始まりは万事屋にかかった一本の電話だった。

仕事を頼みたいが電話では説明しにくいと告げられ、
出向いた先のでかい屋敷のでかい客間、ふかふかの座布団の上で、あ、こりゃ報酬も期待できそうだな、と思った。
連れて来た新八と神楽も、冗談みたいに豪華な部屋でそわそわしている。
少し経って、執事だと名乗った男が出てきた。
挨拶もそこそこに、綺麗な姉さんが出してくれた高級なお茶菓子をほおばりながら俺達は話を聞いた。
「実は、ある怪異の原因を確かめて頂きたいのです」
執事はそう言って如際無い笑みを浮かべた。
「かいい?食べられるアルか?」
「神楽ちゃん、怪奇現象って意味だよ」
おいおい、勘弁してくれ。はっきり言って俺はそれだけで逃げ腰になった。
「当家の所有する土地のひとつをこの程売りに出すことにしたのですが…」
執事はそこで少し言葉を濁した。
「建っている建物を壊す為に雇った者達が揃って化け物を見た、と言いまして…
もう半月ほど経っていますが、工事が一向に進みません」
「面白そうあるネ」
おいおいおい。
「ただのストライキとかじゃないんですか?」
「十分な報酬を約束していますから、待遇に不満があるとは思えませんが…」
確かに、俺たちへの対応からしても金に汚い感じはしない。(金持ちにはケチが多いとは言うけどな)
「恨みでも買ったアルか?」
「御宅への嫌がらせってことはないんですか」
「…騒ぎが起きてから何人も雇いなおしているものですから、皆揃って嘘を言っているとは考えにくいですが…」
そう言うと執事は黙った。確かに、皆揃って嘘を言ってるってのは考えにくい。
「で、何を見たって言ってるんですか。その人達は」
「……それが」




辞めた男達は皆、真っ青な顔をして一様に。
「くび、が」
そう言い残して後は一言も話さない。
執事はそう言っていた。
その場で引き受けるのはどうしても嫌で、一旦万事屋に戻った。
「銀さん、正式な依頼ですよ、それこそ三ヶ月ぶりの」
「そうネ。ワタシ達このままじゃ飢え死にしてしまうネ」
一食に米五合も食う奴が飢えて死ぬか。
「俺はそういうのは引き受けないの」
「とか何とか言って、銀さん、ホントは怖いんじゃないんですか」
「・・・」
新八と神楽の視線が情けないモノを見るものになった。
「銀ちゃん・・・」
「銀さん・・・」
「あー、あーわかったよ!俺はべべべ別にばばば化けモンとか怖くないモンね、全然」
「ほんとですかぁ?」
「新八、テメ!なに言ってんの、ホントも何もバリバリだよ、銀さんは」
「じゃあ、引き受けるってことで」
「キャホホーイ!これで卵かけご飯食べ放題ネ」

……ああ、嵌められた。




執事に前金と地図をもらって出向いた先は確かに馬鹿でかい土地と屋敷だった。
屋敷は永い事使われていない所為か傷んじゃいるが、こんな立派なもんを壊そうってんだからまったく。
「金ってのはあるとこにはあるんだよな」
「…にしても何もでませんね」
「昼間だからネ。お化けは夜出るものヨ」
出るな出るな出るなよー。
嫌だが、仕方ないので庭の茂みに隠れて暫く待つことにした。



夜の十二時を過ぎた頃、神楽がうとうとしだし、痺れを切らした新八と俺は愚痴りながら、三人で勝手に屋敷の縁側に座った。
「やっぱり、ガセだったんじゃないですか」
「何も出ないネ」
庭を眺めながら三人で零す。
「もう眠いですよ」
「お肌に悪いネ」
「…帰るか」
縁側から降りて広い庭を進む。
なんだか物凄く時間の無駄だった。
前金もらっといて良かったぜ。
「何て報告します?」
「何も居なかったネ」
「ほら見ろ。どーせいたずらとかそーゆーんだよ。大体今どき化けモンなんて…」
と、新八と神楽が立ち止まって俺の背後を指差す。
「…銀さん、あの」
「…銀ちゃん」
あ、何その顔。
「おい、やめろよ…おおおお俺はそういうの騙されないからな!絶対だ!」
絶対振り返らないぞ俺は!
「あ、ああ……」
新八が引きつった声を出した。
「…んだよ、っておいいいいい!」
腕を、がっしりと何かに掴まれている。
「は、放せ……」
「ちょ、ぎ、銀さん、僕…足」
新八が震えだす。
見ると新八の足元を、がっしりと二本の腕が掴んでいる。
観念して庭を見渡すと。


辺りは、化け物で一杯だった。




俺や新八、神楽の体に纏わりついて逃がすまいとしているのか、破れた着物から覗く手足は土気色で、数だけで軽く十五、六の死者、もしくは人間の形をした何か。
「ほわっちゃあああ!!」
神楽が威勢良く背後の気配に殴りかかり、それを合図に俺達は一斉に暴れ出した。
もう、無我夢中だ。
新八も神楽も俺も、とにかくその化け物どもに掴まれた体を振り払うように動き、伸びてくる手足を叩き落した。
「銀さん、キリが無いんですけど!!!」
「ゾンビかよ…」
死者の群れはいくら叩きのめしても、懲りずに襲い掛かってくる。
纏わりつかれて気色悪さに窒息しそうだ。
「おい、逃げるぞ!」
足を掴まれたままだが、んなん構ってられっか!

