海月
細い手足が時折肌に触れ、僅かな熱と痺れを感じる。
いや、痺れよりもっと優しいものだ。
なんだかわからねぇが随分と悩ましい気持ちになってしまい、
身体を持て余して何となくだらだらしていた。
「海月につかれましたね」
「海月?」
「ええ、くらげ、です」
山崎は厳かにそういうとじっと俺を見つめてきた。
「見えるのか」
「見えるんです」
そうか。お前って本当に侮れないヤツだよな。
海月はふよふよよとまとわりついてくる。
たゆたう生き物はある人間を連想させる。
指先で撫でてやると指に足が絡む。
透き通って綺麗だ。
「土方さん、あんまりかまっちゃダメですよ」
山崎はそう言うと案ずるような視線を投げかけてきた。
聞こえるかな、くらいの気持ちで海月に告げる。
「ふわふわしたのには、もう間に合ってんだ。わりぃな」
そう告げると白銀色の頭に透き通った足の海月はゆらりゆらりと
宙を舞ってから、するりと着流しの着くずした胸元から入り込んで、
ふっと消えた。
しばらくは中から溶けるような温かさがあり、
冬の冷気と相まって心地よかった。
ある冬の話。
雨乞い
夜中にふと眼が覚めると、男が枕元に座っている。
「・・・なにか用か」
俺は幽霊は苦手だが天人で人間以外の形の生き物にはなれているのでさして驚きはしない。
賊なら警戒するがそもそもコイツからは殺気がしない。
というか気配すら希薄。
どうみても「こちら側」の生き物じゃねェ。
男は眼が細く、髪が短い。耳が尖っていて全体的に狐に似ている。
「雨を乞うてるんですわ」
男が言った。
「雨乞いなら他所でやりな」
俺は残念ながら雨ふらしじゃねェ。
というかコイツなら自分で降らせられるんじゃねェのかよ。
「あんさんが、泣いてくれはらへんのがいかんのですわ」
「泣く?」
「あんさんが泣いてくれはったら、ウチの雨乞いは成就しよるんです」
「なんだそりゃ」
「あんさん相手だと骨が折れますわ。泣かへんお人ですから」
その生き物はそれから訥々と俺が泣けば雨乞いが成就する、
俺はちっとも泣かないから困ると繰り返した。
「大の男が泣くってのもな・・・」
「そこをなんとか。わてらもあんさんに酷い事したくないんです。
せやけどいい加減泣いてもらわんとあかんのですわ。どなたか、
あんさんより怖い人いてまへんか?」
あぁ、そうゆうことなら。
「ひとり、居るな。今日会いに行くから、多分、雨が降る」
ここの所忙しくてゆっくり会っていなかった。
外で会っても数分。
それじゃ「雨は降らない」よな。
夜が明けて気だるい空気と洗い立ての香りを撒き散らして、
美形の真選組副長は屯所に戻る。
これから朝寝するつもりで山崎に用意させた夜具の中で
ふっと気がついて訊ねる。
「どうだった?」
返事が無いのでさっさと寝ようとすると
「……あきまへん」
弱々しい声が枕元からした。
居たのか。
身を起こして問う。
「なにが」
「昨日のあんさんですわ」
「見てたのか」
怒るでもなく告げると、男が顔を赤くして俯く。
「あんさん、あんな気前良く色っぽい雨ふらしてくれて。
おかげで落ち着きまへんわ。まともにあんさんを見れへん」
「雨乞いがいらなくなって良かっただろ?」
「………ほんまは、ウチが降らせてやりたかったんでっせ」
「…あいつ、嫉妬深いぜ」
「見たらわかりますわ」
それからその男は長い長い溜息を吐いた。
「あんさんをお慕い申してます。雄も雌も男も女もそうでないのも。
