天使のまどろみ
「可愛いなぁ……」
ほうっと溜め息をついて原田は性的な意味ではけしてない、
しかし確かな熱のこもった視線を送った。
目の前の天使は原田の知るあらゆる子どもの中で群を抜いて愛らしく、
聡明で華奢で壊れ物のように儚かった。
しかし小さな体と大きな目で、
時折こちらが息を呑むような表情をすることがある。
静かに、とても静かに、周囲を見ている。
視ている、のだ。
「普通はさ、こんなに可愛い子が将来は十人並みになったりするんだよな。
それが未来はあの副長だもんなぁ…マジで副長は奇跡みてェな人だよな……」
遠慮がちに手招きすると嬉しそうにこひじちゃんは瞬きをする。
壊れそうな身体を案じて、抱っこはあまりしていない。
「俺もさ、これでも昔は結構美少年だったんだぜ。それがいまじゃこの強面よ。土方さんは何から何まで極上だよなぁ…
俺らとはスケールが違うっつーか」
てまてまと音を立てて近づいてきたこひじちゃんをそおっと、そおっと抱き寄せると、
「きゃー」
嬉しそうにはしゃがれて照れくさい。
こひじちゃんは強面の原田が嫌いではないようで、
ぺちぺちと頬やつるつるの頭を触ってご機嫌だ。
「こひじちゃん、痛かったら言ってな」
「だいじょぶだよ?」
天使は不思議そうな顔をしている。
分かっている、
自分の子どもの頃だってそうだったように、子どもは案外打たれ強い。
その辺に転がしたって生き残るくらいしぶといのが混沌の世の本来の子どもの強さなのだ。
だが、この、世が世なら将軍の小姓として召しだされるような生粋の美少年を前に、
凡百の子どもと等しい扱いが出来ないだけで。
そして何より。
「副長の幼少期っていうのがなぁ……」
恐れ多くて、無体など出来るはずも無いのだ。
巡回帰りの原田がこひじちゃんを発見したのは屯所の門をくぐって少し過ぎた辺りだった。
きょろきょろとしていたこひじは、原田を見つけてほっとしたように、
それからすぐにしゅんとなった。
外に出てはいけない、という言いつけを守れなかったことを聡明なこの子は悔いているのだろう。
「寂しくて出てきちまったのか?ごめんな」
そういえば、今日はこひじちゃんを隠さなければならない相手が相次いで来訪していて、
朝から部屋に軟禁状態だったはずだ。
そのうえ山崎は数日前から泣く泣く仕事に出ていた。
駆け寄ると原田はそおっとこひじの手を握った。
それから、思い直してきゅっと握ってやると安心したのかやっとこひじの頬の緊張が解けた。
「戻らないとみんな大騒ぎするだろうな」
「とうしろう、いけない?」
しゅんとして、猫の耳でもついていたらぺたりとなりそうにこひじは俯く。
「いや……一人にしたら寂しくなるに決まってる。寂しくなったら誰だって誰かを求めて歩いてくもんだからな。
近藤さんも、夜にお布団に行っても怒らないだろ」
こひじちゃんがこくんと頷く。
よっ、と抱き上げるとこひじちゃんはきゅっとしがみついた。
「俺もよ、こんなオッサンなのに怖いときがあるんだ」
目線をあわせ、覗き込むようにした原田に、
「はらだのおにいちゃんも、こわいことあるの?」
こひじはぱちぱちと長い睫を動かした。
「あぁ…怖いことばかりさ」
こひじちゃんはとびきり優しい子だった。
幼児には泣かれ、実は20代だというのに当然のようにオジサン呼ばわりされる超強面の原田を
「はらだのおにいちゃん」
と言ってくれる時点で、その聡明さと思いやりは明白だが。
就寝前のひと時をストレッチで過ごしていた原田は思わず目を見開く。
「こ、こひじちゃん………」
動揺する原田に枕を片手に頬をピンク色にしたこひじちゃんが
ちょこちょこと歩いてくる。
精巧なお人形のような歩幅。
「いっしょ、いい?」
しかしお人形は愛らしくはにかむ。
一緒に寝ても良いかと、この天使は訊いているのだと理解するまでにやや間があった。
白い綺麗な寝巻きを纏ったこひじちゃんは本物の天使のような愛らしさに満ち、
不用意に触れば壊れてしまいそうに儚く感じられた。
原田はただカクカクと頷いた。
そっと、こひじちゃんが原田の隣に座る。
やわらかくていい匂いのする小さな小さな子。
見あげる目は澄きとおって透明。
「さ、さみ」
寂しいのか、と問おうとして思い直す。
昼間のあれは。
理解すれば胸がいっぱいになった。
この綺麗な子の中にはどれだけ優しいものが詰まっているんだろう。
原田はすっと、襟を正し。
その場に静かに座り直す。
そして、幼児にするには敬虔過ぎる態度で口を開いた。
「ぜひとも、ご一緒させてください」
敬愛する土方十四郎に告げる言葉は、
常に一途にひとつなのだ。
やわらかくて小さくて、清潔ないい匂いに包まれる
幸せなまどろみのなか、
一瞬の緊張が原田を襲う。
腕の中の大事な存在に僅かな恐れも与えぬよう、
静かに起き上がった先で、
原田は見てはいけないものを見てしまう。
「ひぃッ………」
夜の闇を縫うように、月明かりが射す中で薄く開けられた襖の隙間、
二人の様子をじっとりと覗く恐ろしいいくつもの目、目、目。
その嫉妬に塗れた視線に原田は凍りつきかけ、
腕の中のこひじちゃんを怯えさせないよう、目を固く閉じた。
その日から、こひじちゃんに添い寝する(してもらう)権利を巡って、
恋の病に犯された者達が壮絶な争いを繰り広げることとなるのは、やはり仕方の無いことだろう。
back
2011/09/25