ひとまず万事屋で保護する、と告げれば沖田は黙って頷いた。
血みどろの姿をじっと見つめる土方に沖田は力無く笑った。
「そのお人は、強いですから、大丈夫ですよ」
「そうごは、いたくない?」
「勿論、俺は怪我なんてしやせんよ」
土方は小さく首を振った。
「ほんとにいたくない?」
「……ええ」
沖田には痛いものを痛いという機能など無いのだ。


「見廻り組に気づかれてるみたいだけど」
先日のやり取りを思い出し、銀時は付け加える。
「近藤さん達に報せやすよ、浪士どころか法治者にまで誘拐されちゃ敵わない」
沖田はそう言うと溜め息を吐く。
「俺はここに残ります。じきに組のもんが来ますから」

ピピピ、と小さく鳴った携帯に沖田は短く会話し、
銀時に渡した。
「なに?」
『どうも…山崎です。旦那、大体分かったと思いますが、その子はただの幼児じゃありません。
絶対に外に出さないでくださいね。
すぐ普通車で迎えに行きますから。組の関係者と思われちゃまずいんで』
猫になったり爺になったりしている我が身からすればさほどの事ではない。

「はいはい」
だったら外に出すな、と思うが何やら沈んでいるらしき沖田に鞭打つほど悪趣味ではない。
何か言っている電話を沖田に返すと、
足早に銀時はその場を後にした。



万事屋の玄関を開け、
鍵をかけてから向き直る。

「おじゃま、します」
きちんと挨拶をした後、
その小さな存在は銀時ににこっと笑いかけてきた。

「………」
あらためて、この子は本当にあの男なのだろうか。
人間は驚きすぎると口が利けなくなるらしい。
にこっと、音がしそうな微笑だった。
銀時はたっぷり1分間停止した。
それから詰めていた息を一気に吐き出し、しかし叫ぶことなく土方を凝視した。
小さい手、さらっさらの黒髪、真っ白な肌、ピンクのほっぺ、
長い睫、大きな目、どこからどう見ても完璧な美少年。
「ッ………ハァ……ハァ……窒息しそう………あの、触っても、いい?」
震える声とわなわなと震える身体、止めていたせいで荒い息。
まるっきり変質者の様相であったが、素直な土方は頷く。
「うん」
どうぞ、というようにちょこんと姿勢を正す。
「……ま、マジか」
どんだけ良い子なんだ。
そしてどんだけ無防備なんだ。
こんな可愛くて綺麗で儚い感じの子がこんなんで大丈夫なのか。
ぐるぐると考えつつも欲望に負け、
そおっと両脇に手を入れて抱き上げるとされるがままにじいっと銀時を見ている。
柔らかくて、小さくて、イイ匂いがして、どこもかしこも真っ白でつやつやのピカピカ。
「ほ、ほっぺ気持ち良過ぎ……」
すりっと頬に摺り寄せると柔らかな感触がして、銀時の大好きな高級大福餅の何倍も魅惑的な感触だった。
ぷにぷに音がしそうに柔らかな頬は、あの土方のシャープで美しい頬のラインとは違うが、
また異なった趣があった。

山崎が居れば確実に暗殺される所業だ。

「て、あらっていい?」
「あ…うん。洗面所はあっち、いや、一緒に行こう」
お利口さんだ。
ソファに座った小さな子は銀時の視線を受けてにこにこ笑っている。

「ね、名前は…やっぱ土方で良いの」

「えと、あのね、みんなはね、こひじっていってくれるよ。
でね、そうごはひじかたさんていうよ。まつだいらのおじさんはとしっていうよ…あとは、
うーん、むずかしくてわかんないの。ごめんなさい」
可愛すぎてごめんなさい。
「……こひじちゃんて呼んでいいのかな?」
「…ん」
長い睫をぱちぱちとさせた後、こひじちゃんはこっくりと頷く。
「おにいちゃんは、おなまえは?」
おにいちゃん?
「あー、ぎんときだよ」
「ぎんとき」
銀時、って、土方がきわまったときに呼ぶので何となく背徳感が。
「………ぎんにい、って呼んでくれる?」
「うん。ぎんにいのことはぎんにいってよぶね」
いや、これはこれで背徳感に満ち満ちているが。
銀時が煩悶して俯くとこひじちゃんは不思議そうに、
無垢な目で銀時を見つめた。
そんな目で見ないで、と銀時はさらに困って俯いた。
この天使に俺は将来とんでもないことをするわけで、なんというか…
などと思って罪深さに青くなっている銀時は、
急に己の身体に熱が篭るのを感じた。