わてらはあんさんの味方ですから、本当に酷い雨のときには必ずお助けします」
何を言っていいか判らず、じっと見つめると男はにっこりと笑う。
「あんさん、ほんま酷いお人やけど、色男やなぁ」
しみじみ言うと
「ほな、また」
消えた。
ある非番の日の朝の話。
ふたご
庭に二人、幼い子どもがいた。
そっくりの顔で。双子というものを土方はあまり見たことが無かった。
二人の童女は揃いの赤い着物に小さな花簪を挿して土方をじっと見上げた。
「こんにちは」
「こんにちは」
土方は寸分違わぬ童女達をまじまじと見つめ、山崎が土方の為に用意していた茶菓をやった。
「ありがと」
「ありがと」
童女は土方をじっと見つめて
「およめにもらって」
「およめにもらって」
同じ口調でそう、言った。
土方が呆気にとられていると焦れたのか、童女達は言う。
「いらえは無いの?」
「いらえは無いの?」
土方は困ったように首を振った。
土方十四郎、鬼の副長ながら女子どもには頗る弱く、どうしても甘い。
この小さな侵入者をどうするべきかやや、悩んだ。
「見たら死ぬ」
「見たら死ぬ」
「ぎんいろ」
「ぎんいろ」
弾かれたように顔を上げた土方の前で童女は今度は同じ言葉を口にしない。
「あなた」
「このままじゃ」
「「恋に死んでしまう」」
童女は声を揃えて言う。
「・・・・・知ってる」
酩酊する感覚にも似た、心地よさ。
あの男といるといつもそう。
あの男は誰のモンでもない。
「知ってる、よ」
だけどあの銀色の髪は嫌いじゃない。
そしてそれは俺に無いものだ。
あの男が愛しんでくれるこの眼が、あの男に無いように。
「行っちゃうの?」
「追いてくの?」
悲しげな童女達に困り果てる。
「・・・ごめんな」
伏せた眼が美しいと、この場に誰か居れば感嘆しただろう。
「「嫌」」
童女は怒ったようにそう言うと。
空間は歪んで、土方はゆっくり気を失った。
「きれい」
「きれい」
ふふ、と声が揃う。
「「一緒に、いくの」」
童女は笑う。
身体が背中からゆっくりと割れ始め、大きな羽根がのぞく。
「昼の光の下にも化け物はでるんですねィ」
金色の髪の、土方にとっての愛し子。
いつのまにか現れてからから笑う、金色のこどもはすらりと美しい刀を抜いた。
「その人は、やれませんぜ」
真っ直ぐ切っ先は向けられる。幼女に対する躊躇いなどみじんも持ち合わせない正確さ。
「人殺し」
「人殺し」
罵ったが効き目が無いのを悟ったのか、存外簡単に双子は顔色を失った。
「「・・・・・ひとごろしね」」
そうだ。人殺しだよ、ガキども。
「ひとごろし、しね」
ふざけた口調で言うと、神も悪魔も恐らく逃げ出す性的倒錯者は、刀を振るった。
耳を劈く悲鳴は沖田には親しいものであって気にもならない。
「誰にもやらねェよ」
沖田が笑うと幼女の体はたちまち二つの小さな虫になった。
「おら、土方さん起きてくだせェよ」
乱暴に揺さぶられて小さく息を吐く。
歌うように、こどもは。
黒い髪の美しい男を日常に引き戻して、からから笑った。
「・・・そうご」
見上げる土方ににんまりと沖田は笑ってみせる。
虫の死骸を土方が何か痛ましいように見ているのに沖田は気づいてまた哂う。
「武士がナニ甘いこと考えてんでィ」
生きてんのかィ、死んでんのかィ?
死んだ虫の死骸をころころとつま先で蹴り飛ばしながら沖田は無邪気に笑った。
「あんたホント馬鹿」
何もかもにほだされて、本当に。
馬鹿。
おら、死んでんだよなァ?
