天使に逢ったら







銀時が先生に拾われて、ヅラや高杉達と殴りあう程度には仲良くなった頃、ちょっとした旅をしたことがある。
江戸に向かう道すがら、3人ははしゃぎながら浮き足立つ心のまま、
いつもよりもさらに生き生きと歩いていた。

街道沿いのその村は物資と人の交流が盛んなせいか、
村落共同体特有の排他的な要素はまったく無く、どちらかといえな開放的で、
旅人は当たり前のように受け入れられた。
肥沃な土地らしく見事な農耕の様子があちこちに見られ、3人はそれを飽かず眺めた。
なかなかに大きな家々の中でももっとも富める家であろう屋敷の前まで近づき、
先生は3人に向き直った。
「しばらくこちらに宿を借りることにいたしましょう。少し待っていてくださいね」

その姿が豪奢な屋敷の中に消えるのを見送ってから、3人は口を開く。
「見聞を広めるというのはこの国の将来にとって有益なことだ」
ヅラは松陽先生の台詞をほぼそのまま言い、満足げに一人頷く。
「あーまぁ確かにな。俺、こんなデケェ水田見たの初めてだし。
田舎つっても金持ってる人間が多いってのも意外」
「見聞て意味わかってんのか銀時」
「へッ、黙れチビ杉」
「んだとアホの天パ」
「やめんか貴様ら!」

「おやおや…さぁ、お世話になるご挨拶をしますから、失礼の無い様にね」
騒いでいる銀時達を見てくすりと先生は笑うと3人に穏やかに言った。
「こちらにはお前達より少しだけ小さな子がいるそうですよ。仲良くなれると良いですね」

立派な玄関の前に立つと、高価な着物に身を包んだ男性が銀時達を出迎えた。
僅かに緊張した銀時達に、こちらはご当主の為五郎さん、と先生が優しく紹介した。
銀時達が先生にしつけられた挨拶をすると、
「こんにちは。はるばるいらしてくださったんだ。これも何かのご縁。ゆっくりして言ってください」
緊張をほぐすような穏やかな声が返って思わず3人はホッとする。
見るからに優しそうな人だった。
ほんのりと笑う所が、ああ、優しい人なんだろうな、と自然に思わせる。
その人は整った顔立ちながら冷たいところはまったく無く、親しみのようなものが常に感じられた。
多分、絶えず笑みを浮かべているような優しげな表情だからだろう。
先生に少し似ている、と銀時は思った。
ということは銀時にとって好ましい人だということだ。

「さ、十四郎。ご挨拶しようか」
為五郎と言う名のその人は、そっと後ろを振り返った。
そのとき、大きな体躯の後ろに完全に隠れてしまっていた存在に気がつく。
だが相手はそおっとこちらをうかがうように、ほんの少しだけ顔を出し、
またすぐに引っ込んでしまう。
思わず身を乗り出しかけた銀時は、先生のしつけのお陰で何とか堪える。
少し待って、おずおずとこちらに姿を見せた小さな少年は、
おそらく銀時たちより4、5歳は年下であろうと思われた。
ひどく小さな体をして、それにつりあうように透き通るように白い小ぶりの顔は酷く可愛らしく、
さらさらと艶やかな黒髪、音のしそうに長い睫が水を湛えたような澄んだ眼を守って、
すっと通った鼻筋と桜色の唇まで、すべてが狂いなく整っていた。
何より遠慮がちにこちらを見つめる視線が、自分達の世界には無い種類の愛らしさだった。
自分達はいつだって、遠慮も何も無い。
獣の仔のようにつかみ合い、ときには噛み付き合うような関係だ。
桂も高杉もそれなりの家の出だが、結局銀時と同レベルの争いに終始している。

その少年は今度はきゅっと自分の着物の裾を掴んだ後、
ほんの少し、はにかんだ。
「………こ…こんにちは」
高く可愛い声、ぱちりと長い睫が瞬いて、大きく零れ落ちそうな眼が銀時たちを上目に見つめてくる。
為五郎さんはそんな様をとろけるように優しい目で見つめて、微笑む。
だがその愛らしい生き物は挨拶し終わった後、3人にじっと見つめられて恥ずかしくなったのか、
またおずおずと為五郎さんの後ろに隠れてしまう。
…隠れる前に見えた頬は桃色に染まっていた。

