酔うと人間ってのはさ、なんかタガが外れることってあるだろ?
俺はあんまりそういうの無くて、ホストなんて酒が飲めなきゃやってられねェ仕事だし、売れねェホストや新人は売れっ子ホストや先輩のヘルプに入って客がオーダーした高い酒を代わりに浴びるほど飲まねェといけないわけだけど、ま、だから身体壊してやめてく若い奴も結構いるんだけど、そうそう、だから俺はいちおうナンバーワンでヘルプが多くつくうえにもともと酒は嫌いじゃなかったから、仕事で酔いつぶれることはあっても正体を失くすとかそういうことはなかったわけよ、あの日まではさ。
目の前がぐるぐるまわって真っ赤になる感じがして、ああ外が燃える、燃えるって感覚で、俺は基本的に陽気な酔っ払いだったんであの日はマジでどうかしてたんだと思う。なんだかわからねェけど朝からすっげぇイラついてて、流石に仕事に支障をきたすこたァなかったんだけどよ、アフターまでは持たねェなと判断して、ありがたくも降りかかる色んなお客の誘いを断って、普段は文句を言うマネージャーの新八も俺の様子を察してか何にも言わなかった。タクシーを呼ぶから、とかいってた気がしたけど多分いらねェっていったんだと思う、というかどうやって店から出たか実はあんまり覚えてない。
それから気がついたら目の前がキラキラ光って、なんか嘘みてェに綺麗で、よくよく見たら人が立ってて、これがまた俺の好みのど真ん中ストライクの短髪黒髪サラッサラヘアの長身スレンダーな色白美人なわけよ、ちゅーしたいピンク色のぽってり唇なわけよ、でもエロイのに禁欲的なかっちりスーツなのよ、ああコレってパンツスーツの女神様とかなんかな、とか酔った頭で馬鹿なこと思ってしばらく見惚れてたら、突然なんか腹が立った。なんでだ。いや酔っ払いなんてそういうもんだけどさ、運命の女神ってのがいるなら文句の一つも言いたいって感じの攻撃的な気分だったのよ、あんときは。あと俺なんかとは死んでもお付き合いしてくれそうにねェなとか思ったのかも。
「だからさぁわかる?俺なんか何のために生きてんだよってさぁ思うわけよ、で朝になったら忘れてんのね、でまた繰り返すわけよ、めちゃくちゃ不毛じゃね?この一連のココロの動きみたいなの、なんとかならないかなぁとか思うわけよ、あ、今笑ったろ、超美人だからって笑ってばっかで誤魔化されないよ金さんは、なんせ歌舞伎町ナンバーワンホストだからねオンナの涙と嘘は知り尽くしてるからね、全然痛くないからね、そんな武器、ポッチーだよ、ポッチー、ナンバーワンだから利かないからね、マジで」
「…ソイツぁ凄いな」
「………全然凄くないよ、そんだけ女の子、いや女の子って歳じゃない客も多いか、騙してるわけよ、俺ぜってぇ地獄に堕ちるね、まぁ俺みたいなのはロクな死にかたしねェってよく言われたけどさぁむかしっからあれってなんだろね、わかんのかねやっぱ大人になった俺が極潰しになるんだってことをさぁ、まぁおれ自身が一番わかってんだからガキに他人がどーこー言うんじゃねぇよって感じなんだけどさ、だからこんなヒネた駄目な大人になったわけだし」
女神はただじっと俺の話の続きを待ってる。物好きな美人。神様ってそういうもん?
