cocooning


おはらみはらみ
はらはらり
なみだもここで
はらはらおはらみ








「おなかに赤ん坊がいるね」
静かなホテルの一室に銀時の声が響く。
いつものように熱を交換した後特有の気だるさの中、腹ばいになって煙草を吸っていた土方は起き上がると銀時を見た。
「アァ?」
不機嫌に返した土方に少し苦笑すると銀時は続けた。
「赤ん坊、ってか赤ちゃん。このなかに入ってる」
このなか、と言いながら銀時は優しげな手つきで土方の腹部に触れ、そっと撫でる。
土方は訝しげに美しい眉をゆがめた。


おもえばこのときすでにおかしかったのだ
てのひらからどくでもはいりこんだのだろうか
そんなはずはないいやそんな


「ついにイカレたか、腐れ天パ」
「ちょ、お前なにかってーと銀さんの天パを貶すのやめてくんない?」
「おかしなこと言いやがるからだ、なにがガキがいる、だ」
「赤ちゃんだってばー」
「俺は帰るぞ」
「わかんないかなぁ。危ないから送ってくよ」
「いつもしねェじゃねぇか」
「嫌がるからじゃん!俺はいつも送るよっていってるよ」
「誰かに見られたらどーすんだよ」
「いいじゃん、もう俺ら他人じゃないしィ」
「ふざけんな。俺は違う」
本気で嫌そうに言う土方に銀時はうなだれた。
「じゃ、せめて屯所の側の道まで」
言い出したら引かない銀時の性格を知った土方は、仕方ないといった風情で溜息を吐くと
玄関へ向かう。
譲歩を引き出した銀時は嬉々として土方を送っていった。









そこで茶番は終わりのはずだった。

三日後、屯所で猛烈な眩暈に土方は体が傾ぐのを感じた。
貧血に似た症状。子どものころはよくなった。
鍛えて、最近はあまり起きなくなっていたはずだったのに。
「…疲れてんのか?」
首を傾げながら土方は少し早めに就寝することにした。
夢は見なかった。


ふざけた銀髪頭から
「おなかの子大事にしてよ」
などという留守電が入っていたのを聞き、土方十四郎の機嫌は落下した。
「…なんなんだあのヤロウ…」
そのうえ、巡回中に出逢ったときも万事屋へ出向いたときも、なにくれとなく世話をやかれた。
いわく
「大事なお嫁さんに大変なことはさせられない」
だとか。
遊びにしては念がいっている。
普段からこんくらい根気出せよ。オラ。
腹なんかちっとも膨らまねぇじゃねぇか。
この薄い腹のどこにガキが入るってんだ。
そう思っていたのに、それからさらに七日ほど経つと、
土方は夕餉を全て吐いてしまった。
沖田がふざけて「悪阻ですかい」
などと抜かすものだから殴っておく。
悪阻。
冗談じゃない。
だが実はここ数日ほとんどの食物が遠のいている。
あれほど好んでいたマヨネーズさえ、今はあまり口に入れたくない。
疲れているときはよく拒食気味になったものだからあまり気に留めていなかったが。
だがなんとなく皆で見ていたドラマで、
女が男を愛するあまり「想像妊娠」なるものを患うという恐ろしい場面を目撃してしまった日、
流石に背筋が寒くなった。
自分の症状はまるで妊娠初期の女だ。
誰かに執拗に言われることで患うタイプの妊娠まがいもあるのだろうか。
「逆想像妊娠か…?」
まぁあんだけ言われりゃ体がその気になった…ってその気ってなんだ、その気って…
軽く笑ってしまう。
本当は笑いで誤魔化してみても薄ら寒い思いが何となく抜けず、居心地が悪かったが。

