いばらのラプンツェル
「素敵なドレスを着て、パーティに行くってどんな気分かしら」
セレブ特集、のテレビの前で零した言葉をストーカーゴリラが拾った。
確かに、華やかな世界に憧れがあった。
でもそれは女の子なら誰でも思うような他愛無いもので、本気でとられても困るような空想じみた願望だったのに。
「お妙さんのお望みとあらば、近藤勲、全力でかなえます!お妙さん……貴女をパーティにご招待します!」
そう煩く言われて、ゴリラの招待で連れ出された会場は広くて、綺麗な人間の群で、
仕事は水商売の私なんか明らかに場違いだった。
気のせいかもしれないけれど、皆が笑ってる気さえした。
しかも肝心のゴリラは局長としての仕事、と称して柄の悪い、店によく来る松平様に絡まれて、
何人もに素行を叱られて。
綺麗な女の人に囲まれて、デレデレして、真選組の最近の活躍、なんて褒められて。
テレビの取材まで受けてた。
ああ、あれでも局長で、有名人だものね。
そう思った。
私は置き去りにされた迷子みたいに、広い会場で自分の指先を握り締めようとして、唇が少し震えた。
その私の前で、ごく自然な仕草で、ボーイから受け取ったグラスを差し出す人をまじまじと見つめた。
「……ありがとう、土方さん」
あなたはいつも変わらない顔ね。
あのひとはクラブのママ、あれは愛人の…会場の女性達を簡単に何人か説明して、土方さんは気安く笑った。正式な妻でもないのに堂々と腕を組む女性達の数だけ、泣いている女の人が居るのか。
「ドラマみたいですね…」
「な、俗っぽいだろ?そんなもんさ」
気持ちは少し落ち着いた。
そう言われてしまえば、確かにみんな着飾ってるだけの下品な群にしか見えない。
自分でも現金だと思うけれど。
いくら綺麗でも心の中が汚かったら何の意味も無いのだし。
それより。
「なんだか、皆が、こっちを見てる気がします」
「アンタが綺麗だからみんな見てるだけさ」
高価そうなダークスーツを纏った土方さんは、はっとするほど綺麗な姿勢と仕草で、会場の女の人の視線が突き刺さっているのにも構わず私に耳打ちする。
セットしすぎずに自然に髪をおろしている所為か、随分若く見える。
仕事が物騒で、いつも怖い顔をしているから忘れがちだけど、
実は私とそんなに歳がかわらないのかもしれない。
この人って、綺麗な人は見られることが当たり前すぎて気にしない、を地で行くタイプね。
「スーツ、初めて見ます」
「ああ、隊服じゃ流石に無粋だからな」
まるでお手本のように完璧な着こなしで、長い足の先の靴が、磨き上げられて光さえ弾く。
「似合って、ますね」
「あんたほどじゃない」
「女の子には、そんな風にいつも優しいんですか」
問えば小さく微笑がかえってどきりとした。
「……優しいんじゃなくて、弱いんだ」
「あら、そう」
あなたみたいな完璧な美形がそんな困った顔、女の前でしたらずるいわ。
みんながあなたを見るじゃない。
困らせてやりたい顔ね。
やっぱり、私、このひとが苦手ね。
「良かったら、休憩しないか」
すっかり退屈してんだ、俺を助けると思って、と言われて別室に移った。
ホールにいくつも椅子は用意されていたけれど、確かに部屋の方が寛げる。
聞けば、大抵こういうパーティは気分が悪くなったり、疲れたりした人の為の部屋があるのだそうだ。
案内された小さな部屋には豪奢なシャンデリアと、大きな窓がある。
ドアを開けて私を先に通して、どうするのかと見ていたけれど部屋に入っても鍵は開けたままにしている。
密室じゃないから、慌てたりはしない。
「座るといい」
促されて、華奢なつくりの椅子に座る。
土方さんは窓を背にして立っている。
私はドアの傍の椅子に。
いつでもドアを開けて外へ出られる距離。
土方さんは部屋の奥の窓辺に。
そんなに気を使わなくても、って思うけど、自然にされれば納得してしまう。
(たとえば、いま、私に)
すっと音を立てずに動く。
「…髪が少し乱れてる」
そう低い声でことわってから、ごく自然に私の髪を直して、また遠ざかる。
(たとえば、そう、いまキスでもされたら恋をしてしまいそう、なんて馬鹿なことを思ったりは、)