「………ときどき怖いんだよ、こんな薄っぺらで嘘みてェなんが一応日常で、でもこれは日常じゃねェってどっかで思ってるのに、じゃあ何があるかって何にも無いことだけはわかるのに、俺には他に嫌なモンがやまほど付きまとってるってのに、一番平和なホストしてる時間とか、今みてぇに酔ったときとか、これもちっとも実感がねェ………帰りたいほどの家とか生活が俺には無いんだ」
最後はもう相手に聴こえないくらい小声だった自覚がある。で急に恥ずかしくなった俺は
「もう寝る、寝るよ俺は、どーせこんだけ現実感がねェんだし、起きたら夢でアンタも消えるんだろ?だろだろだよなぁ、アンタみたいな俺の好み丸出しの美人がいるわけないもんね〜あ〜虚しい!もう寝るからね金さんは!!!」
そのまま大の字になって俺は道路に寝転がった。
固いコンクリートなんか平気だ。俺はもっと酷いところでだって寝られる。
起きた時はクラブ万事屋のソファの上だった。
「あ〜やっぱ夢だったんか」
久しぶりの深酒のせいでめちゃくちゃなことを言ったけど、やっぱあれって夢で、寝ちまったんだろうなとか思って頭をかいた俺は開いた静かにドアから入ってきた人物に腰が抜けそうになる。
「起きたか」
夢の女神、というか気にしてなかったけど実は立派に男、しかも相当な色男だった(スーツはカジュアルでユニセックスなものだった)黒髪美人がフツーに俺の前に来て「水、飲めるか」
と大層男らしい口調で俺にミネラルウウォーターを差し出す。オアシスからの女神、いや、俺やっぱまだ、
「酔ってんのかな……」
「まだ酔いが抜けないか…とりあえず水飲むといいぜ。ナンなら熱い茶でも飲むか?ただし気をつけろよ、火傷するから」
いま持ってくる、そういうと美人はまたドアから出て行った。
「……………うそ」
どうやら現実らしい、と気付いてあれやこれや話してカラミまくった俺はもう死にたいくらい恥ずかしくなる、が逃げ場が無いので頭抱えてあーとかうーとか唸って挙動不審になっていたらあっさり美人が戻ってきて
「ゆっくり飲め」
尊大なのに不思議な優しさを感じさせる口調でカップを差し出すと俺を労わってくれた。
両手でしっかりとカップを持つと、指先まであったまって、なんでかわかんねぇけど俺はちょっと泣いた。
俺はむちゃくちゃ悲しかったんだといまならわかる。寂しくて発狂しそうだったんだって。
でもあんときはただイライラしてて、一瞬で消えていく酒の酔いのせいにして自分を騙して、自分の感情を持て余したままただもうひたすらにうずくまりたいだけだったんだ、何処にも行きたくなかったし、嫌だったんだすべてが破滅してもいいくらいに、本当に真剣な投げやりさ、馬鹿みたいにな。
美人は俺をじいっと見ていたけど何も言わなかった。
俺はしばらくそうして声を出さずにただ泣いた。
それから、静かにあったかいお茶を飲んで少し落ち着いて、それから情けなく鼻を鳴らして、
「…ごめんね、なんか迷惑かけたね、俺、凄い酔って情けなかったでしょ、普段はそうじゃないんだけど、や、言っても疑わしいだろうけど本当にそうなんだよ、でも昨日は……ごめん」
照れ隠しといたたまれなさにホストとしてのとっておきの笑顔で美人に笑いかけたけど、
美人はただ頷いただけだった。
「気にしてねェ」
「…………」
「どうした」
どこか痛いのか?と聴いてくる美人を前に段々覚醒してきたらあらためて目の前の美人があんまりにも俺の好みなので非常に物悲しい気分になる。や、始まりが最悪なら後は挽回するだけだって誰か言ってたよな。
というか、俺はまだこの人の名前すら聞いてない。
「…俺は坂田金時、歌舞伎町のクラブ万事屋のホスト」
名乗ると美人は
「土方だ」
「下の名前は?」
「十四郎。アンタもう具合は良いのか」
頷くと土方は少し安堵したみたいだった。
