女王様と、俺




side 金時


初めて逢ったときはこんなに清純な子がどうしてホストなんかしているんだろうって不思議だった。
一度も染めたことがないのだろう、きれいなきれいな黒髪に、完璧な造形の顔は上品なパーツの集合体だ。
なだらかな額に優美な曲線を描く眉、大きくて澄んだ黒い目と、それを彩る睫毛は音がしそうに長く、スッと通った鼻筋、血色のいい頬にバラ色の唇は終始潤んで色っぽい。水商売には似つかわしくない透き通った白い肌が瑞々しさを湛えている。
けして貧弱ではないが、金時よりやや細身のすらりとした骨格は隙無く着こなされたスーツに包まれてストイックな色香を醸し出している。
その相手はにっこり笑って金時に、
「はじめまして、ナンバーワンの坂田金時さん。お逢いできて光栄です」
可愛らしく言って握手を求めた。

恋に堕ちる瞬間というのは、どうして唐突なのだろう。
金時は激流の中の小船のように、後戻りの出来ない流れに飲み込まれていくのを感じながら、それでもその手を握り返した。
想いが伝わって欲しい、欲しくない、そう乱れた心のまま、指先に力が入っていないか不安なままの握手だった。



思えば、それが苦悩の始まりだったのだ。



その天使が。
天使どころか小悪魔、いや悪魔そのもののように魅力的で破壊力のある女王様だったなんて。



「この子を、この店ごともらうよ」
世に言う「ブラックカード」を直で見たのは流石の金時も初めてだった。
土方を猫かわいがりしている大金持ちのダンディなオジサマは顔色一つ変えずにそう言うと、呼びつけた店のボーイを凍りつかせた。
金時の顧客は皆女の子(という歳じゃない子も金時は愛情を込めてひとくくりにしている)で、
太客、すなわちお金持ちは、自らが稼ぐ女社長タイプか、お嬢様、水商売の子か偉い誰かの愛人、の4パターンくらいだ。
彼女達には皆、手に入れられるお金の限界値、というものがあって、流石にブラックカード所持とはいかない。(ゴールドくらいなら普通の会社員だって持てる)
まだまだこの国は男尊女卑なのだろう、とは神楽の弁。
が、土方の「懇意のお客様」には大人の男もいる。
大人の男の力というものは、ときとして桁違いだ。
土方を店ごと買って行こうだなんて一体何を考えているのか。
金時は半ば呆れた面持ちでそれを眺めた。
店中が凍りつくような緊張感の中で、土方はきゃはきゃは酔って笑っていただけだったが。

「俺に相応しい対価を払ったらアンタ破滅するよ」
いきなり心臓を貫くような鋭い視線でそう言い放つと、傲慢な女王様はにやりと笑う。
「俺が欲しけりゃお店にまたどーぞ」
ウインクひとつでその場を切り抜けた。




その夜。
「くっ、ハハハ!ウ・ケ・ル!」
堪えきれない、というように美しい顔を歪めて笑い出す。
「笑い事じゃないでしょ」
「あの人さ、前にもあれやったんだよ」
笑いすぎて涙が出てきたのか、目じりを指で拭うとまた笑う。
「店ごとって?」
「そ。一緒に旅行行ってさー、マヨネーズ料理屋がもう超美味くて、ここに住みたいって言ったらさ」
土方はこんなときでも綺麗な顔でくすくす笑う。
「『店主、この店、私が買おう』だぜ?もう、超びっくりしたっての!あはは!!」
「旅行って、いつ」
「おまえとこーなる前。ってかそこかよ、突っ込むの」
そこだろ、どう考えても。
目を離すとふらふらと居なくなる女王様は無邪気で。
気持ちのイイコトが大好きで、甘やかしてくれる人が大好きで、甘え上手で我が侭で、やっぱり可愛いから始末が悪い。
この俺が、同性に、しかもこんなタチの悪い女王様にハートを人質にされてしまうなんて。
恐ろしいことだ。
貞操観念などという古臭い言葉は使いたくなかったが、俺はそういうものにやや固執するタイプだ。
正確には、土方と付き合ってから、そういうタイプだったのだと思い知った。
今まで、女の子は皆自分にメロメロで、余所見も浮気もされたことがなかったから、そんなもの振りかざす必要が無かったのだ。





思えば付き合いはじめの頃。

「なに、この箱の山は」
土方が寝返りを打つと積み上げられた箱が雪崩を起こす。
ベッドサイドに転がり落ちた箱からは色とりどりの小物。
「時計、そっちはカフス、タイスライダー、ライター、えーと、面倒」
「そういうことじゃなくって・・・・・・」
プレゼントの山、は置き場がなくなって、ついにはベッドの上を侵食しだした。
金時の部屋に身一つで来た女王様には、とりあえず彼専用にと寝室を与えておいたが、
一月も暮らせば物で溢れた。
オートロックのマンションのドアホンが鳴れば、いちいち外を繋ぐカメラを覗くまでもなく、宅配業者の来訪だ。
(店側に頼んで、ここの住所はふせてあるから荷物は私書箱からの転送。でないと俺も土方も危ない)
貢物はうず高く積まれていく。
宅配のお兄ちゃんとはいい加減顔見知り状態だ。