ちゅ、とかるく、本当に軽く何かが触れ、
それがこひじちゃんの小さな唇であることに気づいて銀時は震えた。
「あ、……」
元気の無い銀時を案ずるようにこひじちゃんは小首をかしげた。
「ん…ぎんにぃも」
ちゅ、てして?
そう囁いてそっと頬を差し出す仕草があまりにも可愛らしく、
無防備な優しさに満ちている。
「あ……」
「ちゅ、って……だめ?」
少ししゅんとして遠慮がちに言うこひじちゃんにあわてて首を振った。
「いや、その……良い、の?」
「げんきがないときはね、みんなね、とうしろうがちゅってしたらげんきになるっていってくれた、から……」
だめだった?まちがえた?
そんな感じでどんどん声が小さくなっていってしまうこひじちゃんを慌てて銀時は抱き寄せた。
「凄ェ元気なった!いや、ほら、ちょっとまさかしてくれるなんて思ってなかったからびっくりしただけなんだよ!!」
汗をかいた銀時にこひじちゃんはまた小首をかしげて。
「ぎんにいは、だれかとけっこんしてるの?」
「は?え、いや…」
結婚?
いや、その、お付き合いしてる人はいますが。
というかお付き合いしているんだがいないんだか分からないのが悲しいつれない美人が。
「よかった。けっこん、してたらね、ちゅってしちゃだめだってそうごがいったの」
「沖田君が?」
「うん。あのね、けっこんのやくそくはね、くちにね、ちゅってするんだよね?しってるんだ」
「……誓いのキス」
「だからおよめさんじゃないひとがちゅってしたら、かわいそうだからだめなの。
まつだいらのおじさんはね、およめさんいるから、とうしろう、ちゅってしないの」
「……泣いてない?」
そんな殺生な。
「でもね、おじさんがちゅってしてくれたら、するよ」
「ああ……そっか」
「いつもね、だれかがしてくれたら、とうしろうもね、ちゅってするの」
えへへ、とはにかみながら可愛らしい唇を指でさす。
「でもね、ときどきね、とうしろうからちゅってしたい」
…恐ろしいことだ。
この天使は生まれながらの小悪魔ちゃんだ。
いや、周りが悪いのか。
つーか、なんか納得いかねェ。
俺のいない間に何とんでもねェことしてくれちゃってるわけ?
ちゅって…、ちゅって………!!
何がちゅってしてくれたら元気になるだ?!
テメェらなんぞ殺しても死なねェ無骨なゴリラの集まりだろーが!!
なにさりげなく人の恋人に要求してるわけ?!
誰がこの無垢な天使のファーストキスを奪ったのか、
腹が煮えそうに凝るのを押さえて無理やり笑ってみる。

「じゃあさ、その……いちばんはじめにちゅってしたのって、誰かな」

「……ためにい」
こひじちゃんはぽつりと呟くと、視線を落とした。
難しいことは分からないが、
彼に「もう逢えない」ことをこの聡明そうな子は理解しているのだろう。
「為五郎さんとか………」
思わず抱きしめるとこひじちゃんは大人しく銀時の胸に顔をうずめた。
「とうしろう、わらったら、ためにいもね、わらって、ちゅってしてくれた……」
段々小さくなる声に、思わず腕の力が強まる。
こひじちゃんは小さく息をして、腕の中できゅっと丸まった。
「ちゅって、してくれたら、いたいのどっかいったの」
「そうか……」
胸の辺りをきゅっと掴んで、こひじちゃんはいたいのどっかいった…ともう一度小さく呟く。

あの日、墓前にひとつの誓いをした。

土方を誰よりも愛してくれたであろう、
その人なら、仕方が無い。


痛みも悲しみも、拭い去れるような愛を俺は、
この子に、この子の未来に注ぐことが出来るだろうか。
かつて先生が俺にしてくれたような、あの安堵。
土方にも、きっと、心のいちばんやわらかいところに、
大切な記憶があるんだろう。

俺達はまだ、どこまでを赦しあえるかわからない。
だから今は。
己の持て余すような大きな恋心を悟られてはならない、
そう、言い聞かせて。

「ぎんにい」

胸の奥の何かがわずかに軋んだことからは目を逸らした。
小さく、やわらかく、愛らしい。
運命の過酷さも残酷さも知らない、儚い呼吸と拙い挙動で生きる
ひどく壊れやすい存在。
銀時を見あげて、しばらくじっとしたこひじは、
それからまた静かに銀時の腕の中に顔をうずめた。
ああ。
こんなにも儚い、息をしているのが奇跡のように拙い挙動。
この、壊れやすい天使のような子が、
どれだけの死線を潜り抜け、
あの男になるのだろうか。
あの、真っ直ぐ伸びた背筋と、凛とした立ち姿を呼び覚ませば胸苦しい。
狂おしいほどに、あの男が欲しいのだと、どうして自分だけが分かってしまったのだろう。

あの男はきっと最後には、前だけ向いて歩いて、俺のことなど振り返らないというのに。

そっと手を取ると、不思議そうに瞬きをした。
蝶の羽ばたきに似た優美な動きは、
未来の美しさの片鱗を既に備えている。
羽化する寸前の姿は、見ていない。

俺の知らないところで、少しずつかわっていく。
だけど、この小さな身体の中に詰まった優しさや美しさは、
どこにもいかないままであの男の内にあるのだろう。

「……っ」

ふいに、己の髪を撫でる手は優しく、
慈愛に満ちていて。

「ぎんにい、かなしい、いっしょだね」

寂しいのも、悲しいのも、
誰だって同じなのだと。

「でも、ぎんにいがいっしょで、すごくうれしい」

たとえ秘めた想いが伝わることは無くとも、
共に在って良いのだと教えてくれるから。


「あぁ………俺も」

なんだろ、こんなこと言うのは、
上手くないんだが。
お前が生きていることが、すごく、嬉しいんだ。


おまえが生きていること、ただそれだけでこんなにも嬉しいなんて、
俺は幸せで怖いくらいだ。

小さなお姫様。
城から迎えが来る前に、
誓いのキスをするのは赦されるだろうか。





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