蹴り続けるのに飽きたのか。
土方が見ている前で。
化け物よりも化け物らしく沖田は笑って虫の死骸を今度こそ踏み潰した。
二月三日
夜を賭して行われる真選組の宴会。
既に死屍累々となりつつある宴会場に足を一歩踏み入れ、土方はぼんやりと一点を見つめる。
きしゃきしゃ
きちきち
鳴き声をあげながら歩く子鬼がいた。
「副長飲んで、飲んで〜」
拙い口調で酒を勧める隊士を軽くいなしてやりながら、
酒が注がれたお猪口をそっと床に置いてやる。
しばらくすると子鬼が寄ってきて両手で持ち上げて飲み干す。
きちきち鳴く子鬼。
遠慮がちに隊士達のつまみを齧り、ふらふらと歩いている。
誰の目にもおそらくとまっていないのだろう。
そのまますっと立ち上がると目ざとい沖田が声をかける。
「どこ行くんでィ、土方ぁ」
「お前らは飲んでろ。俺は今日は飲まねェから」
子鬼がついて来る。
部屋に入ると子鬼は大きな目玉をぎょろぎょろさせながら部屋中を見渡している。
「山崎」
「はいよ」
呼ぶと山崎はすぐに答える。
「膳、運んどいてくれ」
「もうお持ちしてます」
置かれた膳に子鬼が走りよる。
天井からまたもう一匹子鬼がぼとりと落ちてきた。
また一匹。
許可を待つみたいに膳を囲んでいるので
「俺はもう食べねェから」
呟くように言うと子鬼はすぐにかりかりと音を立てて食事をしだす。
宴会のつまみじゃ腹は膨れなかったんだろう。
思いついて、あられと有平糖を盛った皿を横に置いてやる。
子鬼にも甘いものが好きなのとそうでないのがいるのか、
デカイ目を輝かせるように噛り付くものと見向きもしないのとがいる。
瑠璃色の盃になみなみと注いだ冷酒を置いてやるとやはり舐めるのと見向きもしないのとがいる。
「そういや、今日は節分か」
どおりで子鬼が。
「山崎」
「はいよ」
「風呂入ってくる」
湯上りに水を飲んでいるとやはり子鬼はいた。
満足げに膨らんだ腹を仰向けにさらして。
どれも床でころころと転がっている。
「酔いが回ったか」
部屋に少し残る酒の香が心地良さを表しているようだ。
どうせ今日はどこにいっても追われるんだろう。
このままでいたほうが良いんだろうな。
それだけ考えてそのまま文机の前で書類に目を通す。
机の上には、酒のお湯割りに花を浮かべた硝子が置かれている。
淡い酔いさえもたらさない、薄く香りのよい飲み物を一口含んで外を見る。
舌に広がるのは心地よい甘さ。
こういう日は何も起こらないといい。
そう思いながら夜が更けるのをゆっくりと味わった。
あめ
「雨だね」
「ああ」
軒下で雨を二人して眺めている。
「やまないね」
「そうだな」
土方は話しかけられても珍しくちゃんと言葉を返してくる。
俺たちは不思議なくらい気があって、考えることも行動も似ているから、偶然出くわすことも、雨宿り先が同じなんてことも別段珍しくない。
慣れてしまっただけで当初はお互い、いや特に土方がだけど、突っかかったりぶつかったりした。
その二人が、いろいろあってこうして二人静かに雨を眺めているわけだから人生は不思議だ。
ぴちゃん、ぴちゃんと小雨の音に混ざってなにかの足音が聞こえてくる。
「………?」
ナンだろ。でも気配が無い。
濡れ鼠になった動物だろうか。
「ね……土方君」
何気なく横を見ると土方の身体がびっしょりと濡れていて俺は驚いた。
「どうしたよ、おい!」
さっきまで精々俺と同じ程度にしか濡れてなかったはずなのに、濃紺の着流しは水気をたっぷりと吸い込んでまるで黒かったかのようだ。
髪の先から雫まで滴らせて、土方は平然と前を見ている。
「お前………」
「このくらいで済んだんだから、いい」
土方は呟くようにそう言うと小雨の中を出て行こうとする。
「ちょ、待てよ」
慌てて俺は土方の腕を掴んだ。
「お、い……」
その手首はぎくりとするほど冷たかった。