(しない)
だって。
窓辺で、月を背に私を見るともなしに眺めてくる綺麗なこの人は、穏やかな表情で、そこには男と女がふたりきりという空気は無い。
恋を遠くにおいてきてしまったひとの目をしている。
綺麗な。
かたくなで哀しい目。
傲慢な美しさ。
やっぱりこのひとが苦手。
(トシは、初恋の人をずっと想ってるんだ、初心なヤツだろ。そう、酔ったゴリラが零した。女の子達は騒いでいたけど、私はもっと違うことが気になった。
そのひとは鬼籍に入ったひとなのだろうと何となくわかった。
まるで。
だからトシは永遠に誰のものにもならない、そう言って安堵しているみたいで。
なんだか。
なんだか気色悪い、って思った。
帰り際にいつもより激しく殴ってやった)
裾をつまんで、ひらりと動かしてみる。
ショールはいらない、と言ったら胸元に大きなコサージュを付けてくれた。
勿論、髪のセットと着替えを手伝ってくれた女の人に頼んで、だけど。
ショールは背と肩を出したくなかったら、という配慮なのだと気付いた。
首の後ろで結ぶ、名前がわからないけれど、そういうデザインはスレンダーで薄い胸の女に似合う、と何かで言っていたっけ。
用意されたドレスはまさにその通りの型だったけど、不思議と腹は立たなかった。
凄く綺麗に見えたから。
「このドレス、あなたが」
「好みじゃなかったか」
「いいえ、ありがとうございます、素敵です」
そう言うと、初めて嬉しそうに言う。
「近藤さんが買ったんだ」
ああ。
貴方って、いい人ね。
でもゴリラが大事すぎて嫌ね。
気に入らないって言ったら、自分のせいにして、気に入ったら、ゴリラのお手柄にする気なんでしょ。
しかも嘘は吐いてないのね、「買った」のは近藤さん。
「でも用意したのも選んだのも貴方でしょう」
そう告げると目の前で少し困ったように苦笑する。
嘘が吐けないのね。甘いひと。
「どうして」
「わかるわ、女ですもの」
それくらい、わかるわ。
会場の若い女の視線の半分を独り占めしている沖田総悟は、しかしどうでもよさげに鼻を鳴らす。
「近藤さんの嫁になるってんなら、あんくらい当たり前だろ、それをあの女、根性ねェなァ」
早々に参ってしまった妙が面白くないのか、小馬鹿にしたように嘲笑う。
「小姑みたいですねぇ沖田さん」
「死ぬか?」
凄まれてもへらりと笑うだけの山崎は酒量に反して酔っていない。
「でも女性をこんな催しに誘っといてさっぱり良いところ見せられないのは流石局長ですね」
「…ときどき思うんだけど、お前近藤さんのこと嫌いじゃねェ?」
山崎は笑いながら手元のシャンパンを飲み干した。
「あのドレス」
「は?」
「土方さんが気を利かせて用意しておいたあれ、正解でしたね」
ホルターネックの華やかな。
「……そういうところばっか気が回る。アイツがむっつりスケベだからだろ」
思ってもいないことを言う沖田に山崎は内心笑う。
土方さんが初心で清純なの、アンタが一番わかってるだろ、と。
「いきなり言われても着るものがない、なんて女性に言わせる愚を犯さなくて良かったじゃないですか。
永遠に赦してもらえなくなるところでしたよ」
「は」
「他人に恥をかかせないのが大人の条件でしょ」
「細かいところで女の機嫌取るような下品なマネ、できねぇのが近藤さんのいいところだろぃ」
「女性の敵だって言われますよ。沖田さんくらいじゃないですか、赦されるの」
「赦してもらう筋合いはねェな。大体近藤さんの服をやめてわざわざ土方のヤロウの見立てた服にしたんじゃねぇか」
確かに、局長は服を用意していた。
派手で露出の高い、女性の側にかなりの「準備」が必要な服を。
店でも和装のお妙さんがそこまで準備できているかは未知数な以上、好ましくない。
なにより一番の問題は。
「近藤さんの願望なんでしょうけど、ベアトップはお妙さんには残酷なデザインですよ」
ベアトップ、が何なのかは沖田にはわからなかったが興味も無いのでそのまま。
「屯所にあったあの服か……胸が無さ過ぎてずり落ちてくるってか」
「平らな胸がさらに強調されて貧相です」
「お前殺されるぞ」
やっぱり酔ってるのか?と沖田は思う。
