「なにみてんだよ」
生意気な口調で銀が見上げてくる。
そういえばこのガキは少しも母親に似ていない。
いや、違うな。
母親に似ていない子どもなどおそらく居ない。
問題は母親に似ていると思いたくない俺の思考の方だろう。
「飯は外で食うぞ」
銀は心得たように頷いた。
「あれ、銀…に、お父さん」
驚いたような声が聞こえて俺は固まる。
土方先生、は帰宅後のせいなのか、黒いシャツに細身のジーンズというラフな格好だ。
「せんせい!!!」
銀が止める間もなく駆け寄る。
飛びついた身体をしっかりと受け止めて。
「おー元気だな、銀」
土方先生はやはりぐりぐりと頭を豪快に撫でてやっている。
「せんせい、これからどこいくの」
「夕飯の買い物。銀はお父さんとおでかけか」
「ん、めしくいにいく」
「おまえ、そこはご飯食べに行くっていっとけ。妙先生に怒られるぞ」
「やだよ、あのめすごりらのゆーこときくの」
「まったく、おまえは口が減らないなーうりゃ!」
きゃーと銀が子どもらしい高い声をあげて喜んだ。
こいつはこんな顔もするんだと思い知る。
呆気に取られた俺に気付いて、土方先生ははにかんだように照れ笑いを浮かべた。
こうしてみると酷く若い。
どう見てもまだ学生にしか見えない。
「ねぇ、せんせい。めしならおれといっしょにいこうよ、つくるのはまたでいいじゃん」
銀がそう言って手を引いた。
土方先生は困ったように銀の頭を撫でた。
「ん、でもお父さんと」
「構いません」
思わず、出ていた言葉に土方先生は切れ長の大きな眼を見開く。
「よろしければ、ご一緒しませんか。銀のことで、色々お話をしたいんです」
子どものことを出せば陥落は早いだろう、と踏んでのことだ。
ただでさえ、ウチは特殊だという自覚がある。
案の定、土方先生は少し逡巡した後、
「いいんですか…?」
そう控えめに言って俺を見た。
「ええ、むしろこちらがお願いしたいくらいです」
にっこり、クライアントに向けてするような笑顔で見つめ、人畜無害な人物であるかのように振舞う。
もっとも。
人畜無害な弁護士など此の世のどこにもいないが。
いつもの店へのコースを変更したのは土方先生のような若さでは高価すぎるからだ。
勿論俺がすべて払う気でいたが、おそらく遠慮して恐縮される。
なら、ファミレスのマニュアル塗れの味の方が心理的負担は少ないだろう。
銀はファミリーレストラン、に入ることを喜んでいるようだった。
普段行くのは高級な店、隠れ家のような店や知人の紹介の店が多い。
あまり人の多いところや煩いところに行ける身分ではないからだ。
さすがに歩けば女の視線が纏わりついたアメリカほどでは無いにせよ、ゴシップ好きのハエはどこにでもいる。
店内に足を踏み入れれば、鬱陶しい日本特有の掛け声が聞こえてくる。
ざわつく店内、案内の店員が一瞬息を呑み、ただのバイトなのかじろじろ見てくる。
躾がなっていない。
俺の銀髪が目立つ、というのもあるが。
なんというか土方先生、は酷く男前だった。
今時の子特有の綺麗に長い手足に無造作なファッションが映える。
女なら、まず二度見してしまう顔立ちだ。
だが人の視線をまったく気にしていないのは大したものだった。
生まれてこの方、他人から見られない日がなかったのだろう。
銀と手を繋いで店内を進む背はすっと伸びている。
何かスポーツでもしていたのだろうか。
ニューヨーカーの姿勢の良さに慣れた身で、日本に帰って最初に目に付いたのは街行く人間の姿勢の悪さだ。
特に若い女の歩き方は酷いものだった。
つっかけ、と言ったら笑われたが、あのミュールという名の不細工な靴は誰が流行らせたのだろうか。
貧相な歩行がさらに貧相になる。
土方先生の隙の無い身のこなしと日本人離れした身体の綺麗さは見事なものだ。
身体の締まりもいいだろうね、などととんでもないことを考えながら
