『こひじちゃんとゆめのくに』
テレビは教育に良いアニメーションか綺麗な景色と音楽のみ。
山崎の決定によりこひじちゃん専用の薄型テレビが用意され、
「ねずみさん、わんわん…いっぱい…」
じいっと大きな眼で画面を見つめていたこひじちゃんはキラキラした画面に釘付けだ。
某超有名テーマパークの特集番組。
「さがるおにいちゃん、わんわんいっぱいだったね、くるくるまわってて、えーと…きらきら」
拙い語彙で必死に説明しようとしているこひじのあまりの愛らしさに山崎は早くも悶絶する。
さがるおにいちゃん、と土方に言われた事実だけでこの先一生、
大きくなった土方にサンドバックにされても笑っていられるだろう。
「…可愛い……ねぇこひじちゃん、行きたいですか?」
「わんわんたちにあえるの?」
「ええ、にゃんにゃんもわんわんもくまさんも何でも居ますよ」
「どーぶつえん?」
「いえ、所謂夢の国です」
「ゆめのくに?」
「はい」
こくんと頷いたこひじちゃんに山崎はまためろめろになった。
不覚だった。
山崎退一生の不覚。
「トシィィィ!!!これなんかどーだ。おじさんがなぁんでも買ってやるからな」
松平の強面がぬいぐるみ片手に蕩けそうに甘い表情を浮かべるというのはこうも凶悪なのか。
この男の存在を失念していたのは、有能な監察にしては非常に珍しいことだった。
長官松平の唐突な来訪。気ままな行動はいつもどおりであり、
このときばかりを見逃してくれるという考えのほうが甘かったのかもしれないが。
高価な若返りの薬をどうしたのか、説明にいって例によって射殺されかけた近藤勲が
百戦錬磨の破壊神松平片栗虎に勝てるわけも無かったのだ。
あっさりコトの顛末を吐かされ、意気揚々と屯所に現れた松平はすっかりこひじちゃんにめろめろになった。
元々有能で美人な土方が大のお気に入りという男。
その幼少期、しかもこひじは筋金入りの愛らしさで見るものすべてを夢中にさせる天使。
「とっつあんじゃ、ちっとムードがな…トシ、俺んこたぁまつだいらのパパって呼んでみ…いや、前はよぅ、トシにパパぁな
んて言わせるとよぅ、ホンモノの愛人と思われるからな、これでも我慢してたんだよオジサンは」
いやいやそんな話聞いてないし、つーか、アンタ土方さんにそんなセクハラしようとしてたんかい!!
と鼻息荒い隊士達を横目に、むずかしい話過ぎてついていけないのだろう、
頭に疑問符を浮かべ、小首をこてんと傾げたこひじは賢い良い子だった。
とりあえず素直に
「ぱぱ」
松平の要求を完璧に理解し、愛らしく言った。
まるで天使のように。
その瞬間、たしかに屯所に花が飛んだ。
ぱぁぁぁっと!
