徒花
冬の気配に冷え込むその日、
非番の土方がふらふらと他愛無く歩いたのは人を誘う為だった。
その男は隻眼のテロリストで、酷薄そうに整った顔をしている。
男の視線を引き寄せたままで、やはり残酷に整った顔の土方はくるりと振り返る。
「桜に呼ばれた覚えがあるか」
そう言って優雅な指先がひらりと手の中の花びらを宙に浮かせれば。
目を見開いたまま、男は黙って後をついてきた。
「冬に桜、たァ、オツなもんだ」
男は言った。
足の速い男は土方の茫洋とした歩みにすぐに追いついたが、
その後は速度をあわせて愉しげに言う。
「狂い桜だなんて言われちゃいるが、そいつは間違っちゃいないんだ」
男は、土方が何も言わないので繰り返す。
「俺は花が好きだが、季節を違えて咲くもんは格別なんだ」
土方は、高杉がきちんとついてくることを悟ると茫洋とした足取りを改め、
その足取りはおつかい、を頼まれた子どものような真摯な歩みに変わった。
高杉は、それが酷く愛おしいとでも言うかのように、土方を時折見つめてふっと笑いかけた。
土方はただ真っ直ぐ前を見据えて歩き続けた。
一瞬だけ、高杉は瞬く。
急に視界が開けて、
なのに辺り一面が真っ黒の闇に埋もれた。
その中央で、一本の桜の木が、満開の花を地面に散らしながらただ真っ直ぐに生えている。
ぶあっと、圧縮された空気が溶ける様に甘く広がり、
酩酊する感覚に包まれたまま、
そのただなかで高杉晋助は心底嬉しそうに、
「…待ってたってのかよォ、この俺が、此処に来るのを」
言いながら近づき、そっと木の幹に触れた。
鼓動すら感じられるような表皮をゆっくりと、優しく撫でて。
しばらく、そのまま高杉は立っていた。
その見事な在り様に寄り添うように。
土方は何も言わず静かに、静かに息をしていた。
どれほど経っただろうか。
「桜は元は白い花なんだってな」
高杉は唐突に言うと、
「なぁ、なんで桜の花弁が白くないか知ってるか」
背後で頼りなげに佇んでいた気配の主、土方にからかうように問いかけた。
ただぼんやりと息をしていた土方の目が高杉を映す。
その目に自分が映っていることに嬉しげに笑いながら高杉は淫靡に口の端を上げた。
「桜の木の下に死体が埋まってるからなんだとさ」
死体の、と言う口元で、婀娜な顔の下で、男の苛烈な性質が覗く。
ほうっと、身体から甘い呼気を発するかのように土方は溜息を零して。
「……俺はそうは思わねェな」
そう言うと、ゆっくりと瞬きをして、ゆるりと辺りを見渡した。
「桜の木の下に、そうさな、たとえ屍が埋まってたって、それだけでこうも沢山色づくことはねェだろ」
大地が染まっていくかのように、鮮やかな花びらがひらひらと舞っては地に落ちていく。
風が吹かないせいか、花はひたすらゆっくりと落ちていく。
「この木は高杉、アンタに惚れてるんだろ?」
土方はそう言うと、静かに木を見上げた。
「だから紅く染まる。去年もそうだったんだぜ。
一途に、アンタがくるのを待ってた。ちっぽけな人間の屍のひとつやふたつ、こんな見事な桜を染めるにゃ足りねェよ」
静かなその言葉に、女がそのまま倒れこむような、壮絶な色のある顔で笑いながら高杉は囁く。
「なぁ、美人の副長さん。俺と来る気はねェか」
突然、土方のまわりで静かに白い炎が上がったが、流石に高杉は動じなかった。
吐息に乗せたその声を、土方は正面から受け止めてやはり、薄く微笑む。
白い炎の奥で揺らめく肌の色は目を奪われそうに艶やか。
「よせよ。お前に惚れてる女の前で。趣味が悪いぜ」
「そうか?アンタこそ、いろんなもんが随分ご執心にみえたが……まぁいい」
くっと笑うと高杉は無造作に髪をかきあげた。
そのまま木を見上げ。
それはそれは、場の空気が踊るような色のある顔で。
「あぁ、いいもん見せてもらった。お前は最高の女だぜェ」
婀娜な眼差しで高らかに言う。
呼びかけに呼応するように木は、風も無いのに揺れた。
高杉を呼び寄せた礼だろうか。
慰撫するように土方の薄い肩に花が降ってくる。
ただ静かに散る花びらを浴びながら、その動きを視線だけで追う土方のまわりに、