煩い店員に仕方なく愛想笑いをして席に着く。
向かいに座った俺が腰を下ろすのを確認してから座る辺り、しっかりした子だと思う。
銀は当然のように土方先生の隣に座る。
「お父さんは弁護士さんなんですか」
「ええ、銀に聞きました?」
「はい、少し前に…ってわ!」
銀が土方先生、に引っ付く。
「どしたー?銀」
土方先生が優しく構ってやると銀はにこにこしながら
「せんせい、なにたべる?」
メニューを広げた。
「んー…あ、お父さんは」
「や、坂田で結構です。俺はもう決まってますから」
にっこりと笑う。ファミレスのメニューなんてどれも同じようなもんだ。
口に合わないほどではないが、美味くもない。
目上の人間より先に注文をしない、これも体育会系の流儀だろう。
食欲をそそる料理ではないが、土方先生の顔があれば大抵のものは美味く感じるんじゃないだろうか。
「せんせい、あーん」
「なんだ、くれるのか。ありがとな」
ちゃっかり先生の横に座った銀はスプーンでグラタンをすくって食べさせている。
素直にあーんと口を開けた先生は、やっぱり先生というよりは学生のようだ。
あぐ、と小さな口で租借した後、銀に向かって微笑む。
「じゃ、これ食べるか。イチジク、結構甘い」
無花果と生ハムのサラダ、なんて気取ったものがファミレスにも存在していたのが驚き。
「おれあまいのすき」
「知ってる。幼稚園でもそうだもんな」
「せんせいはあまいのすきか?」
「んー、そんなに好きじゃねぇかな」
「おいしいのに」
「いいさ。俺の分はおまえが食べてくれれば」
「わかった!」
どん、と嬉しそうに身を乗りだした銀をたしなめようとしたが、土方先生が
「危ないぞ」
そっと銀の肩を触る。
「ごめん」
素直に謝る銀に(俺のときとはえらい違いだ)
土方先生は優しく笑った。
「良い子だな、銀は」
「銀、お前、先生の膝に乗るな。重いだろう」
流石に、銀が甘えて膝に懐きだしたあたりで止めてやる。
しかし、こんな可愛くて綺麗な先生に会ったことなんて俺は一度も無い。
最近のガキは幸せもんだと思う。
「良いですよ、俺、結構力あるんで」
笑った後、土方先生はあ、というように黙った。
「行儀良くない、ですかね…?」
ちょっと困ったようにそう言うと、おそらく他人の家庭の教育方針に口を出すのが
マズイと思っているのだろう、俺を上目に見た。
幼い、と言って良い仕草だ。
「いえ…ただ重いでしょう。そいつ、結構デカイから…」
銀が目を輝かせた。
「もっとでかくなるぜ。そしたらせんせい」
「んー?」
「おれとけっこんしてよ!」
飲み込みかけていたコーヒーが逆流しかけて黙った。
銀はとんでもないことを言うとますます土方先生の胸にしがみつく。
ぐりぐりと綿帽子のような頭をすりつけ、猫のように甘えているのを土方先生の綺麗な手が支えた。
そのまま優しい顔で覗き込んで、笑いを含んだ甘い声で銀をからかう。
「はは、おまえ、それ何度目だ?大きくなったら忘れちゃうだろ」
「わすれねーよ!!おれほんきだかんな!!けっこん」
またぎゅっと抱きついた銀に先生はちょっとびっくりしたような顔をしたがすぐに真面目な顔になってやっている。
「ん、わかった」
ぽんぽん、と背をたたくと銀を抱っこしたまま土方先生は俺を見て笑った。
「可愛いですね」
「………はは」
誰に似たんだ。
…俺か。
「もう遅いですし、お家まで送りますよ」
固辞されたが、俺は得意の笑みで押し切る。
メルセデスに土方先生は最初から最後まで感動していた。
良い車が好きなのは、やっぱり男の子って感じだ。
目がキラキラして、可愛い。
さて、この素直で可愛い子をどうやって落とそうか。
俺は久しぶりに悪い笑いをしてしまった。
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2010.10.28.