隣に座った男は、ふわふわの天然パーマで、
ふわふわの…そう思うだけで息も止まりそうな土方の内心など勿論知る由も無いからだろう、
「ここは酒もええが肴がええ、おんし、鳥は食べちゅうか?」
そう気安く話しかけてきた。
「どっかで逢ったかのぅ?」
じっと見つめていたせいだろう、慌てて土方が視線をそらそうとすると、
男はにっと笑って土方の手を掴んだ。
ぎくりと、土方の中の何かが揺れた。
「ちょ、なに……」
「おお、ほんに別嬪さんじゃ」
「アンタ……何言って……」
「笑うともっと別嬪さんじゃと思うき、笑ってくれんか」
土方が混乱しているうちににこにこと笑いながら、
「お姉さん、ここに熱燗二つといつものお願いじゃ」
土方の手を捕えたまま、自分のペースに巻き込み始めた。
土方は元来、根は明るく、他人とのコミュニケーションが下手なわけではない。
小一時間もすれば、男と打ち解けた。
男の名前が坂本辰馬で、あの快援隊のボスであることはすぐわかったが、
男の気安い態度のおかげでか、気にするようなことではなかった。
商売人は基本的に如才ないものだが、坂本も例に漏れず話は巧みで、一時もこちらを飽きさせない。
何より、久しぶりに嫌なことを忘れて気持ちよく酒が飲めた。
それからふわふわの髪に何度も触れた。
万事屋の髪に、本当は触れたかった。
怖くて、行為の最中に縋るくらいしか出来なかった。
ただ何気なく、こうやって髪をかき混ぜてみたかった。
男は何度も笑って、それから土方に向かって
「まっこと綺麗な顔じゃ」
感嘆の溜息を零す。
土方の表情は曇った。
顔が、身体が好みだ、そう何度も万事屋は言った。
望みなんて無かったら良かった。
いっそ、銀時が気に入らない容姿だったら、身体の関係だけなどという中途半端な状況から
抜け出せたのに。
肌を合わせず、想いだけを秘めて生きていくほうがよっぽど幸せだ。
「綺麗じゃねェ」
醜いものがどろどろ詰まって、破裂してしまいそうだ。
血も散々被ってきた。別にそれを恥じちゃいねェが、到底、この快活な男が発する、
突き抜けるように心地良い「綺麗だ」という賛辞に似合う姿などしていない。
「別嬪さんが思い悩んで、そうやって色っぽく困った顔しゆうのも、わしゃたまらんぜよ」
別嬪さん、などと言われて、好色に聴こえるかもしれない言葉も、
不思議と、この男が発すると嫌な感じはしない。
多分そういう種類の冗談なのだろう。
いかにも女慣れしていそうなタイプだ。
「飲みんさい」
にこっと音がしそうに微笑まれて、土方は頷いて素直に酒を呷った。
あまり飲みすぎるのは好きじゃなかった。
酔って他人に世話をかけるのがみっともないと感じられるし、
普段はあまり酔える立場でも無いこともあって、酒量はある程度セーブしている。
例外はあの男と張り合って………馬鹿みてェな無茶をしているときくらいだ。
だから今、べろんべろんに酔って、ほぼ初対面の人間に醜態を晒している自分が滑稽だった。
大体自分はさっきから何を言っているのだ、
と土方の頭の中の冷えた部分が喚く。
どうやっても振り向いてもらえそうにない、いや、身体だけは振り向いているのだから尚、性質が悪い。
「ほーか、やったら、随分寂しい男じゃな、ソイツは」
男はそう言うと、土方の頭を何度も撫でてくる。
よせ、と振り払おうとして、急に頭を振ったせいでくらくらきて、
土方は眉をひそめた。
男は構うことなく、今度は土方の肩を優しくとんとんとたたいて、
頬をつんとつつく。
むっとして土方が睨みつけると、男は少しも怯まず、それどころかますますしまりの無い顔で
笑いかけてくる。
むにゅっと頬を、痛くない力加減でつままれて、思わず土方は笑ってしまった。
笑いは伝染するのか、と馬鹿なことを考えた。
覚束無い足取りの自分を背負って歩く男の足取りは恐ろしく磐石で、
ゆらゆら揺れる視界の心地良さに土方はうっとりと目を閉じる。
瞬間、あれ、なんで、俺は子どもみてェに負ぶわれてるんだろう、
とぼんやりと思ったがやはり思考は覚束無い。
暫くして、一度地面にそっと足がついて、
それからひょいと抱え上げられて、
ぶつけないように頭を守られながら
タクシーに乗り込んだ、ようだというところまではわかったが、やはり
うまくまわらない。
身体がずらされて、すぐ横に男の逞しい肩が当たる。
「…寝とおせ」
男が優しげな声で、眠っていいのだといってくれ、たのだろうなとぼんやりと考えて。
思考を巡らす余裕も無い土方は、ふにゃりと無防備に笑ってその手に甘えた。
真横にふわふわの髪があって、その感触が心地良い。