何時の間にかまた、ぼうっと美しい光が灯っている。
それから、ゆっくりと座りこんだ土方は宙を見上げて、
魔が潜むという木の下で大人しくほんのり頬を色づかせているだけだった。
「…なぁ、副長さん。アンタの頬が色っぽいのは、口惜しいが俺に惚れてるわけじゃねェよな」
呟き、名残惜しげに笑うと高杉は土方のために着ていた羽織をかけてやった。
何となく、肩が寒そうに見えたから。
大人しくそれに包まって、土方は素直に高杉に眼を向けた。
その傍にそっと高杉が近づき、ゆっくりと顔を近づける。
「なぁ、やっぱり俺は…」
土方の指が、そっと高杉の唇に押し当てられた。
言葉を遮る指先に。
勘の良い高杉はそれ以上深追いはしない。
「……先約でもあるのか」
静かに高杉はそれだけ言うと土方の顔を優しげに見やった。
「あぁ…いつも、待たせてばかりの男だ」
吐息まじりのこたえに、高杉はそうか、とだけ、零す。
そっと掴んだ土方の手を、高杉は愛おしげに撫でた。
「いい、気分だな」
高杉はそう言い、土方の手をそっと離す。
土方はゆっくりと目を伏せ、舞い落ちる花びらの優しい感触にただその身をまかせていた。
しばらく、二人で静かにただ舞い落ちる花を見つめ、
ゆっくりと呼吸をしていた。
それから、辺りが退紅色の花で埋め尽くされ始めた頃、土方は立ち上がった。
「……あとは、ふたりきりで」
そう言うと、土方はするりと着せられた羽織を脱いだ。
動きで舞い上がった花びらに、わずかに高杉の視線が吸い寄せられる。
「ありがとな」
「着ていけよ。別に返さなくたっていい」
土方の薄い肩を気にかけるように高杉は手を伸ばす。
土方はほんのり微笑むと首を横に振った。
「…テメェの匂いがうつってる。どう言い訳しろってんだ」
「もって帰れよ。むしろアンタのオトコを妬かせてやれ」
悪辣に笑った高杉に土方は少し困ったように眉を寄せた。
「妬いてもらえるような関係じゃねェんだ」
少し寂しげな声に高杉がなにか言おうと唇を開きかけたが。
「それに、ウチの狗はご主人様以外の匂いに敏感だしな」
からりと笑った土方の落差に何も言えなくなる。
「でも、テメェの匂いは嫌いじゃねェな」
ふっと思い立ったように土方は告げて、肩をすくめる無邪気な仕草と一緒に軽く微笑んだ。
それから、一瞬のことにほとんど言葉の無い高杉を置いて歩き去った。
ひらひら、視界を彩る花は土方に似合った。
姿が消えるまで何も言い出せなかったことが自分にあるなどとは。
と、呆気に取られて。
残された幼い素振りと表情のあまりの鮮やかさに。
「参ったねェ……」
高杉は苦笑すると、溜息に似た息をついて、桜の渦に身をゆだねた。
この色には。
どんな美しいものも、敵わないのではないかとひっそり思っている。
「土方、今日は良い月だね」
頷くので精一杯なのは愛しさで胸が痛むからだ。
銀色の髪は、どうして夜の闇にこんなにも綺麗なのだろう。
そう土方は何度も考えたことを思う。
「あれ、肩に花がついてるよ」
銀時は少し不思議そうに言う。
「あぁ……」
「それになんだろう、薄い匂いがするね、桜みたいな」
すん、と鼻を寄せた銀時は、土方の肩口の花をそっと摘んだ。
「お花見してきたの?ってそんな季節じゃないか」
とん、と自らの肩口に土方の小ぶりの頭を押し当てると、
一層匂いが強くなったのだろう、わずかに首を傾げた。
抵抗も無くされるがままの土方に内心少し、少しだけ不安になりながらも、
その温かさは確かに銀時を幸福にする。
「いや…」
大体あってる。
そう土方が静かに言うと、銀時はさして気にした風でもなく、
ふうん、と優しい声で相槌を打った。
ぼんやりとしている土方を気遣うように、
優しく肩口の髪を撫で、ゆるやかに見つめる。
「春にはさ、また花見しよっか」
先の先まで、共にあろうというその言葉が。
「……あぁ」
出逢った頃の花見を思い出して、土方はほんのり微笑んだ。
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