宅配業者といえば。
以前土方がパトロンのひとりに贈られて住んでいたところでも、同じように貢物が押し寄せていた。
半同棲状態だった金時がいつもは応対していたが、出かけていて。
外から帰った金時の眼前で、階段の前で真っ赤になった男がしどろもどろになりながらへたり込んでいるのが見えて。
嫌な予感に近づけば、玄関で寝ぼけて肌蹴たバスローブ一枚の女王様が楽しげに届いた箱を開けている所だった。
ご近所さんが居なくて良かった、と金時は頭を抱えた。
「とりあえず、風邪引くからおいで…」
抱き寄せて、羽織っていたコートを着せてやると、さりげなく視界から庇う。
最早視線は土方に釘付けのお兄ちゃんには黒い黒い笑みを見せた。
「ヒッ!」
不幸な被害者は蛙の潰れた様な声を出すとそそくさと逃げていった。

「引っ越してもらわないと……」
土方のストーカー対策だ。
住所をふせて店の客から庇っただけじゃ足りない。
花屋のお兄ちゃん、行きつけのショップの子、美容師、クリーニング屋…
思い出すだけで頭の痛くなる数の人間が、土方の後をつけ、手の込んだのは興信所に探らせていた。
神楽の協力も得て、そのすべてに「穏便に」土方の周囲から消えていただいたが、油断は出来ない。
どうでも良さそうに金時にくっついて甘えている可愛い女王様を抱っこしながら、
常識人の金時は胸を痛めたのだ。






休日には決まって、シーツの海を泳ぐ女王様は優雅に手を伸ばす。
ただ自分から起き上がるなんてつまんない、とでもいうように。
「起こせ」
「はーい」
肩に腕をまわさせて、しがみついたのを確認すると金時はその細い腰を抱え、抱き起こす。
よしよし、と何となく髪を撫でてみると、いつも以上に土方のご機嫌は良い。
「ね、お風呂にする?それともご飯?」
くあ、とあくびをした土方は「んー」と不明瞭な声音で何かむにゃむにゃと言い、
「えっち」
と言うので金時は一瞬固まる。
「えーと、それは」
「しようぜ」
無邪気に、遊ぼうと誘う子どものような物言いに眩暈を覚えながら、美味しそうなご馳走を前にお預けが出来るほど歳を取っていない金時は降参する。
疲れてる土方を気遣って、休日はゆっくり寝かせておいてから、夜に…と思っているのに女王様は。
したくなれば夜も昼も場所もお構いなし。
朝日のさすベッドで背徳感を噛み締める金時に構わず、奔放な声をあげて正しく淫らだ。



「何、このビン」
「オドーレ」
「コロン?」
「そう、イタリア土産、パパの」
「・・・」
パパというのが実父だったならばどんなにか幸せだろう。
だがそうなれば土方には二桁の実父がいることになるのだろうが。
ぱぱ、おにいちゃん、ダーリン。
おねぇちゃん、ねえさん、ハニー。
男にも女にも甘えるのが巧い土方は呼称を絶妙に使い分けてお客を呼ぶ。(多分相手の名前ちゃんと覚えてないんじゃないかと俺は睨んでいる)
呼び方の基準は不明だが、土方に甘えた声で呼ばれる相手は鼻の下を伸ばし、
財布の紐を緩めるどころか切ってしまうのだ。
新人にはお客の名前をまず覚えろ、と口がすっぱくなるほど言っている金時だが、土方という例外もあるのだとしればなんだかやるせない。
弱点すら武器にするのはまさしく天性の才能だろうと思う。
「あのね、俺は別に君の保護者じゃないからこんなこと言いたかないんだよ本当は」
「じゃ言うな」
「・・・・・・君は俺のなに」
「なんだろーな」
「恋人でしょ!」
「おまえが俺の、だろ。誤解すんな」
ふふんと当然の笑みは魅惑的で逆らいがたい。
「そうですね・・・・・・」
恋の奴隷は従うのみだ。
「なー腹減った」
肩を揺さぶってねだられてしまえば、可愛くてつい、お小言は飛んでいってしまう。
「わかった、ちょっと待ってて」

