白昼夢





不思議な夢で目が覚めた。

佐々木は少しだけまばたきをし、
自身の身体が正常に動くまで静止していた。

「……5時、少し過ぎたあたりか」

少々早い起床だが二度寝の習慣を持ち合わせない佐々木は
すらりと起き上がった。
起き上がればその冷静な思考は正確に動き出す。
簡単な身支度をし、鏡に映る面白みの無い顔を確認する。
仕事上の都合で自宅には帰っていない。
ホテルの一室。
ストッカーからミネラルウォーターを出して飲みながら
届けられたばかりの各種の新聞に目を通し、ニュースを見、
江戸に起きた事柄を把握し、
惑星間の大きな紛争、経済の動きを脳に転写する。

「……ふむ」

特に何も無い。
佐々木の脳裏にふと先ほどの夢のなごりが紛れ込む。

甘い声だった。
視覚、聴覚、嗅覚、
それらが同時に存在する類の夢をよく見る佐々木にとって夢の声を甘いと認識するのは容易い。
だが不可解だった。
甘い匂い。
触覚が無かったのが残念に思われる。

夢だから仕方が無いのだが、
真っ白な部屋の中で、となりで静かに息をしているはずの相手が暫くすると消え、
次には何故かわからないが橋の上にいた。
目前の相手はただでさえ薄い身体にたおやかな、
おそらく正絹の、夜着のようなものを纏っただけの姿で立ちすくんでいる。
白い肌をむき出しにして。
佐々木は思わず着ていた上着を脱いで相手の肩にかけた。
よくよく見れば裸足だった。
まるでどこかから逃げてきたようないでたち。
先ほどの寝室から逃げてきたのだろうか、
と自虐に笑いそうになった。


相手は、
黒い髪と白い着物の美しい男は、

土方は。

佐々木の上着を白い両の手で大事そうに羽織ると、
桜色の艶やかな唇を控えめに笑みの形にした。

夢の中では従順なのだな、
と、
とっくに夢と理解していた佐々木は夢の中で思った。

土方がこのような態度をとるわけが無い、
という以前に。

この夢を見るのは初めてではない。

いつもそうだ。
夢に土方が出るときはきまって、無防備に薄い身体をさらしてぼんやりとたたずんでいる。
話しかければこたえる。
控えめな声、しかし何を言ったかはわからない。
おそらく意味のある言葉など言ってはいないのだ。
何せ夢なのだから。

土方が自分に何か意味のある言葉を言うとは思えない。

佐々木は朝食を取るために着替えた。

夢の名残は僅かにその脳に引っかかったままだ。








激しい雨が降った翌日。
汚らしい地面に叩きつけられた犯罪者と乱闘する真選組の連中を
佐々木は部下と共に見つめた。
幕僚達は侮蔑を野卑な生き物に注ぐことでしか、己の優位を示せないと思っているのだろうか。
下劣な豚の群、と佐々木は脳裏で思ったが同時に、
彼等の野蛮な振る舞いをあざ笑う自分もまた矮小なのだろうなと冷めたまま考えた。
己の価値を正しく把握している以上、ここで己がするべきことは
肥え太った幕僚達と同じように、静かに冷ややかに立っているだけ。
いや、正確にはそろそろ銃を持ち出す必要があるのだ、
だが、
パトカーを蹴り破るように激しく、
副長の土方が降り立ったことで佐々木の脳はそれらを一時的に排除した。
佐々木が引き金を引く前に体に爆薬を巻きつけた男は土方によってその手足をもがれる。
スピードに乗った良い剣の腕だ。
土方はそのまま男を泥に沈め、爆薬を湿らせ手荒だが正確な爆弾処理を行う。
確かに処理班を呼ぶより早い。
脳髄を打ち抜く自分とどちらが簡潔かは論を待たないところだが、
土方の動きは美しい。
佐々木は静かに呟く。

君の、その美しい身体をむやみに。
そんな風に粗末に。
扱うなんて。

「汚れてしまいますよ、服が」
何故、そんなことを言ったのかは分からない。
部下の困惑は佐々木の埒外。

同じく無防備といえるくらい不思議そうに佐々木を見上げ、
思い出したように睨むという大層可愛らしい仕草をした土方に内心佐々木は笑む。
静かに。
土方は口を開いた。

「……黒い服ですから、泥をかぶっても平気です」
それからくすりと笑うと土方は悪鬼のような笑みを浮かべる。
「血を被っても」
静かに土方は言うとゆっくりとその指先を
血と泥に濡れた胸へ押し当てた。

「何者にも、染まることはありえません」

漆黒の衣服。
揶揄される白い、汚れを厭う己の衣服にその視線が堕ちるとき、
佐々木は急に夢の続きを思った。
夢の中ではいつも。
土方は白い衣服をまとっていた。
その意味を理解できないほど佐々木は愚かではない。

「……貴方にはお似合いですね」

彼の部下が殺気立つが、土方は意外にも何も言わなかった。
稀有な美貌をたださらして佐々木を見つめ返しただけだ。
漆黒の、なにものにも染まらぬその矜持。
確かに似合いの色だ。
畏怖と敬慕と、何より。

伝える術を持たないまま死んだ言葉は夢になる。
君は美しいのだと、
ずっと前から知っている。



欲しいものは永遠にこの手には降りてこないだろう。
正確には己の望む形で、ということだが。
これから夢の中で土方がいったい何色の服を着ているのか、
少しだけ待ち遠しいと思う自分を理解している。
仔猫のように従順な夢ですら、無体を強いていないのだから自分も大概愚かだ。

佐々木は絶望と呼ぶにはあまりに甘美な酩酊を覚え、
彼にしては珍しく理性的な思考を放棄した。

今夜も、
おそらく夢を見るのだろう。



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