言葉を失った俺に土方は冷ややかな眼差しで
「用がねェなら放せ」
そういって苛立ったように手を振りほどこうとする。
「ちょ、おまえね……あーもういいから!!」
結局腕力に物を言わせて嫌がる土方をホテルへ連れ込んだ。
鍵を受け取るとさっさと室内に入り、土方の濡れた着流しを剥ぎ取ろうとしたが、思わぬ抵抗にあう。
「はなせ!」
「馬鹿、風邪引くだろ……」
無理やり引き剥がそうとした着流しから覗く肌に俺は目が釘付けになった。
「おい、おま……」
嫌がる土方を押さえつけて強引に上半身をはだけさせると、鎖骨から胸元にかけて肌には無数の
赤い線が走っていた。
引っかき傷に少し似ているけど、血は出ていない。
土方はばつの悪そうな表情で眼を伏せた。
「ど、したそれ」
なるだけ優しい声で(震えていたかもしれない)尋ねたけど土方は答えようとしなかった。
「何か捕り物でもあったのか」
いや、此処の所デカイ捕り物は無かったはずだ。
真選組は悪い意味で目立つから何かあれば必ずニュースになる。
というか、これは。
「どっかぶつけたとか、なんかアレルギー?」
信じてないことを言ってみる。
あまり人のプライバシーに踏み込みたくは無い。がこれが土方のこととなると多少変わってくる。
だって。
「……一昨日会った時は、なんともなかったよね」
一昨日の夜、正確には昨日の朝まで、散々愛し合っていたわけだから。
酔っていた土方と違って、俺はほとんど酔っていなかった。
溶けたような土方の表情を堪能して楽しんだけどこんな痕は無かった。
「わからねェ。雨が何か連れてきたんだろ」
土方はそれだけ言うと俺の前で少し目を伏せた。叱られたこどものような幼い仕草だった。
「風呂、はいる」
立ち上がった土方の手首を思わず掴んでしまって、腹をくくって土方の視線をしっかりと受け止めた。
こういうときだけは間違えたくない。
「一緒にはいろう」
土方は嫌だとは言わなかったけれど、なぜか少し悲しそうだった。
雨に濡れた土方は泣いているようで俺は少し怖かった。
「だいじょうぶ、すぐあったかくなる」
土方の手を引くと浴室にむかった。
俺はおまえをどこにも行かせない。
生きているのか生かされているのか死んでいないだけなのかただのきまぐれか。
断罪の音に似た轟く稲妻も雨音もこの心臓の鳴る音を消すことはなく。
何かに感づかれる罪の音もまた消えない。
弐月三日
膝の上にぽとんと落ちてきた塊は土方を見上げて大きな眼をギョロギョロさせ、
ひしっとしがみつく。
何の気なしに頭を撫でてやるとわらわらと集まってくる子鬼達。
六、七、いや・・・九。随分と沢山だなと土方はどこか遠いことのように思った。
子鬼の顎を猫の子にするように撫でていると、多分笑っているのだろう、ぎちぎちと声がした。
山崎に言いつけて、部屋には食事と、菓子の類が置いてある。
弐月三日にこうしていていいのか、はわからない。
が、別段どうということでもない。
子鬼はぽとりとまた、落ちてくる。
毎年これならしまいには部屋が埋まるな、と馬鹿らしいことを考えて土方は笑う。
ふと、気配が変わって、部屋の空気が一瞬で緊張する。
子鬼達がその場に座り込んで、それから居住まいを正すように正座し、小さな頭を地面に擦り付けた。
土方が一瞬目をとじて開くと。
「ここか」
酷く整った顔をした男が現れた。
男、と言っても頭に角、口には牙を持った、まさしく鬼と呼ぶに相応しい背の高い男は座したままの土方の前に進み、呟いた。
「子鬼どもが世話になったようだな」
男はそういうと土方を見つめた。
白い着物に足袋をつけて、不思議なほどに良い匂いがする男だ。
銀色の髪、と土方は関係ないところに少し、目を瞬かせた。
「堅苦しいマネは良い。お前たち、楽にしていろ」