「昨日はあれだけ正直に吐露されて驚いた。で、少しありがたかった」
「ありがたい?」
怪訝な声を出した俺に土方は少し睨むみたいな(照れ隠しだと今は知ってる)目で、でもはっきり俺を見つめて言った。
「……心を開いてくれたんだろ?俺に」
とっておきの秘密を話すみたいなささやきと宝石みてェな綺麗な目。
心臓を一度で打ち抜かれた俺はそのとき、気のきいた言い回しも気障な台詞もなにひとつ思いつかなかったけれど、
「うん、ぜんぶみせた」
そう正直に告げて、思わず土方の手を握ってしまった。
バクバク鳴る心臓に俺が震えているのをどう解釈したのかはいまだにわからないけれど、俺の手を振りほどかずに土方はぽつりぽつりと話してくれた。
「路上に寝るから驚いたけど、アンタが泣きそうだったから、家に連れて行こうと思った。アンタには家が必要なんだろうって俺はなんでかわかんねェけど思ったんだ」
土方は俺の手をそっと握り返した。
「……生徒には正直に話せ、何て言ってたが、まぁ無理な相談だよな…」
土方はそれからひとりごちた。
「土方君は先生なの?」
「そんなようなもんだな、最近カウンセリングの勉強をしている」
土方は極めて自由な私立ミッション系スクールの新米講師で、文科省認定の学習心理支援カウンセラー、なるものでもあるんだそうだ。
「ウチじゃ基本的に全日制の講師の必須資格だ。傷つきやすい学生が多いからな」
「そうなんだ……」
真っ直ぐで綺麗な土方だけど、ときにはそれが眩しすぎると思う人間もいるだろう。清濁併せ持つのが宿命のこの世じゃ、10代のガキにだって病んだ部分はある。
自分が世界で一番醜いと思っている時に、こんなきれいな生き物が目の前にいて「なんでも話せ」と言ったって届かないだろうと思う。自分の惨めさを思い知らされるみたいでさ。
幼い生き物の近しい部外者への反発や攻撃は自己防衛のためには仕方ない。
といっても、どう見ても多くの生徒に好かれていそうなのに、真面目で清廉な土方は悩んでいたのだ。
俺がめちゃくちゃに土方にからんで、それからどんどん泣きそうな顔でむちゃくちゃなことを叫んで、助けて欲しいって言えずに発狂しそうな胸の中をぶちまけたとき、俺が心を開いて、全てをさらけだして自分に縋ってきたんだと思って、土方はびっくりして、でもなんとかして俺を助けたいと思ったと俺に真剣な顔で言った。
「救いを求めてきたものは誰であろうと、己のすべてで護るというのがウチの学園の理念であり、それが神に仕える者と神との約束でもあるんだそうだ。一度だってそんな高尚な気持ちが似合う人間だったこたァねェけど、俺はこの理念が実は嫌いじゃねェ。誰かが助けを求めたら、手を差し出してやりたいと思ったとき、意地を張るばっかの駄目な俺に理由をくれた」
自分の弱さを俺に差し出してほんの少し微笑んだ土方は息が止まるくらい綺麗だった。
世界の誰にもそういう顔で言うのかもしれないけれど、あのとき土方と出逢ったのは俺で、だから俺は土方を愛するチャンスを与えられたと思った。
神なんか一度だって信じたことがない俺でさえも、このときのことだけは何かに感謝してもいい。
あの日、土方に出会っていなければ俺には帰る家も、帰りたい日常も永遠にないままだった。
「…土方君、また一緒に逢ってくれる?」
突然の俺の言葉に土方は少し驚いて、それから笑って頷いた。
だから友人として、ゆっくりでいいから俺を好きになってもらえるように、
俺は土方の日常に自分を少しずつ溶け込ませていこうと決めた。
土方に俺を選んでもらえるように。
土方が俺の帰る家で、俺にとっての日常だ。
今まで一度だって手に入らなかったからこそ、
どれだけそれが綺麗でかけがえのないものか、身にしみてわかっている。
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