何も煩わされず、ただ眠りにつけることなんて久しぶりだった。
寂しかった、のだろうか自分は。
それから暫く、その男と会った。
あの日。
土方がとろとろとまどろんでいるので、寝て構わないと声をかけた。
肩を抱き寄せた拍子に、覗き込んだ相手の顔が。
まるで花のようにほころんでいて。
坂本はその表情に釘付けになり、危うく土方の身体を。
場所も忘れて抱き潰したくなって慌てて力を緩めた。
公共の場で、立場のある男を困らせてはいけない。
だが。
あまりに可愛らしい顔に、思わず。
「連れ帰っても、ええがか……?」
返る筈の無い答えを求めてしまったのだ。
わずかな回想の後、
坂本辰馬はゆっくりと、目の前の青年の整った横顔を見つめた。
誘ったのは自分で、店を用意したのも自分だったが、
相手はわずかも警戒をしていないようだった。
「疲れてるみたいじゃ」
「あ、いや。ウチはほら、あんまり評判が良くないからな、上からも横からも色々と」
言葉を濁した土方は、愚痴を言うのが悪いと思っているのだろう、
曖昧に笑った。
「そうなが?若い組織やに、なかなかやちゅうて話しちょったやけんど」
これは別に嘘ではない。惑星間の航行における安全の確保、
という観点でテロリストの捕縛を主たる任務とする組織に対して否やがあろうはずもない。
「この間も、ぎょーさん人が虜になったテロばぁ防いだじゃろ?たいしたもんじゃ」
笑いかけると、頬がぽっと赤くなり、土方の白い肌がより輝いた。
照れたように俯き、土方は言葉を探しているようだった。
それから消え入りそうな声で、
「そうか……」
と言うと坂本を見上げて、観念したように照れ笑いを浮かべた。
歳に似合わない、酷くあどけない笑みは坂本の心を驚くほど魅了する。
視線を滑らせて、恐ろしく整った顔と身体を見つめてから、あらためて驚かされる。
自分が抱きしめればおそらく隠れてしまうだろう。
この、薄く、儚い身体で、
あの規模の組織を支えているのだ。
「こまい子ぉやね」
土方は一瞬、え、と言うように瞬きをした。
「あ、そりゃ、アンタに比べりゃ、小さい…こまい?かもだけど、それはアンタが凄く大きいからで。
俺は普通…っていう言い方は良くないな。悪ィ。俺は標準だと、思う」
ふるふると髪を振って慌てて、それからもう一度ぽっと赤くなったこの存在を。
抱きしめたくならない男など此の世にいるのだろうか。
それより。
そんな風に無防備に振舞っていいのだろうか。
ひらめかせた指先は桜の色をして、幼児の玩具のように愛らしい。
もし、彼さえ良ければ。
この、無駄に大きな身体で抱きしめて。
今一時くらい、世界の何もかもから覆い隠して、安らかに眠らせてしまいたい。
そんな馬鹿げたことを考えて、少し笑った。
欲しいものには躊躇なく手を伸ばせる性質だ。
が、手を伸ばせば壊れてしまうものもあることを、もう知ってしまっているのだ。
「たるばぁ、食べや」
「おんしゃーまっことめんこい子じゃ」
口説いているような口調を自覚していたが、
土方は子どものように笑って坂本の好きにさせてくれた。
夜道は危ない、と口に出さずに思って土方を送る。
そぞろ歩きの帰り道はまた、ひどく楽しい。
酔ったふりをして背後から抱きしめ、
クセのある黒髪で頬をくすぐると土方は可愛らしい声を上げて身をよじった。
「ふふ、なんだよ、くすぐってェって」
その声がとてもやわらかく、耳に心地良かったので。
思わず腕の中にすっぽりと収めてしまった。
このままどこか遠くへ連れ去ってしまえたら、
などというのは人攫いのようで罪深い。
こんなに可愛らしい生き物に辛くあたる人間がいるのが不思議だ。
誰かが、残酷な何かでもって、この青年を損なおうとしているのだろうか。
ふと、坂本の中で忘れかけていた、おそらく獣欲、に近いものが頭をもたげる。
空気や気配に聡い子を驚かせてはならない、
が、一瞬、己の表情があまり良いものではないことを感じ。
悪戯に紛れさせて薄い肩へ顔を寄せた。
肩口に埋めた髪に、土方は一瞬動きを止め、
それからふいに。
こめかみに悪戯のように、土方の唇が優しく触れたのをたしかに感じた。
驚いて思わず横顔を見つめると、酔ってしまっているのだろう、
へらっ、と随分と陽気で幼い笑顔を返された。
飲む前も後も漂っていた強い色香が、このときだけは無邪気な幼さに変わる。
まったくもって土方十四郎というのは不思議な生き物だった。
情も欲も、金と引き換えと割り切った女の媚態すら、
心底愛しているほどに女というものに夢中であるが。
ふいの無邪気な幼さを愛することがこんなにも心地良いのだ。
良い夜だ。
back