きゅううううん、と銀時の中で何かが高鳴った。


大人たちが「大人の話」をしている間、
銀時達は与えられた広間で遊んだ。

「おまえ、いくつ」
銀時が話しかけると、とうしろう、と呼ばれた子どもは
「ななさい」
小さな声で言ってから何故か首を傾げた後、
指を折ってぱちぱちと瞬きをし、こくんと確認するように頷いた。

銀時達は少し驚いて声を上げた。
「7歳?マジかよ。5歳くれぇかと思った」
「たしかに、7歳にしては小さいな、うむ。数えで、ということか?」
「とうしろう、ちいさい……?」
不思議そうに十四郎は銀時を見上げて言うので、
銀時は頷く。
「ん、ちっせぇ。でもか、かわ…」
可愛い、と言おうとしたのにうまく言葉にならないのは何故だろうか。
無垢な眼で見上げてくる十四郎は言いかけた銀時の言葉をちゃんと待っている。
んな眼で見んな、と何故か内心銀時は慌てだした。
さっきのきゅううううううん、がまだ続いている、
どころかそれにドキドキが加わったせいかもしれない。

「な、なまえ、」
銀時の着物の裾をそっと掴んで、十四郎は尋ねた。
「俺は銀時、でこっちが」

ふるふると十四郎は首を振る。
「なんて、よんでいい」

「あー銀時で良いけど。あ、こいつはチビ、こっちはヅラで良い」
「テメ、ふざけんなよ!!!アホ天パ!!!」
「ヅラじゃない、桂だ!!!」

さっそくつかみ合いになりかけた3人を見ていた十四郎はぱちりと瞬きをして。
「おにいちゃん」

そう、そっと口にした。

思えば十四郎はこのときから、ややおっとりとしてはいたが賢かった。
おっとりとしていても、と言ったほうが良いかもしれない。
3人は十四郎の桜色の唇が紡ぐ「おにいちゃん」という甘い響きになんとも言えない恍惚を覚え、
しばし黙り込んだのだった。






土方をはじめて見た時、胸の高鳴りを抑えられなかったのは何も銀時だけではない。

土方は高杉にとっても「ちいさなもの」だった。
これは重要なことだった。
チビチビと仲間内で(そしてそれは元服後も続く)
何かにつけ囃される高杉はしかし不幸にも一人っ子であり、
比較対象をほとんど持たなかった。
突如眼前に現れた少年はいかにもか弱く、華奢で愛らしい。
ちいさなもの、かよわいものを大事にしなくてはならない、これは子どもだって知っている。
綺麗なもの、可愛いものを愛でる気持ちは幼児にも、
いや、美醜に対して残酷な真実しか抱かない幼児だからこそ、強くある。
十四郎は裕福な家で大事に養育されているせいだろう、
ひどくおっとりとしていて、テンポもゆっくりだったが、
愚鈍というのではけして無くむしろ歳よりも遥かに賢いことが高杉にはちゃんとわかった。
まず行儀が良く、言葉は明瞭で丁寧で、他者の話を遮るような真似はしない。
十四郎はあまり多くをしゃべらなかったが、
口煩い桂と違って控えめで好感を持った。
元々高杉は饒舌だが、他人の話を心の底では聞いていないのだ。
無駄口をたたかないほうが好みだった。
(が、女はどうしてああ無駄に喋り散らすのだろう、とも思う。
思うだけで口には出さないから銀時と違って女に人気が無いわけではないが)