と、突然死者の群れが金切り声をあげだした。
『グギギギギギギャ』
酷い不協和音に耳が壊れそうになる。思わず耳を覆うと恐ろしいことに、
「動け、ねェ…」
手足が、まるで金縛りみてェに動かない。
「銀さァん!!!ちょ、体が」
「ぜんぜん動かないネ!」
と、屋敷の奥の襖が音も立てず開いて、
転がり出てくる何か。

てん、てん、てんてんてん。

軽やかな音に、手鞠か何かかと思う。
少女が取り落とした手鞠のような弾み方。
転がり続けたそれは、俺の前で止まった。
「マジかよ…」
月夜にもはっきりと判る。昔、そういえば見た事が、あった。
首だ。
赤い血液が、切られて幾ばくも無いとでもいうかのように滴り堕ちている。
その首が、かっと見開いた目に憎悪を浮かべて、
「……ぇ、…死にたく…ねぇなぁ…」
そう、言った。
急速に記憶が逆流しかけて息を吸う。
視線を上げると屋敷の奥から、背の高い首の無い胴体が、ゆっくりと歩いてきたのが見えた。
まるで、コマ送りみてェにゆっくりと。
喉が凍りついたように声が出ない。
心臓が、バクバクと凄まじい音を立てている。
冷や汗が背中をつたう。
ヤバイ。
本能が、そう言っている。
死者の群れよりももっと。
首の無い胴体は、俺の目の前まで歩み寄り、やけに白い腕を伸ばしてきた。
俺の首に手が絡みつく。
足元の首は、痛いのか呻いている。死にたくない、と繰り返す。
叫びたい、のに、声が出ない。
そのまま、ギリギリと首を絞められる。
すげぇ力だ。
新八や神楽が泣きそうに俺を見るが声が出ない。っていうか、
息、が……
気が遠くなりそうになった。
酸素が足りなくて。
なのに突然、すっと音を立てて真横の襖が開いた。
現れた人物に、その落ち着き払った顔に、一瞬ここが何処だか判らなくなる。
漆黒の髪と、病的に白い肌。非番のためか、夜に溶け込む着流し姿の。
土方が、近づいてくる。
そのまま、
首。
そうだ、首だ。
そっと白い手が俺の足元の首を持ち上げ、その見開かれた目を、怨嗟を零す口元を、じっと見つめている。
「……や、めろ」
何故か絞り出すように声が出た。
俺の声に首を傾げた土方は口の端を僅かに上げ、首の目を手のひらで蔽った。
と、俺の首を絞めていた胴体の力が緩む。
どっと入り込む空気に咳き込んだ。
ヒューヒューと器官が音を立てるのを抑えて見つめると、胴体が俺を突き放して土方の元へ歩き出す。
俺は動けない体で必死に胴体を横目で睨みつけるが、それは土方の前で静かに立ち止まっただけだった。
代わりに首が、何か言おうと口を動かすのがかたかた鳴る歯の音でわかる。
物悲しいが必死な仕草だ。
土方は首の目を覆っていた白い手のひらをそっと外し、首に顔を近づけた。
何かを聴き取ろうとでもいうかのように。
すると首は、急にぴたりと口を閉じてしまった。
辺りの死者も急に大人しくなり、新八も神楽も声と動きを阻まれているだけで、苦しんではいないようで安堵する。
首を抱え上げた土方の白い手のひらは、少しだけ血で濡れてしまった。
暫くの間、土方は微動だにしなかった。
ぽたり、ぽたりと滴る血に、土方の手のひらが赤くなっていく。
寒紅梅のようだと思った。
確かに目を奪われた俺に構わず、土方の不必要に赤い唇が動いて、
首の耳元に何事か囁いた。
それで、胴体はぴたりと、その動きを止めた。
新八はやっと引っつかまれた着物を解放された。
神楽を押さえつけていた死者も動かなくなった。
それから。