子鬼達は頭を上げると、しばらく顔を見合わせていたが頷き、また土方の傍に集まって座り込む。
膝に上ってきた子鬼を、やはり土方が静かに撫でていると男が口を開く。
「貴公、名は」
穏やかな声、に素直に口を開く。
「土方だ」
ひじかた、と口の中で転がすように囁いた男は、美しいが表情の無い顔で続けた。
「では土方、私が恐ろしくは無いのか」
土方は首を傾げた。
「恐ろしいことでもするのか」
男は少し眉を寄せた。心外だ、とでもいうように。
「せぬ。が、私の姿が恐ろしくないのか、と問うている。人の世に鬼と言われる私が」
ん、と喉の奥で少し声を重ねた土方は指先を子鬼の顎の下に滑らせ、その喉を鳴らすさまに目を細めた。
「・・・俺の通り名は、鬼の土方、だ」
笑っちまう、そう言うと土方は喉の奥で笑いを殺すように唇を上げた。
「鬼というなら俺こそがそうなんだろう。何せ、随分殺した」
「・・・・・・雅な鬼もいたものだな」
鬼・・・男はそれだけ言うと土方をじっと見つめた。
「傍に座って構わないか」
頷くと男は音を立てずに近づいて、ゆっくりと膝を折り、土方の前に座した。
子鬼が緊張したのか、土方の服の裾を掴んでいる。
長い指で土方がそっと撫でてやると強張りが溶ける。
男は土方の動作を静かに見ていたが、ふっと唇を笑みの形にした。
「子鬼がかどわかされているのではないかと足を運んだが…どうやら杞憂だったようだな」
男はそう言うと、空いているほうの土方の手をそっと取る。
ひやりとした手だ、と土方は思う。
「ひとの血を吸わぬ指だ」
静かに呟くと、そっとその手を膝の上に戻した。
「なぁ、アンタ・・・呑まないか」
土方は膝の上にそっと戻された手を一度そっと握り締めてから、男を見上げて囁いた。
男は驚いたように目を見開いたが、少し幼い仕草で頷いた。
血よりも紅い、とろりとした色合いの杯に注がれた冷酒に男の目が細まる。
「いい酒だ」
「貰いもんだが、悪くないだろう?」
土方はそういうと濡れて光る唇に構わず酒を呷る。
男は不思議そうにその様を見て、静かに飲み干した。
「随分と豪胆に呑むのだな…」
土方が首を傾げると男は目を伏せた。
「悪くはないが、貴公の雅な顔に合わぬ仕草だ」
それだけ言うと、男は笑った。
土方は気にした風でもなく、やはり男らしい仕草で酒を呷った。
夜半、いつのまにか眠っていた、と土方はぼんやりと眼を開けて思った。
見渡せば部屋の中で仰向けになって、子鬼達はまだ眠っている。
満足そうに膨れた腹だけは、毎年変わらない。
土方は誰かにかけられていた羽織を着なおすと、障子を開けて庭に出る。
男は庭に静かに立って月を見ている。
ゆっくりと庭に降り立った土方を振り返り、
「目覚められたか」
男が言い、土方は頷いた。
「これ、アンタか」
羽織を摘んで問うと、男は少し笑って頷く。
「貴公は酒に弱いのだな」
土方が困ったように応えあぐねていると、男はまた笑う。
「構わぬ。貴公はそのくらいが愛らしい」
土方がわからないことを口にした男は、前を見た。
「鬼というのは、恐ろしいのだと、ひとは言う」
男はぽつりと零す。
「しかし、鬼には鬼の理があり、ひととは相容れぬものでありながら、近しいのだろうと私は思っている」
風が吹く。
舞い上がった着物の裾が闇夜に映え、ふたつの影が馴染む頃。
「俺が恐ろしいのは、人の形をした生き物のほうだ」
土方は静かにそれだけ言うと、薄く笑った。
男は土方を見つめて、その目の奥の色を伺うように、じっと覗き込む。
「貴公の哀しみが、私にはわかる」
男はそう静かに言うと、土方の頬にそっと触れた。
まるで酷く壊れやすい細工にふれるような仕草だった。
そのまま、ゆっくりと男の顔が近づいてくるのを、どこか遠いことのようにやはり土方は思った。
「…ひとはこわい」
そう、唇が触れ合う刹那、土方は密やかに零した。