「昨日はよく寝られたか」
桂が話しかけるとこくんと素直に土方は頷いた。
その仕草がまた可愛らしい。

話し出すきっかけをつかめないまま、高杉はうろうろとした。
良い着物だ、とでも言うべきだろうか。
女になら服を褒めるのも顔を褒めるのも難なく出来たが、
十四郎相手に同じことをして良いのかは不明だ。
綺麗な柄の着物だったが、まるで女物のように鮮やかなのが気になった。
よく似合ってはいたが、女モノを似合うと言えば気を悪くするかもしれない。
結局気のきいたことは言えず、銀時がちょっかいをかけたり、ヅラが構ったりするたびに
苦々しい思いでいるのだった。

高杉は結局、無言のうちに十四郎をじっと見つめることばかりしていた。
食事風景ひとつとっても、十四郎は愛らしい。
行儀良く、上手に箸を使ってはいたがあまり一度に沢山食べられないらしく、
栗鼠か何かのように少しずつ、丁寧に食事をしている。
豪農の家だけあり食事は豪奢で品数も多いし味も良い。
多分腕が良いんだろう。
大きくなるんだよ、と当主は十四郎に少しでもたくさん食べて欲しそうに見守っているが、
この小さな体にそんなに沢山の量のものが入るわけが無い、
ふと高杉は野生の栗鼠が頬袋いっぱいに木の実を入れているさまを思い出した。
浅ましいとは思わなかったし、何より可愛さとわずかばかりのユーモラスが感じられた。
土方が同じように、小さな薄い桃色に染まった頬いっぱいに菓子を入れている様を想像し、
高杉の胸はますます高鳴るのだった。
口にするなら金平糖、いや沢山含むのに尖っていたらかわいそうだから有平糖が良いだろう、
そんなことを高杉は飽かず考えた。
小さく、か弱い存在の出現は高杉を言いようの無い責任感のようなもので満たす。

だが面白くないことに銀時もヅラも十四郎を気に入っていて、
やたらと構いたがる。
プライドが邪魔をして、ヅラのように空気も読まず気安く話しかけることは出来ないし、
銀時のように馬鹿な真似をして軽蔑されたくなかった。
ふてくされていると認めたくない高杉は、結局何となくいつも割に合わない思いだった。


だから、十四郎のほうから高杉に接触してくれることがあったときは。
天にも昇る気持ちだった。

最初は、多分高杉が幼児ながらもなかなかに凶悪な、不機嫌丸出しの表情をしていたときだと思う。
突然きゅ、と着物の裾を掴まれて高杉は困惑した。
高杉の表情が怒りのそれで無くなったのを見届けると、ほっとしたのか、
十四郎はそれから照れたようにはにかんで見せたのだ。

高杉の胸の高鳴りは止まらなかった。
着物の裾を掴んだまま散歩をしたせいで高杉の着物の一部は少し伸び、
それは目を凝らさなければ判らないほどの些細なしるしとして高杉を面映くさせた。

意地悪をしたいわけではない、ただ驚いたように急に振り返ると土方は
ぱっと手を離して恥ずかしそうに俯くのだ。
その様があまりに愛らしいので、胸の高鳴りを押さえられないだけだ。

そう、意地悪をして気を惹く馬鹿などと同列ではないのだ。

だが同時に、きゅっとつままれた着物の裾を見て、
手を握りたい、
そう強く思いながら出来ずに高杉は手をわざとらしく開いたり閉じたりしていた。
そして、やはり十四郎は賢いと高杉は思う。
なぜなら、あるとき、十四郎は高杉の手にその小さな手をそおっとそえ、にこっと笑ってきたからだ。
求められていることを理解するのは実は難しい。
高杉は完全にそのちいさな賢く愛らしい生き物の虜となった。


面白くないのは銀時だ。
高杉なんかより自分のほうが絶対に可愛がってやれる、
そう思うとつい、
「なぁお前、ちっせぇよな、高杉みてぇにチビじゃ、将来やべぇんだぜ」
いじわるなことを言ってしまう。