しっかりしやがれ、俺。







どろりと、身体の内側でなにかがうごめいているような奇妙な感覚が日に数回。

怖い。何かが、得体の知れない何かが。
怖い怖い怖い。
怖い怖い怖い。


腹部に手を置く回数が増えた。
身体が、酷く痩せた。
ザキが泣きそうになるくらいに。
なにか、が。





「俺の子孕んでくれたんでしょ?嬉しいなぁ」

一ヵ月後の深夜、二人きりの久々の逢瀬は銀時の妄言から始まった。
素早い身動きが出来なかったのは、おそらく銀時の眼を見てしまったからだ。

ぎくりと身体をこわばらせた土方に構わず、
「胸、張ってきてるね…」
ゆっくりと胸を愛撫するように揉みながら銀時は囁く。
「痛いでしょ。だめだよ我慢しちゃ」
「…ッ」
事実、ここ数日身体が…正確には胸の辺りに違和感を覚えていた。
「ほら、だんだん気持ちよくなってきたよね。いい子、いいこ…」
やめろ、と言うはずの口がうまく動かない。
「赤ちゃんができたから身体が準備してるんだねぇ…」
意識が酩酊するように、浮遊感の中で土方はただ銀時のされるがままだった。
思考を放棄してしまったのかもしれない。
しばらく磔の罪人のようにじっとしていた。
「ァ・・・」
ふと、張り詰めて酷く痛んだ胸の先を指先で優しく撫でられて背筋から力が抜けていく。
「可哀想に。痛いだろ?おっぱいの先っちょ、コリコリになってる」
ふざけた物言い、普段なら…一ヶ月前なら殴り飛ばしていた。
なのに震える手は縋るように銀時の肩口の着物を掴む。
「胸もこんなに張っちゃって…出す機会がないからどんどん溜まっちゃうんだよ」
手の平で包み込むように銀時は土方のささやかに膨らんだ薄い、しかし張り詰めた胸をなでる。
痛みを与えないようにだろう、もどかしいほどに丁寧なてつき。
思わずすりつけるような動きをしてしまったことを後悔する前に、銀時は強く土方の両胸を揉んだ。
「アァッ!!」
痛みと僅かに腰に響く快楽に土方はびくんと大きく身体を揺らし、小刻みに震える。
「…今、痛くないようにしたげるね」
快楽が尾を引いて、震えたままの土方の身体をそっと柔らかい敷布に横たえる。
そのまま銀時は紅く色づいた乳首を口に含むと、優しく吸い上げた。
「あ、な、やだ、や、」
口に含まれた衝撃に怯えた土方が、それでも銀時を引き剥がそうともがく。
「ァああぁぁぁああぁ!!!」
尖りきった乳首を甘噛みされて土方が髪を振り乱す。
痛いいたいいたい。
酷い。
お前なんか大嫌いだ。
言いたいのに声が出ない。
ちゅぷんと音を立てて乳首を唇から出した銀時は土方に口付ける。
それから、目じりにいっぱい浮かんだ涙を銀時の冷たい指先が拭った。
そんなことしたって誤魔化されない。
拒絶するように顔を背けると一瞬、なんとも言えない表情をした銀時は、
土方の心を置き去りにする。
「…ぅ……んぅ」
ちゅ…ちゅ、ちゅぷ…ちゅぷ、ちゅぅ。
本物の幼子のように一心に銀時は土方の乳首を吸い上げ続ける。
ぴくり、ぴくりと土方の身体が痙攣するのにつられるように銀時の唇がまるで
乳の出を促す子どもの獣のような執拗さで土方の未発達の乳首を挟み、乳頭をくびり出す。
「あぅ、あ…いゃ」
舌先が何度も乳頭の先端をくすぐる。
気が狂う。
そうなんども思う。
なのに銀時はけっしてやめてくれない。
酷い。
唇をふるわせて必死にひどいと拒絶した。
「旦那が可愛いお嫁さんのミルクの出を心配するのは自然でしょ」
知らねェ。
テメェの顔なんか見たくねぇんだよ。
どっかいけ。
俺に触るな。
「…お前なんか大嫌いだ!」
触るなァぁああ!!!
駄々っ子のような思考に凍りつきそうになるのはいつだって銀時が去った後。
最中はただ頭の悪いガキみてぇに暴れることしか考えられない。
その事実に絶望する。
それから、ぽっかりと穴の空いたような思考で腹部に手を置いてみる。

なにも、かんじられなかった。






久しぶりに見回り中に鉢合わせた沖田と銀時は、何気ない風を装うと茶屋の椅子に腰掛けた。
弱ってる土方さんを苛めたって楽しくもなんともねぇや。
そういうと、沖田は大きな眼で銀時を睨む。
「…旦那、アンタあの人をどうするつもりなんでィ?」
「怖ーい、沖田君。俺たちさ。もう夫婦なの、ふうふ。とーしろうは俺の可愛いおよめさん」
ふふ。
似合わない笑いに背筋が僅かに震える。
「アン人はあれで副長なんですから、困るんですよ。
組と近藤さんのために馬車馬みてーに働いてもらわねーと」
「なにソレ」
「だから…」
「もうあの子は真選組のモンじゃねェんだよ!」
一瞬で雰囲気を変えた銀時に、沖田も黙った。
「おれの・かわいーいおよめさん、なの」
そう言うと沖田を置き去りにした銀時は悠々と歩き出す。
「…イカレテやがる」