ふるふると震える松平片栗粉、天使に夜も日も無く夢中になった瞬間だった。
結局、松平をぱぱと呼ぶのは、隠し子の疑いが生まれるということで
「まつだいらのおじちゃん」
と改められたが(松平はかなり抵抗したが、お世話係の山崎が「あの人は松平のおじさんです」と繰り返したために
こひじちゃんの中で採用されたようだ)
孫可愛さに無理やり旅行に随行してくることも、山崎や隊士達と争いを繰り広げることもある意味予定調和。
「ほぉらこひじちゃん、可愛い耳があるよ~つけようね~まるでホンモノのぬいぐるみみたいに可愛いよ~」
体育会系の屈強な男達が幼児に骨抜きになっている様子は実に不気味だ。
「おおトシぃ、これなんかどーだ、栗子のちっせぇ頃は着せてやると喜んでな~いちばん高いドレス買ってやるぞ」
あやうくシンデレラのドレスを着せられそうになったこひじは困ったように可愛い眉を寄せたが、
大人土方と違ってはっきり何かを言わない。
ぼんやりとしているので欲しいものがあるのかすら分かりにくいのだ。
欲しいものが無い、美しく物憂げな楊貴妃に尽くす玄宗皇帝のように男達は貢物を繰り返す。
「くまさん……」
ねだる事を知らないゆえに買い与えられ過ぎるのは大人の土方と同じか。
ぼんやりと呟くだけで周囲は耳ざとく反応する。
「おートシ、あれが欲しいのか、オイ、そこの棚のモン端から全部買うぞ」
店員が怯えつつもすり寄ってくる。
完全にヤクザとその孫ご一行だ。
道を歩けばこひじちゃんのあまりの可愛らしさに写真撮影を頼もうとしては、
松平達の凶悪な面構えに退散するものが続出している。
良いのか悪いのか。
「ん、あのね、まつだいらのおじちゃん、くまさん、ひとりでいいの」
「遠慮するなんてトシは良い子だなぁ!!よーし。おじさんがあの熊全部買い上げるからな!!」
こひじはふるふると可愛い頭を振った。
「みんな、ほしいとおもうから、とうしろうがひとりでたくさんつれてかえっちゃかわいそう」
「トシ………お前は本当に良い子だなぁ…よしよし」
撫でられてぷるぷると子犬のように頭を振ったこひじは、松平の服の裾を掴んで遠慮がちに呟く。
「じゃあ、おともだちをもうひとりいい?……あのね、ほんとはね、ひとりじゃくまさんさみしいかも」
「よぉし!!!じゃあ友達を100匹買って帰るか!」
全然判ってない松平であった。
松平や隊士が順番で抱っこして移動、が基本のこひじちゃんは本当は歩きたいらしく、
そおっと唇を寄せて遠慮がちに耳元で囁く。
「あのね、とうしろう、じぶんであるけるよ」
抱っこしていた松平は羽のように軽い体をしぶしぶ下ろしたが、
小さな可愛い手を繋いでお散歩、は譲らない。
反対側には乳母の山崎が当然のようにいるが。
子どもの手を引く両親のような形を異様な組み合わせが行っているのが恐ろしい。
が、手をつながれると嬉しいのか、こひじちゃんは照れたように頬をピンク色にしてにこにこしている。
身長が足りないのであまり激しい異乗り物は乗れないが、
小さなコーヒーカップでくるくる回ったり、ゴンドラで外を見たりして、
こひじちゃんはおっとりと楽しそうだ。
不埒な真似をするなと松平に脅されて、内心冷や汗をかいた罪の無いキャラクターに抱っこしてもらって写真を撮った後、
(これは本人より記録写真が欲しくて欲しくて仕方ない周囲のための強制イベントであるが)
偶然通りかかった屋台の前で、
どっちの耳をつけるのかで熾烈な争いが繰り広げられることとなった。
カチューシャ型の耳は様々な種類があり、
オーソドックスな耳にリボンタイプだけでなく、
帽子型や夜光るものまで多種多様だ。
色違いまで入れたらいったいいくつになるのか見当もつかない。
「ほーら、トシにはこのデカイリボンが似合うぞぉ!!」
松平に対して、こひじのことでは一歩も引かないのは流石副長の狗を自認する山崎か。
「副長の美貌はそういうけばけばしいものよりもむしろオーソドックスなもので引き立つんですよ!!
つまりスタンダードタイプ。ごまかしがきかないものほど美人に合うんです!!」
カチューシャ片手に乳母と爺やが争う様は実にシュールだった。
「いや、この限定の帽子も可愛いですって!!副長の可愛さと希少価値から見て!!」
乳母山崎を筆頭にお付きの隊士達までが参戦してこひじは困り果てたように可愛い眉を下げた。
「じゃ、じゃあね、おひさまがでてるからぼうしかぶるね、おひるたべたら、さがるおにいちゃんの、とうしろうにつけてね
。ゆうがたになったら、くらいしりぼんつけるね…」
一生懸命小さな手をぱたぱた動かして訴える可愛いこひじに相好を崩しながらも松平は言う。
「せっかくの可愛さが暗いんじゃ勿体無いぞ」
「だっておんなのこ、みたいではずかしい……けど、おじちゃんがにあうっていってくれるなら、ゆうがたそおっとつけるの
…あの………それじゃ、だめ?」
可愛いィィィ!!!!
