貴公にしていること、彼らが貴公にしたこと、どちらも人の世には相容れぬ事柄」
それから男は闇の一点を見つめて、唇を引き結ぶ。
そのままふわりと土方の身体を抱き上げた。
「裸足では怪我をする」
そう言うと男は危なげない足取りで歩き出す。
ゆらゆらと揺れる視界の先で男の銀色の髪が踊るのを土方はじっと眼で追う。
銀色が視界の端に映るたび、愛しさで胸が痛くなったのを誤魔化すように土方が男の衣の端を掴む。
「この髪が好ましいか」
問われて土方は素直に頷く。
「ではこの色のもうひとりの持ち主にそう伝えないのは何故だ」
「………」
答えない土方に男は優しげに笑った。

それから、聞き分けのない子どもをあやすような口調で囁く。
「もう少しで、腕か足を盗られるところだった、と言ったらどうする」
土方は瞬きをした。
「刀を握れねェのは困る」
強い眼で返すと男は哀しげな顔をした。
「そうだな……そういうだろうと思っていた」
「……だから多分、取り返しに行くさ」
土方の艶やかに赤い唇が弧を描く。
男は驚いたように目を見開いてから、稚い幼子にするように目を細めた。
「そうか……ならばそのときはみちゆきを……」
そういいながら男が腕の中の半身に顔を寄せた。
端正な顔が近づいてくるのをただじっと見つめる土方に男は少し惑うように笑む。
抱き上げた土方の身体を片手だけであっさりと支え直すと、もう片方の手でその瞼をそっと覆う。
またどこかに連れて行かれるのだろうか、と土方は不思議そうに瞬きをした。
瞬きのたびに触れる睫毛がくすぐったいのか、男は少し笑う。
「そのような眼で、あまり見つめられると面映い」
こどものように言い訳をして、男は土方の身体を揺すった。
それから、品の良い笑いを消してゆっくりと唇を重ねた。
あわせた唇の端で土方が息を零すと男は抱く腕の力を少し強めた。
「もう、夜にあまり戯れをせぬようにな……夜遊びが過ぎるのは身の毒だ」

幼子に言い聞かせるような声だった。
素直に頷く前に、糸が切れたように土方は眠ってしまった。






「おはようございます、副長」
狗のように可愛がっている男の声が静かに障子の向かいで聴こえた。
「……あぁ」


手足に絡みつく錯覚があったが、起き上がればそれも忘れる。
何気なく部屋を見渡したが。
ゆるやかに、朝の光が満ちているだけだった。





end