沖田の呟きは路地に溶けた。







ガキは誤魔化せても、流石に狗は誤魔化せない。
銀時はぼんやりと思う。
万事屋のソファを挟んで、向かいに座る山崎退は沖田とは違い、狂気の振る舞いにも動じなかった。
山崎は銀時を真っ直ぐ見据えた。
「……旦那、あの人に何したんです?教えて下さい」
あのひと。
山崎が言うのは一人きりだ。
こんなにも血相を変えるのも。
「愛し合っただけだってば」
「仮に!仮にです、あなた方が愛し合ったとしましょう。
でもオカシイでしょう。土方さんの体内には何も宿っていやしません」
「赤ちゃんいるって」
「意味がわからない!あなたが可笑しなこと言うから、土方さんが混乱なさっただけです」
「は?」
「実際は何も無いのに、あなたが執拗に副長…土方さんに吹き込んだんだ。あの人は優しい方です。
それにおそらく貴方を想っていた。認めたくありませんが…」
山崎は苦いものでも口にしたように顔を歪める。
「あの人は優しい人です。本当に優しい…
だから、あなたの願いを叶えようとなさったとしても不思議は無い」
「愛の結晶」
「ふざけないでください!!!」
「ふざける?そりゃテメェらのほーだろうが」
激高した山崎に対して、底冷えのする表情で銀時は応じる。
「何なんだ。俺から十四郎を奪おうとしてんのか?あぁ?フザケんなよ……殺すぞ」
「…例え殺されたって引き下がりませんよ!俺はあの人の為ならいつだって死ぬ覚悟でいるんです!!!」
「………」
「嘘でいい。貴方にとっての真実は関係ない。何も無いと言ってあげてください。土方さんは貴方の言葉で惑った。
なら貴方にはあの人を救う義務がある。いますぐ、あの人を可笑しな妄想から解放してください」
「は、あははははは」
銀時は笑いながら、ふと真顔になる。
「生まれれば、開放されるね」
「じゃあ、いつ出るんです?」
山崎は自棄のように叫ぶ。
「そのおぞましいモノはいつ、土方さんの身体から出てってくれるんですか?」
「出ないよ」
「なん…」
「出させない」
「子どもは生まれるものでしょ…」
山崎は可笑しな論理に付き合うことにしたのか、挑むように銀時を見据えた。
が、銀時は動じない。
「出てこなきゃ、俺のタネが可愛いとーしろうのおなかの中であったまっていられるんだもん」
憑かれたような眼に怯む心を叱咤して山崎は続ける。
「排出…いえ、ご出産とやらは無いんですか」
青ざめたまま尋ねた。
「ねェよ。んなもん」
酷く冷たい口調で銀時は言い放つ。
が、すぐに笑みを浮かべた。
「俺の子を孕んでくれるのは嬉しいけどさ。生まれちゃったらさ、俺とソイツは別物だもん。
銀さんやだなー土方を他人に触らせるのなんか」
「自分で何言ってるかわかってますか、旦那」
「大体男が出産できるわけないじゃん」
「じゃあ…」
だったら。
「あの人の中には何も無いんですね…あなたの妄想以外」
山崎はそれでも気丈に問いただした。

「さ・あ?」
銀時はわらった。







ICレコーダーに録音した会話を、全て土方に聴かせた。
山崎としても、銀時の本心を伝えるにはこの方法が正しいだろうと考えていたのだ。
聞き終わり、土方はしばらく考えるように目を伏せ、
山崎を見て少し優しいとさえいえる表情で言う。

「良かった。何も、無ェなら」

「そうですよ。何も無いんですから…」
言いかけた言葉は断ち切られる。

「なら……安心して狂い続けることが出来るな」

そのとき山崎は凍りついたまま崩れ落ちそうになる身体を辛うじて支え、必死で土方を見た。

「…それが知りたかったんですか?」
土方は少し笑う。
「不安だったんだ。もし、もしこの身体に何かいたら、俺が狂っちまったら、ソイツはどうなるんだろうってな」
「土方さん…」
「でも、何もいねェんだろ?なら、安心して狂える」
まるで夢を見るような穏やかな口調で土方はなだらかな腹部を一度撫でた。

「……アイツを愛してるからな。良いさ、アイツの狂気に一生付き合ってやる」

ああ、とっくに。
あなたは。
山崎は積み上げてきたものが崩れていくような感覚の中で、
それでも土方を何よりも愛しいと思う。

綺麗な人でしょう?
あなたはこんな優しい人に何をしているか考えてくださいよ。
あなたの言う「何か」にさえ、心を砕いていたんですよ。
まるで場違いな誇らしさと自棄になった思考の中で。

山崎退はそれから、こういうとき何に祈ればいいのか、ぼんやりと考えていた。







静かな二人きりの室内。

こじんまりとした屋敷は同居用に用意したものだ。
銀時は満足げな溜息を吐くと土方を見つめた。
ふわりとおぼつかない足取りで、
窓の側に歩いたかと思うと座り込む。
可愛い足。
可愛い指先。
じっと見つめていてもちっとも飽きない。


「一生おまえは孕んだままなんだよ、可愛いとーしろ」


土方は俺の声が聴こえないフリで窓の外を見ている。

「…夜風は身体を冷やすよ」
そっと近づいて羽織をかけると土方は窓の外から一瞬銀時に視線を移す。
瞬きをした。
とても綺麗な瞬き。
そして何かを確かめるように頷く。

それからまた、土方は窓の外をながめた。



夜の底をみているのかもしれない。







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