あの清純な容姿の天使が、実は悪魔的魅力に溢れた女王様だったなどと誰が予想できただろうか。

凄まじい色気と無敵のルックスを武器に、女王様は総てのお願いを力づくで叶えさせてしまう。
月を取りに行けと言われれば、行ってしまうだろう。
だって、俺が行かないなら他の奴が行くだろうし。
それってやっぱり面白くない。




side 土方



絨毯の上で光り輝く、シルバーに凝った細工が施されたそれは、薬莢か何かのように見えた。
女の唇を彩る、男ふたりの住まいには似つかわしくない、華やかな贈り物。
口紅を贈るのはキスを望んで、と月並みな言葉が蘇った。
金時の仕事はホストだ。
そう、『仕事』は。
金時に惚れてる女がそう思うかは別として、愛を囁くための小道具のひとつに深い意味など無いはずだ。
しかしふたりの寝室にあればそれは俺を殺す為の弾丸だろう。
頭の片隅で何かが喚くのを無視して、落ちていた口紅を拾い上げて、意識的に口元を笑みの形にする。
酔った金時から服を剥ぎ取って、そのまま押し倒してベッドに寝かせていた。
金時はそのときのままうつぶせになって酒精と戯れている。
無慈悲にそのまま、太ももの辺りに乗りあがる。流石に腹部では吐くかもしれないから。
ぐぇ、と色気の無い声をあげる男に構わず、片手でキュポと音を立てて口紅のケースを開ける。
くるくると出した色は毒々しいパールレッド。女に望まれた色を金時はしっかりと記憶している。
テラコッタ・カラーがもっともモンゴロイドに相応しい色なのだと女は知らないのかもしれない、と少しだけ考えた。
店に来る女達の口紅の色は、いつも好きな色と似合う色が乖離している結果の産物だ。
そういう稚気が可愛らしいといえなくも無い。
が。
片手で、一閃。
しゅっと音を立てて金時の広い背中を切りつけた。
鈍く、紅い鮮やかな線が描かれる。
驚いたように首だけで振り返った愛する男の背を押さえつけたまま、
もう一度、口紅を走らせる。
十字の傷のようになったそれに金色の髪があわさってまるで何かのイコンだ。
神の御使いなら酔っていてはいけない。
バッカスなら、毒酒にすら笑うだろう。

「と、十四郎…なに」
驚いて上擦った声に構わず、もう一度、背の上の方に色をのせてみる。
それから、指でなぞる。
ぞくりとしたのだろう、金時が身体を震わせた。
紅い色が指先に纏わりついた。
落ちない口紅、なんて本当なのだろうか。
べとりとした指先を今度は伸び上がり金時の頬に滑らせてみると精悍な顔が野蛮に色っぽい。
女に滅茶苦茶にキスをされた後の顔みたいになって。
実際俺だって女は好きでみんなどこか可愛いと思ってるから。
なんだか。
欲情のスイッチが入って、起き上がった男の心臓の辺りに強く赤で印をつけた。
勢いのせいでぼきりと折れた口紅に舌打をするより早く、手首を力強く押さえられて目を見開けば金時の顔がすぐ傍に迫って。
噛み付くようなキスをされた。
吐息を飲み込むようなキスに眩暈がして、あっと思った時には手の中の口紅を取り上げられた。
目で追う前にそれを金時が無造作に床に捨てた。
絨毯に吸い込まれて音はしない。
「なに、すんだよ……」
拗ねたような口調になっているのが自分でわかって嫌だ。
この最高の男を独占しようだなんて思っていない。
でもせめて寝室くらい、他の誰も触らないで欲しい。
顔に出たのかはわからない。
金時がもう一度唇に軽いキスを仕掛けてきて。
「もうとっくに俺の心臓はお前のだから」
こんなことしなくていい。
そう優しげな声で囁いた。


お前がそうやって甘やかすから、俺は不安なんだと言ってやりたい。
愛してると、言うには勇気が必要だ。






side 金時



「子どもじゃないんだから、ベッドで物食べないの」
「やだ」
「十四郎…」
そ、そんな可愛いこと言っても、金さん誤魔化されないよ。
ちゃんと躾ないといけないって誓ってるんだから。
「やーだ、これ楽なんだよ。起きて欲しかったらおまえはすぐにベッドにご飯もって来る、アンダスタン?」
出来たためしがないけどさ…
「わかったって、ハニー」
そんな可愛い顔で、言われてしまえば仕方ない。
ちゅ、ちゅ、とリップノイズの合間に甘えられれば骨抜きだ。


でもこの女王様は実は。


「何が欲しい?十四郎」
破産覚悟で、誕生日に聞いてみたとき。

「おまえを寄越せ!!」
突然そう言うと土方は思い切りよく抱きついてきた。
「わ、ちょ、」
慌てて抱きとめると満足そうに笑って、土方はキスをしてきた。
「身柄を拘束した。もうおまえは俺のだからな」
ふざけたようにそういいながらも少しの怯えを乗せた目でこちらを覗き込むと、照れたように頬を少し染めている。
怖がりで一途なのだ、本当の本当は。
いつだって全力。
我侭だけどお客に本気で接しているからこそ、お客は稀有なものとしてこの子を可愛がる。
我侭なのに、男でも女でも、お客のことを悪く言ったことは一度もない。
愛すればその分だけ、何かしら心を繋げてくれる。
土方の愛に嘘は無いんだ。
ああ、こんなの。
降参するしかないじゃないか。
馬鹿でかい白旗が頭上で降られているイメージのまま、目の前の愛しいひとを思い切り抱きしめ返した。
俺の女王様はやっぱり世界一だ。




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ステキなイラストにこんな感じですみません…
ようするに、ばかっぷるというのですね、これは。