あたりは静かになった。
しんとした空気の中、土方はまた首をじっと見つめて、そっと胴体の傍に置いた。




それからの土方は事務的だった。


手の血を拭うと屯所に電話をかけ、まだ呆然としている神楽や新八の傷を検分し、異常が無いと判ると
「飲め」
近くの自販機で買ってきた飲み物を俺達に与え、風下でタバコを吸った。
何も言う気はないようだった。
土方がタバコで口を塞いでしまってから、
二本目を吸い終わる頃にはサイレンの音を響かせて隊士達がやってきて、死体は片付けられた。
死体は正しく「死体」で、さっきまで動いて俺達を襲っていたなんて冗談みたいだった。
「ご苦労様です、旦那」
ジミー、いや山崎がやってきて、新八や神楽の手当てをするよう促したが、
土方が見た通り二人とも特に怪我をしていなかったから断った。
「じゃあ、もう遅いですから」
結局二人は組の車にお妙の家まで送ってもらう事になった。
ゴリラが居なかったのは幸いだ。
「ねぇ、ジミー」
「山崎です、旦那」
「これってやっぱ他言無用?」
「言っても信じてもらえないと思いますけど」
死体に襲われた、なんて。
「依頼人に報告しないといけないんだけど」
「旦那なら何とでも言いぬけられるでしょう?」
「……ま、そうだけどさ」
「隊士達にも、ただの死体処理と言ってますから」
「あ、そ…」
真選組も色々大変なのね。
それだけ言うとジミーは土方に向き直ると穏やかな声を出した。
「お疲れ様です。副長、乗ってください」
土方は首を振った。
「俺はいい」
「お出かけですか」
「ああ」
ジミーが俺を見た。
「旦那は、どうなさるんで?」
「んー、俺はちょっと飲みたい気分だから」
すかさず飲みすぎるなと新八達に釘を刺され苦笑する。
二人が車に乗り込んだ後、山崎が俺を見上げて
「あの人、なにかしましたか?」
そう言った。
「何かって?」
惚けると山崎はちょっと笑って
「気をつけてあげてください。こんな日は」
俺が何も言わないうちに車に引き返す。
「今日は冷えますから」
土方は渡された上掛けを素直にはおると頷いた。
「お迎えにあがりますね」
気遣わしげな隊士達の視線を背に土方は片手をあげると歩き出す。
危なげない足取りのそれに、何故か不安を覚えて慌てて後を追う。
背後で隊士どもが息を飲む気配がしたが、知ったことか。

「土方」
呼び止めると土方は足を止めずに、だが、振り向いた。
何だ、と視線で問われて言葉に詰まる。
「………いや」
何だ、と言われると困る。自分でも何から聞いていいのか判らない。
「奢ってやろうか?」
「え」
「飲みに行くんじゃなかったのか」
「あ、うん……」
それから、店までの道のりを二人でゆっくりと歩いた。
「なぁ、あれ、何だったんだろ」
「………さぁな」
土方はそれだけ口にすると、またタバコを咥えた。
その横顔を見ながら、俺は考えた。
土方が首を抱えると、呪詛の言葉を吐き続けた首が口を閉じた。
土方が囁くと、あんなに暴れた胴体がぴたりと大人しくなった。
あの首に何を言ったんだろう。
夜の闇の中で、隣を歩く土方の顔は抜けるように白く綺麗だ。
時折、夜風が髪をさらっていく。

なぁ、あの首。

お前に惚れたんじゃないか。


思ったことは結局口から出ない。言ってはいけないような気がした。
「……歩きタバコはダメだよ」
「知るか」

その夜、土方は何も語らなかった。






後日、死体の殆どはここ数年の間に行方不明になった人間のものである事が判明した。
相変わらず俺には何故か口の軽い山崎が見回り中に俺に教えてくれたのだ。
「にしてもさ、死体ってなぁ…案外腐らないんだな」
「腐ってましたよ」
こともなげに山崎は言った。
―――――は?
「俺たちが襲われたときはピンピンしてたぜ」
死体にそれもおかしな表現だが、少なくとも顔形がわかるくらいには。
「なら、そういう風に見えたんでしょうね」
わけわかんねェ。
「殆どは歯の治療痕とかで照合しましたから」
腐敗の進んだ死体を判別する手法の一つ。
「……なぁ、首と胴体がばらけてたやつ、あっただろ?」
土方が抱え上げた、あの、首。
「ええ、ありましたね。そういや殆ど腐敗してなかったな…」
「あれ、誰なんだ」
「さぁ…あれだけ、身元がわからないんですよ」
山崎はそう言って、何とも言えない表情になった。
「天涯孤独の身の上だったのかもしれませんね」
「どーなんの?」
「…どうにも。一定期間は保存しますが、その後は無縁仏です」
淡々と事実だけを述べ、山崎は地味な顔で自嘲気味に呟く。
「この街じゃ、よくあることですよ」
何となく嫌な気持ちになって、俺は何も言わなかった。

「…でも穏やかな顔してましたよ、あの首」
去り際に山崎はそう言った。





あの綺麗な白い手に抱かれて、一瞬でもあの首は、怨嗟を忘れてしまったのかもしれない。

俺と、おんなじで。





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