と絶叫した隊士と松平と乳母によって抱きしめ…ようと我先に群がられ奪い合いをされてまたこひじは
きゅ、と苦しそうに頬を桃色にした。
「さぁ、こひじちゃん、美味しいごはんにしましょうね」
「トシぃ、おじさんがリザーブしといたからなぁ」
「そんな味の濃いものばかり出す店はいけません。こひじちゃんはまだ七歳なんですよ!!」
「トシは小さい頃から大人の味を知っとくべきなんだよ、良い男になるぞー」
「未来をあれ以上色男にしたら副長に対して不埒な犯罪者が増えるだけです。今までだって大変なのに」
「さぁトシこれを」
「いけません!!こひじちゃんはまずお野菜を食べて……」
「おおそうだ、ジェラートの用意は出来てるか」
「おなかが冷えてぽんぽん痛いって言ったらどうするんですか!!!
かわいそうで可愛いという異常事態になりますよ!!まずあったかいお茶を」
「地味くせェこと言うなよ。トシには高ェ飲みモン以外は似合わねェな」
「アンタそう言っていつも副長に高い酒飲ませてふわふわさせてセクハラしてんでしょーが!!」
ランチ一つでもめている爺やと乳母達を尻目に、
ひょいとその痩躯を抱え上げたものがいた。
「………ったく、飯くれェ静かに食わせろってんだィ」
沖田は隊士に目配せするとこひじを抱えて見晴らしの良いベンチに座った。
「土方さん、帽子取るぜィ」
「ん、そうご、なくさないようにもっててくれる?」
「わかってやすよ」
ふと、沖田はこひじが最初に自分を呼んだ時のことを思い出した。
「どうしてひじかたさんていうの」
皆はこひじちゃんとかこひじたん、とかこひじ、と呼ぶのに、と言いたいのだろう。
そのとき沖田は常の通り感情を乗せない眼で呟いた。
「俺にとってはねェ、アンタは死ぬまで土方さんなんでさァ」
「……そおごおにいちゃん」
「アンタは俺を総悟って呼ぶよ」
「……そうご」
賢いこひじはそれ以上追求せず、
以後沖田の口から発せられた「土方さん」が己をさす言葉だということを理解し、
沖田のことは「そうご」と呼ぶのだ。
「ほら、ゆっくり喰いな」
「ん、ありがと」
素直に返事をし、食事をしだした土方を沖田はじっと見つめた。
特に手を貸さなくとも、賢く行儀の良い土方は綺麗に食事をする。
別に山崎のように熱いものはフーフーして、はいあーん、などとしなくとも。
果物は剥いてひとつずつ、切って小さく、冷たいものはなるだけ避けて、などとしなくとも良いのだ、
が賢いが土方馬鹿の山崎には理屈と感情は別だと一蹴されるだろう。
甘いドーナツを嬉しそうに口にするのは大人の土方との違いだ。
「ごちそ、さまでした」
可愛い手をちょこんとあわせてぺこりと。
外でもお行儀良く挨拶することは忘れないのが土方らしいな、と沖田はなんでもない思考のついでに考える。
こひじは沖田が考え事をしていると思ったのか、大人しくしている。
屯所でも非常に利発で静かなこひじは大人の会話を邪魔しないうえ、
微妙な空気を鋭く読んでいるようで、思考の邪魔もしてこない。
土方の幼い頃、というので多少身構えていた隊士達は身構えた分だけ、その可愛さと愛らしさに心を奪い去られたが。
見た目が幼すぎる幼児でありながら中身は年齢よりも成熟している。
この差異は成人後も受け継がれる土方の美質の一つだろう。
外見と中身の圧倒的な差異。
色香漂う身体の中の清純で初心な心。
取りとめの無い思考が艶を帯びそうになったあたりで沖田は溜息とともに思考を中断した。
邪気の無い目で見つめてくるこひじ、に思わず沖田は溜め息をつき、
そおっと抱き上げて膝の上に乗せる。
こひじは嬉しそうに沖田を見上げて、それから同じように景色に見入っている。
「なぁ、土方さん」
小さなつむじにキスを贈りながら沖田はゆっくりと囁く。
「……なぁに」
「あんたはさ、俺のこと好きか」
「うん」
見上げて即答するこひじに沖田は苦笑する。