「副長の見立ては完璧だと思います、女性の準備不足のためのショールもあるし、コサージュでさらに視線が分散されるし、
彼女のスレンダーな魅力が引き立つ」
「準備?」
「背中って、けっこう無防備な女の人多いんですよ」
「なんでお前そういう気色悪いところよく知ってんだ」
「伊達に女装してませんから」
以前のモヒカンのオカマを思い出したのか、沖田の顔が歪む。
「…肝心のふたりは」
「休憩でしょう、気疲れしたから」
「密室で二人きりなんて近藤さんが知ったら慌てるだろ」
土方さんが女性にそんな警戒心抱かせるマネするわけないですよ。
多分、鍵をかけないでいるでしょうね。
「…だいじょうぶですよ沖田さん、曲がりなりにも副長は男性なんだから、押し倒されたりしませんて」
そう言うと沖田さんはむっとした顔でこちらを睨む。
否定はされなかった。
どっちの心配してるんだか。
お妙さんは水商売してるのに経験値低そうだから、あのひとをどうこうなんて出来ないですよ。
沖田さんの頭の中じゃ、どっちがお姫様なのか一目瞭然。
可哀想な土方さん。
お嫁に行くのはずっと先になりそうですね。
・・・お嫁になんて行かせないけど。
一応、ゴリラにお礼を言って、ハイヤーで送られるという人生でおそらく二度とない体験をした。
後部座席に乗せられて、隣の土方さんは特に何も言わない。
でも沈黙が怖いわけではなくて、静かで落ち着く。
こんなに音のしない車があるのね。
土方さんは乗りなれてるみたいだったけど、ゴリラはそうでもなかった。
このひとが特別なんだとしたら、納得がいくけど。
やっぱりこのひと、色々不思議。
道場に帰ったら入り口に新ちゃんと、珍しく銀さんが居た。
「馬子にも衣装、ってか」
降りるなりそれ。
「殺しますよ、銀さん」
「姉上、素敵です!」
「あら、ありがとう新ちゃん」
新ちゃんは本当に可愛い。
「土方さん、姉上をありがとうございます!」
新ちゃんが礼儀正しく、降り立った土方さんに頭を下げた。
新ちゃんは、このひとが割と好きなのを知ってる。
まともな大人が居なさ過ぎるからね。
「いや、むしろ悪かったなメガネ、それに万事屋。お宅のお姫さん突然借りちまって」
「まったく、レンタル料高いぜ、ゴリラに請求するか」
「銀さん、人をモノみたいに言うのやめてくれません」
「すいません…」
いつものやりとりに土方さんは喉で笑う。
銀さんと話すとき、このひとはひっそりと嬉しそう。
白い肌が少し、やっぱり淫靡だと思う。
「副長、そろそろお時間です…」
予定が詰まっているのか、遠慮がちに声をかけられて、併走していた黒い車に乗り込む背中は綺麗に伸びていて、振り向かない。
きっと、心の中まで、振り向かない。
「…スーツ、よく似合うな」
見送る銀さんがぽつりと呟いた言葉が、私の耳に届いた。
銀さんが、私を見に来たわけじゃないことは、もうわかってる。
可笑しいことだとは言わない。
銀さんの目が、切ない、って言ってる。
恋をすると、どうして人間はこんなにも無防備になるのかしら。
この目に自分が映れたら、この目を自分が癒せたら。
そう、思った日もあった。
でも遅い。
私達は家族で、男と女にはもうなれない。
なれないところまで来ている。
それでいいと思ってる。
私よりよっぽど箱入りなスーツのお姫様は、
大事に大事に大きな黒塗りの車に乗せられて、お城みたいな排他的な屋敷に帰る。
たくさんの護衛に連れられて。
いばらの棘に囲まれた、どうしようもなく独善的な愛情のお城に帰って、大事に閉じ込められる。
あそこから攫ったら、私が王子様になれるかしら。
囚われのお姫様を攫うのは、別に男だけの特権じゃないはずよ。
スーツのお姫様は女と子どもに優しくて、お姫様の言葉を借りるなら「弱い」から。
きっと厭らしい男なんかより簡単に攫えちゃう。
白い服を着て清潔な微笑で、臆病で綺麗なお姫様を騙して連れ出しちゃいたい。
「ねぇ、銀さん」
「ん〜?」
「私達ライバルねって言ったら」
銀さんは驚いて目を見開く。
「あなたどうする?」
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