子どもたちを起こさないようにふらりと家を出た銀時は、誘われるように夜の闇の中である場所を目指す。



あの日、自分が獣になった場所。
雑居ビルの入り口はロープで封鎖されていた。
警戒線が張られていた名残のテープが地面に落ちていた。
が、ロープなど簡単に潜ってしまえる。
もう、ここは必要ないのだろう。
「あぁ、そうか」
自分の罪を裁く誰かが必死で動いていたのだ。

ビルに入りながら、誰にも何も出来ないのだと銀時は思う。

見つけたところで親告罪をどう問うのか。
誰もこれ以上土方を傷つけることを選ばないだろう。
罰せられれば自分は少しは救われたのに。
闇の匂いは纏わりつき、正常な判断を失わせた。
「ぅあ、ああぁぁあああああぅ………ゥうウウウウ……」
まるで本当の獣のようだとどこかで思うような音が出るのが俺が罪人である証拠。
呻き声をあげたまま、しばらくその場にしゃがみ込む。
「ぅ、」
吐きそうだ。
おぞましいものをすべて吐き出してしまえば、あるいは。
何か別のものに。
いや、無理なのだと何度も思い知らされただろう。
結局羨ましかったのではないか。
俺は罪人だから。
俺の持たないものを持ちながら、ただ真っ直ぐ前を見ているアイツが。

銀色の影はふらふらと立ち上がった。
何時の間にか、耳に雨音が届く。
振り出し始めた雨がアスファルトを黒く染めている。
あの日も雨が降っていた。
また濡れてしまう。
でも獣には似合いだ。
よろめき躓きながら影は夜の闇を目指し、歩き出す。
闇が包んでも罪が消えない。

この銀色の髪は、死神が俺につけた印だとガキの頃に思った。
まるで、忌々しい刻印そのもの。
どこでもなにをしていても、俺を見つけて死の匂いを齎す。
まるで悪夢のようにこの髪が俺を何からも逃がしてくれなかった。
罪人の証は生まれつき持っていたんだ。






「濡れるぞ」
差し出された傘に顔をあげる。
緩やかな闇色の着流しに夜光に映える蒼く滑らかな正絹の羽織をまとって。
白い肌に退紅色の唇と黒々とした澄んだ目が俺をじっと見つめる。
銀時が気が狂うほど欲しかった美しい黒髪は雨でもわずかの乱れも無く、しっとりと水気を含んでかえって夜の闇に鮮やかで。
幻覚かと思った影は実態を伴った温度の声で語りかけてくる。
「久々のわりに情けねェツラだな、テメェ?」
息も止まる美貌の癖にチンピラのような口調でそう言うとおかしそうに目の前の男は笑った。
「お前、湿気で頭が爆発してっぞ」
またおかしそうに言うと反応の薄い銀時に焦れたのか、少し不審そうに長い睫が瞬く。
「おい、マジで大丈夫かよ?飲みすぎたんか、テメェ…」
そう言うと銀時の顔を覗き込んだ。
夢か、あれは夢か。
近づく整い過ぎた顔に眩暈がした。
「ひ、じかた………」
絞り出すような声の銀時に長い睫を振るわせた土方は眉根を寄せたまま、案ずるように声を少し低くした。
「具合悪ィのか、ナンなら送ってやろうか?」
どうせ車を呼ぶところだったんだ。
そう言いながら土方は片手で携帯を開いた。
「やさしい、よね…………土方君は」
「アァ?」
ぶっきらぼうに返した土方はそれでも銀時を案じているのか、やっぱ乗るな、などと言わない。
さっきから吹き付けていた雨はもうない。
傾けられた傘の所為で俺の代わりに土方の肩が少し濡れてしまっている。
出逢った頃には既に互いに抱えたものが沢山あった。
投げ出せるような軽いものは初めから持たないふたりにとってそれは当然、酷く大切なもので。
それでも手を伸ばしてしまった、のは多分俺らがよく似ているから。
互いの領域に踏み込むようなことは無く、居心地の良い関係。
想いをゆっくりと暖めあう関係なのだと思っていた。
本当にこの男は。
傍若無人なようでいて案外気を使う。実は酷く繊細で優しい男なのだと知っていた。
愛した女性の幸せの為と何も言わず身を引くような優しくて愚かで一途な。
酷く繊細で、壊れやすくて、純真な男なのだと知っていた。
知っていた。
知っていたのに。