十四郎はちょっとだけ黙って、
多分言われたことがすぐには頭の中で結びつかないのだろう、
ちょっと首を傾げて、瞬きをして、
それからちょっと怒ったようにぷいっと横を向く。
行儀良く振舞うようしつけられているのだろう、
声を荒げたりはしなかったが、かえって堪えた。
内心銀時は焦った。
別に怒らせたいわけでも、嫌われたいわけでもない、
むしろ自分のことだけ考えていて欲しいのだ。
高杉やヅラにとられたくないだけ。
そう説明できれば良いのだが、勿論そんなことが出来るわけは無い。

だが十四郎は素直な子だった。そしておっとりとした優しい良い子でもあった。
銀時達と違って、怒りのような荒々しい感情を長く飼うことが出来ないようで、
ぷいと横を向いてもすぐに、上目に銀時を見て
「ちいさく、ないもん……」
それだけ言って満足したように、ほうっと息を吐く。
そして、良いことを思いついた、というようにちょっと頬を赤らめ、
「おまんじゅう、たべる?とうしろう、もってくる」
おやつを持ちにぱたぱたと行って、
帰ってくる頃にはおっとりと笑っているのだ。
この、優しく、おっとりとしていてお行儀の良い、人を幸せにするお姫様のような子を嫁にしたい、
銀時は大好きな甘味よりもなお甘い、十四郎という存在に夢中になった。


別れの日はつらかった。
泣いてしまうんじゃないかと思うくらい胸が痛んで、苦しい。

「道中お気をつけて」
為五郎さんは穏やかにそう言うと、おずおずとしている十四郎を優しく見て、軽く頷く。
「…ばいばい、またね」
旅人との別れに慣れているのだろうか、
寂しげではあってもきちんと挨拶をし、見送ってくれる。
この愛しいか弱い存在にもう、逢えないかもしれないと思うと銀時の胸は酷く酷く締め付けられた。
ちゃんと大きくなれるのだろうか、
この可愛いけれど小さな小さな存在は。
言いようの無い不安で銀時の胸は塞がる。
眼を離したら悪い奴がやってきて、攫われてしまうかもしれないのに。
またね、なんて。

だが先生は穏やかに笑うと銀時達に言う。
「十四郎さんはたいへん利発な子ですから、きっと立派な大人になります。
そうしたら、やはり立派になったお前達とも再会するんでしょうね」
「この子はここで収まるような子じゃないですから。寂しいですがきっと江戸のような大きな街で暮らすことになるんでしょうね」
為五郎さんも頷いて十四郎の頭を撫でた。

銀時は大人二人が自分達はまた逢える、と言っているのが嬉しかった。
先生は嘘を吐かない。
為五郎さんもそうだろう。
だったら自分達はまた逢えるということだ。
ヅラよりも高杉よりも、きっと自分は十四郎を幸せに出来る。
銀時には自信があった。

「……十四郎、俺、立派になってぜってぇおまえを……」
嫁にするから、とは言えなかった。
男は不言実行、が格好良いのだ。

「おまえと、ぜってぇまた逢うからな」

いまは、再会の約束だけで。
銀時は未来の嫁の愛らしい姿を眼に焼きつけ、
熱い決意を固く心に刻んだ。






そのとき、高杉も桂も同じ決意をし、
あまつさえ影でちゃっかりプロポーズをしているということに、
幸いにも銀時は気付かなかった。
銀時もまだ、この頃は初心だったのだ。


更に言えば、
十数年後、果たして目出度く再会した二人だったが、
あの天使はどこに出しても恥ずかしくない超絶有能な男前に成長し、
嫁などと言おうものなら首と胴体が泣き別れになることも、
色気が服を着て歩いているようなエロイ、お姫様どころか女王様になっていることも、
結婚もしていないのに眩暈がするほどの子沢山であることも、
その子どもはみんな揃いも揃ってマザコンであることも、
嫁の小姑どもの過保護ぶりに散々泣かされることになることも、
為五郎さんのような優しい人ではなく、
拳銃をぶっ放すヤクザ紛いのオッサンどもが保護者になっていることも、
眩暈がするほどエロイくせに、
嫁自身の初心さと無防備さだけは相変わらずでかえって苦悩することも、

幸運にもすべては当然ながらまだ知る由も無いのだった。



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