くさりおちる、逢い
志村妙は赤い着物の裾、に眼を落として唇を噛んだ。
客に贈られた髪留めを毟り取ってしまいたいと今更のように思う。
店の外は嫌いだ。
外で客を待つのも好きではない。
寒いし、じろじろ見られて、世の中から馬鹿にされている気分になる。
約束していた客が来ない日だってある。
嘘をつくくらいなら最初から約束なんかしないで欲しいと妙は毒づく。
武家の娘の清廉さがいつも邪魔をして、他人の不道徳が赦せない。
ふいに、背後から酔った息を吹きかけられて妙は身震いをする。
「な、に」
思わず嫌悪して振りほどくと、笑われて、酔客特有の絡み方をされて苛苛する。
ニヤニヤ笑う男を睨みつける。
冷やかしなら来るな。
酔って沸点が低くなった男が怒鳴ろうとする刹那。
「お妙さァん!!!大丈夫ですかァ!!!」
目ざとく、ゴリラが割って入る。
正義の味方か王子様みたいな独善的な態度で。
ああまた話がこじれる。
「黙れゴリラ!!」
怒鳴った声にまた酔客とゴリラが暴れだす。
お妙さんは俺が指名したんだぞ、そう怒鳴る声と酔客の罵倒。
煩い。
煩い!
うるさいうるさいうるさい!
指名したから何?
私の何をアンタは知ってるの?
他の女にだって笑いかけてるでしょ知ってるのよ何が愛してるよ。
馬鹿にするのもいい加減にしてほしいわ。
アンタなんか、そうやって一生馬鹿みたいに振る舞って、一生女に冷たくされてりゃいいのよ。
結局妙の身体に触れる事もなく、
つぶれたゴリラを迎えに来るのはいつもなら平隊士。
なのにこの日は違った。
車から降り立った姿に店の女の子が甲高い声をあげた。
すぐにわかる。
ゴリラとは違う歓待。
左右から袖を引かれて、取り囲まれた土方十四郎は困ったように微笑んでいる。
ボーイまでが何故か顔を赤らめる。
わけがわからない。
黒い闇色の着流しから覗く白い肌を妙は不吉なもののように感じた。
色の匂いのする肌は好きではない。
身持ちの硬い人間には、毒が強すぎる男だ。
女の子達が、少しでも自分を見て欲しい、そう訴えて可愛い表情で媚びている。
妙は冷めた目でそれを見る。
可愛げは置いてきた。
弟と生きていくために。
「なぁ、アンタ、あの色男誰か知ってる」
唐突に問われて妙は目を見開いた。
若いが嫌な目つきの男が問う。
「……真選組の方」
「あぁ、そうか、アンタ有名だよな。局長の愛人なんだろ」
妙が眦を吊り上げると男は下卑た笑いを深くする。
「なんだよ、睨むなよ。本当のことだろ?」
「…迷惑しています」
男はさらに厭らしい笑いを濃くする。
「あの色男は落とせなかったんだ?残念だね、ね、あの男前の贔屓の子っていないの」
「………あの方は、ゴリ……局長さんと違ってウチで遊んでいかないので」
「そうなんだー…ま、そうかもね。あんな美形じゃ風俗なんかいかなくてもヤリたい放題だろうね」
話しかけないでくれないかしら。
うちは風俗じゃないわ。
「あの男前とさ、兄弟になったら楽しそうかと思ったんだけど、ね」
「品の無い話はよしてくださいません」
男は急に妙の腕を掴む。
「離して!」
無理やり振りほどくと男が怒鳴る。
「キャバ嬢が何気取ってるんだよ、どうせ誰にでも股開いてんだろ、この阿婆擦…」
男が急にがくんと、後方に上体を倒した。
「テメェ…何しやがる!」
目を見開いた妙の前で、土方が白い指で男の髪を掴んで耳元に囁く。
「お前が触っていい女じゃない、下種野郎」
腹の底が冷えるような声で土方は言い、後ろ髪を掴んだ頭を地面にたたき付けた。
寒い日の路上に、
ぐしゃりと嫌な音が響いた。
怯えた妙に土方はすまなそうな笑みを見せたが、笑いかけてはもらえなかった。
予想していたのか気にした風でもなく、
「騒がせて悪かった」
振り返って店長にそう言う。
すぐに組の人間が男をパトカーに押し込めた。
「手配中の攘夷志士、なんてなぁ名ばかりのカスですね。ただのチンピラだ」
坊主頭の隊士がそういうと土方は笑った。
「だろうな、ま、じっくり灸をすえてやるさ」
「副長、目を覚ました局長がまだ帰りたくないと駄々をこねてるんですが…」
ふっと息を吐くと土方は笑った。
「水飲ませてやれ。まだ酔ってるんだろ」
「はい」
男が行ってしまうと、土方は妙に向き直る。
「さっきの……別に私は傷ついていませんから」
「そうだろうな」
「言われ慣れてます、こんな」
「誰も、事実じゃないことに傷ついたりしねェわな」
妙が睨むように土方の顔を見上げた。
その強い視線を受け止めて、土方はまた困ったように笑った。
「慰めてくださらなくて結構よ」
同情されるほうが腹立たしい。
「…あんたがいい女なのは、俺にだってわかるぜ」
ふっと目元だけ笑ませた土方は、女子どもにしかしない柔らかい表情でそう告げ、
妙の肩をぽんと優しくたたく。
「あんまり怒らないでくれ、どうしていいのかわからなくなる」
本当に困ったような、甘えるような声でそう言われて妙は沈黙した。
切れ長の澄んだ目で睫が長い、馬鹿みたいに関係ないことを思った。