その男に何をしたのか。
夢ではないとわかっていながら頭は混濁する。
雨音が遠くなる。
言えるわけが無いと、土方の綺麗な横顔を見ながら銀時は胸のうちが潰されるような痛みを覚えていた。







全身の傷は、土方を病的に愛している連中が騙すように言い含めて、
テロか何かによるものと説明がつけられたようだった。


途方にくれて立ち止まり、迷子のこどものようにぽつんと立ち尽くす。
風の強い川べりには誰もいない。
永遠にそうやっているようにさえ思うほど長く立ち尽くした銀時の耳に声が聞こえた。
振り返ったとき、土方がとても優しい表情で自分を見つめているので、
頭がおかしくなりそうだった。

凛とした表情で立つ土方は本当に本当に綺麗だ。
あんなことがあっても、土方の綺麗さは少しも損なわれていねェ。
俺は、俺の矮小な心はその分だけ死ななきゃならねェ。
何も知らない土方が俺を責めねェから、自分で自分を責めるしかねェ。
自分自身からは誰も逃げられねェから、俺は死ぬまでこの渦の中で苦しむんだ。
この髪が俺を逃がしてくれなかったみてぇに。




山崎ごときの言いなりになるのは業腹だったが土方の為と言い聞かせる。
あれから、前みてぇに一緒に飲みに行って、軽くデート、みてェなこともして、
とにかく今までどおりに過ごしている。
土方は、まだ傷を少し残した身体で時折痛むのか夢うつつに小さく呻く、
のに普段は何でもねェみてェに振舞っていて、その哀しい気丈さに俺の胸はぎりぎりと痛む。
大切にしなければいけねェ土方に酷いことをした。
それだけが重く重くのしかかる。
何度謝っても償いきれるものじゃねェ。
俺はどうしたら良いんだろう。
土方の前から消えてしまえば良いのか。
まるで逃げるように。
ああそれこそ卑怯だ。

寝転んで傷跡の残る肌をそっと撫でながら、シーツの滑らかさに負けない土方の感触に溜息が出た。
「……どうした?」
土方が閉じていた目を薄っすら開いて問いかけてくる。
真っ直ぐな視線は他意が無くとも審問官のようだ。
罪人を裁く目。
いや、ただの被害妄想。
「や………なんでもねェ」
「そうか」
怯えを察しているかのように、土方はそれ以上何も言わない。
事情を知らないのに。
土方は基本的にあまり他人の事情をかき回すようなマネはしない。
それに甘えて良い訳がない。
言わなければいけない。
なんてだ。
今のお前の傷は、テロとは関係ねェ。
オマエを蹂躙した最悪の人間は今目の前の俺だって?
土方をもう一度傷つけることしかできねェ。
俺は暴力そのものだ。
畜生。
いつか悪夢が俺に言ったように。
俺はこの牙で誰かを殺そうとするだろうとわかっていたのに。
ああ。
どうしたら。
あああああああああああああ!!!!!!!
なのに愛しい気持ちが殺せねェ。
殺してくれねェか、なァいっそお前が。
俺の罪はそうしなけりゃ償われねェ。
そうだ。
いや、そうじゃない。
これ以上何を土方に背をわせる気だった?
俺はどうしようもねェ人間だ。ぐるぐるそれだけまわる。
土方は眼を閉じたまま軽く息をして、俺の横で安心したように眠っている。
シーツに散らばった黒い髪が艶やか。
こいつは、俺と違ってこの髪で夜に招かれて、朝には帰ってくる。
俺の髪は夜にさえ拒まれる。
同じ空間にいることが幸福なのに、同時に胸を抉られるみてェに痛ェ。
のっそりと起き上がって土方の吐息を手のひらに感じながら。

悪夢の続きが来ないことを祈った。





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