「でも今だけ、だろ」
沖田はこひじの唇についていたシロップをそっと指で拭った後、
ぺろりと舐めた。
「こうやって素直に触らせるのも、俺とこうやって一緒にいるのも」
きゅっと後ろ抱きに抱っこしたまま、沖田はこう、といいながら軽くこひじの身体を揺すった。
小さな頭がゆらゆらゆれて、さらさらの髪が少し流れる。
「ずっと、だよ」
こひじがぽつりと呟く。
「ずっと?」
「うん、ずうっと、まえから」
こひじは静かな声で言う。
「ずうっとまえから、すきだよ、いまだけじゃないよ」
それは、今だけでなく、こひじとなって自分と初めにあった日から、
という意味合いだ。
勿論判っている、
この幼い土方には成人後の記憶など無い。
ずっと前から好きだ、
などといわれたところでそれが、
自分と土方との関係に何を齎すものでもない。
そう、
わかっているつもりで、それでも沖田の心のゆれを表すように、
「んぅ……」
こひじはきゅううっと抱きしめられて、少し苦しそうに声を出して沖田を慌てさせた。
「…悪ィな」
「そうご?」
わずかに緩めて、それでも隙間無く抱きしめ、
いや抱き潰すかのように小さな身体の総てをすっぽりと包み込んだまま、沖田は口を開く。
声が震えているのは気のせいだ。
「なぁ、もし、このまま大きくなったら、土方さんは俺と………」
無垢な目が素直に沖田の言葉の終わりを待っている。
「………俺と……」
がっと、横からこひじちゃんを奪った闖入者を一刀の元に殺さなかったのは、沖田の最後の良心かもしれない。
「おいおい!!急に居なくなるから誘拐されたかと思ったぞ!!!」
こひじを抱き寄せた松平の手には拳銃が握られている。こちらはこちらで射殺を思いとどまったのだろう。
持ち物検査を権力の乱用で通過した男に空気を読む機能など在るわけが無い。
「あああ、こひじちゃん!!良かったぁぁぁぁぁ!!!!あなたが居なくなったら俺がここにいる意味なんて…」
という山崎の手には怪しげな拷問器具がある。
一見すると何でもないものだがその道の人間なら人目で分かるそれ。松平よりある意味性質が悪い。
犯人が存在していればこの世の地獄を見たのだろう。
「つーかもう捜索隊出しちまった!!!ヘリと特殊部隊が……まぁ良い、帰りはヘリで帰るか!!!」
おっとりとしたこひじちゃんは長すぎる睫をぱちぱちと動かしてから一生懸命喋リ出す。
「あの、あのね、そうごわるくないよ。おそと、みたかったの……」
松平の服の裾を掴むと、すり、と仔猫のように顔を摺り寄せ、
無意識に甘えるように訴えたこひじはやはり天性のジジイ転がしだろう。
未来の片鱗が伺える愛らしさに松平と山崎は完全にめろめろになった。
ジジイと乳母の乱入ですべてが台無しになった沖田は、
攘夷浪士の2、3匹その辺にいねぇかな、始末すりゃちったぁこのイラつきもマシになるかもしれねェ、などと物騒な思考を
弄びながら先ほどまでの土方のやわらかな感触を思い出していた。
結局山ほど買ったぬいぐるみは土方の部屋に届けられることとなった。
「た、大変です!!ぬいぐるみの中にこひじちゃんを埋もれさせちゃうと大きな問題が!!」
「なに、なんかマズイのか?」
「可愛すぎてどれがぬいぐるみなのかこひじちゃんなのかわかりません!!!」
「ばっかやろおおおおお!!!こん中でいちばん可愛いぬいぐるみがあったらそれがトシだっての!!」
「いっぺん死んだら良いと俺ァ思うねィ」
動く可愛すぎるぬいぐるみ、は長すぎる睫をぱちぱちと動かして小首をかしげた。
「そうご?」
「腹減ったかィ」
「んー、ちょっと」
「飯にするかねェ」
愛らしい動くぬいぐるみをひょいと抱え上げた沖田はそのぷくぷくした頬にそっと頬をすり寄せた。
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