あのゴリラとは大違いだ。
「怒ってません。代わりにゴリラをぶちのめしてあげるから」
弱ったな、と言う様に土方は首を傾げた。
「なぁ、どうしたら機嫌を直してくれる?」
甘さを含んだ綺麗な目で覗き込まれて、妙はまた押し黙った。
こういう、女の扱いが巧い男は苦手だ。
店の子はみんな、凄い色男だというけれど、苦手だ。
怖い。
知らない世界の色を知っている男は怖い。
暴力の匂いのする男は怖い。
……得体の知れない男は怖い。
妙は首を振った。
喉で、さも可愛らしいというように笑いかけられて、子ども扱いされていると思ってカッとなる。
勢いよく睨むとまた、困ったように柔らかく微笑まれた。
「どうしたら女を怒らせないで済むのか知りたいんだが」
「ご自分で考えないから怒られるのよ」
「…はは、そうかもな」
何がおかしいのか男は笑うと妙にもう一度、
「悪かった」
そう素直に言った。
男が車で去るまで、妙はじっと睨んだままだった。
公用車の後部座席でもたれかかった上司の頭を意外にも逞しい山崎の肩が支える。
「なんで謝ってたんです」
「ん?」
声が振動になって伝わってなんだかドキドキする、と遠いことのように山崎は考えた。
「副長何もしてないでしょ」
「怖がらせた」
「片手で局長を殴り倒すひとですよ」
「ん〜じゃ、罪深い世の男代表として」
「なんですかそれは」
「男が嫌いなんだろうと思ってな、ま、小娘はきっとみんなそうだよな」
「小娘ったって、キャバ嬢ですよ」
「はは、それ、まさに罪深い男代表として詫びたほうがいいな」
「貴方は女性に夢を見すぎです。女は強かですよ」
「かもな」
眠ってしまいそうなとろんとした声で土方は相槌を打つ。
「男は弱くて馬鹿です」
「ああ、それはよく知ってる」
「副長、今日は万事屋行っちゃ駄目ですよ」
「ん〜どうして」
「さるお方からお電話が」
「……なるほど、愛にも優先順位があると」
「あんた酔ってるでしょ?酔ったまま旦那に逢うとろくなことない」
「よく知ってるな」
「毎回呼び出されるほうの身にもなってくださいよ」
くあ、と猫のように土方があくびをした。
「女の機嫌と男の機嫌、どっちが取りやすいかな。あ、男のサンプルにお前は除外な。お前の機嫌は取る必要が無い」
「どうせ貴方の奴隷でございますよ」
「恋人じゃなくてか?俺を弄んだのかよぉ」
酔って上気した頬のまま無邪気な顔で微笑まれてくらりと眩暈。
「……俺って『山崎おてがる』って名前じゃないかと自分でときどき思うんですよ」
「20点。残念賞で抱っこしてやろう」
色気たっぷりの顔で見つめられて全面降伏。
「すみませんねぇ、駄目な奴隷で」
抱っこと言ったくせに酔った土方に頬に口付けられて山崎は一瞬固まった。
この小悪魔、エロ、女王様!と内心毒ずく。
人の気も知らないで。
「ん、でも怒らせて機嫌がとりやすいのは万事屋よりあのひとのほうなんだけどな」
「貴方に甘い大人の男ですからね。でもあなたの立場からモノを考えて下さい」
「わかったわかった」
それから、ふと真顔になった。
「偉いだろ。俺、酔っても女を口説かなかった」
「……」
「近藤さんの想い人だからな」
想い人って、あんた本当に乙女なんだから。
「そうですね」
「このままあのお方のお家までお送りしますか?戻って一度着替えますか?」
「家といえば…な、今家買ってくれるっていわれてんだけど」
「もれなく贈り主がオプションでついてくるんですね」
「あ、やっぱそうか」
「当然ですよ。あなた危ないんだから」
「山崎と同居するって言ったらどうだろ」
「俺が海の藻屑になるかもしれません」
「……もくず」
「やめてくださいよ、面白がるのは」
土方は酔ったように頭を振って唐突に零す。
「せっくすしたくない……なぁ、今日は」
「……お断りの電話します?」
土方は半開きの唇を尖らせた。
「なんでお前俺に甘いわけ、駄目だろ。この時間に呼び出しってことは期待してるはずだから…ってやらしー…はは、ご機嫌損ねちまうだろ」
こういうときの土方さんが痛々しくて綺麗なのはいつものことだ、と山崎は思う。
「無理してすることじゃないでしょ」
「ま、そうかもな。でもなぁ…総悟の馬鹿がやらかしたからなァ……」
そうごの、と言うときの目は溶けそうに優しい。
沖田さんは、どうしてこのひとに愛されていないと思うんだろう。
ガキだからだろうか。
「………」
ガン、と山崎が運転席の背もたれを蹴った。
わざとらしく車が緊急停止。
「おい…」
「大変、事故りましたねぇ…」
「はァ?」
「というわけで、連絡しましょーか」
にっこり笑って片手で携帯電話を開く山崎の手元を、まるで子どもが手品でも見るようにきらきらした目で土方は眺める。
「なぁ、山崎」
「はい」
「おまえってほんとうにおれがすきだよな」
「ええ」
土方はこどものようにしあわせそうに、声を立ててわらった。
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